2020年01月10日

674 何度も足を運んでいる宗像大社ですが… @ “宗像大社を楢ノ木の神紋から考えましょう”

674 何度も足を運んでいる宗像大社ですが… @ “宗像大社を楢ノ木の神紋から考えましょう”

                                     20181024

太宰府地名研究会 古川 清久


太宰府地名研究会は10月に福岡市と北九州市の間で筑豊から玄海灘に注ぐ遠賀川河口一帯に鎮座する伊豆神社(恐らく豊玉姫を祀る)4社外へのトレッキングを行ないました。

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その集合場所を宗像大社正面P駐車場(現地集合)1100 としたのですが、早めに到着した事もあり、45人で、宗像大社の本来の御祭神である大国主が祀られていたと睨む 高宮を参拝したのでした。

トレッキング資料(26p)については、トップ・ページだけを次葉に掲載しておきます。

 宮地嶽神社に関してはこれまで二十数本と言わずブログを書いてきましたが、宗像大社に関しては数本しか書いていません。それは近畿大和朝廷の影を感じた事からする嫌悪感かも知れません。

 まず、百嶋説に沿い宗像大社の本来の祭神は大国主命である(お妃キサガイヒメ、ウムガイヒメが宗像三女神の二神)と考える上に、宗像沖ノ島祭祀が古来宗像一族のものであったかのような宣伝と世界遺産登録に異論を持っているからです。結果的には思惑が外れたものの以下をお読み頂くしかありません。

 ひぼろぎ逍遥(跡宮)

458

宗像沖ノ島世界遺産登録といった愚行が半潰れになって多少はほっとした!

 外、数本をお読み頂くとして、今回は別の側面からのお話しをしてみたいと思います。

当日は悪天候が続いた2018年にしては珍しく非常に天候が良かったうえに、駅伝大会やら世界遺産登録効果もあって参拝客が急増しているようでした。現在、世界遺産登録などという言わば勝手な格付けには徐々に批判が高まっています。日本に限りませんが、こういった日本の伝統も文化も殆ど知らない外国勢力に尾を振り格付けを有難がって利用すると言う売国政策によって、特定の地域や一部の寺社などだけが良い目に逢うと言う準(純)不正行為は、行政庁の有り方としても、また日本の文化政策から言っても許し難い行為と考えるのですが、戦後顕著となった列島占領の延長上の惨めさを再確認しているところです。

まあ、そういった話はおくとして、行き掛かり上図らずも宗像大社について書くことになってしまいました。ただ、まだまだ基礎調査の段階でしかなく、いずれ書くとしても今回はちょっとした思い付きや下調べ程度のものとして思いついた事を書きたいと思います。非常に前置きが長くなりました。

まず、あまり知られていない同社の神紋について考えて見たいと思います。

何らかの結論とかが理解できていると言ったものではなく共に考えて見たいと考える作業仮説程度のものであって、元より神社側が否定されれば一般的にはそれで結論とされてしまうものでしかないのです。

ただ、このような基礎研究、基礎調査無くしては一寸たりとも本質には迫れないのであって、その限りで無理を承知で踏み込みたいと思います。

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遠賀川は筑豊から玄海灘に注ぐ大河ですが、この河口の両岸に伊豆神社という神社が4社ほどあります。結論を無題.png急げばこの神社群は主神として豊玉姫(父神=豊玉彦、母神=豊秋ツ姫)を祀っています。ではその起源とは何でしょうか?現在、対馬の木坂の海神神社の裏山が伊豆山であり、その地名移動が厳原で、糸島半島の伊都、出雲、厳島、出石、伊豆、伊東(豆→東)の可能性を探っています。皆さんも頼朝と政子が逢引したという熱海の関八州鎮座伊豆山神社の伊豆もその起源が海神神社の裏山の伊豆山である事は疑い得ないのではないでしょうか?今回は、この宗像大社の支配氏族とも重なる伊豆能売を探るトレッキングになります。この大国主のお妃でもある伊豆能売神こそ大本教、世界救世教、崇教真光、真光文明教団…の神でもあるのです。

20181021日 日曜日太宰府地名研究会トレッキング遠賀川河口に伊豆能売の神を探る!  


「遠賀川河口に伊豆能売の神を探る!」(大本教系教団の神とは豊玉姫だった?)

20181021日 日曜 日 午前1100 集合〜出発 連絡は古川まで 090-6298-3254

宗像大社  宗像市田島2331

 駐車場に集合!                     緊急連絡 :090-5289-2994

大雨の場合は中止! ※参加費(資料代)500円 各自、弁当、お賽銭、傘持参の事…

訪問予定の神社

伊豆神社         カーナビ検索 福岡県遠賀郡遠賀町島津578

久我神社の隣にある報恩寺 カーナビ検索福岡県遠賀郡水巻町古賀1丁目121 093-201-5011

えぶり小学校       カーナビ検索福岡県遠賀郡水巻町えぶり2丁目31

伊豆神社         カーナビ検索 福岡県遠賀郡水巻町頃末北2丁目9-1

創作神とか埋没神などと言った不行き届きな評価に貶められた神(神とさえ扱われていない)という伊豆能賣の祭祀を太宰府地名研究会の中島 茂氏の手助けによって発見し、その正体が豊玉姫であること、また、それが何故伊豆能賣と呼ばれているかについて考えてきました。

あくまで仮説であり、将来、修正する可能性は留保しますが、大枠で考えて大幡主系の女神であり、大国主命のお妃か関係者であること、当然にも北部九州に関係する神(人物)になるであろうことは動かないと思います。

@  伊豆神社 カーナビ検索 福岡県遠賀郡遠賀町島津578

無題.png九州王朝論者の中でも九州に住む者は、神代史の大半は九州島を中心に起こっているとの確信は、勢い、その現場がどこかにあるはずであり、また、二千年近く経過したとしても何らかの痕跡は残っているはずであり、その可能性を探る事ができる環境にあるというある種の特権(距離の問題から北海道在住者にはなかなかできない)を持っているのです。

であるにも拘らず、自称九州王朝論者においても現場を一切見ようとせず、「記」「紀」に偏重した文献史学を中央の学者に沿って吹聴しようとする輩が跡を絶ちません。

まず、関東、関西にあったとしても現場に出る事を一切行わず、「記」「紀」を金架玉条の如く聖典化する人々には藤原によって閉ざされた古代の扉を開く資格は一切ないと言わざるを得ないでしょう。

簡単言えば、伊豆能賣 を埋没神などと評価した学者擬きは、逆に自らが「記」「紀」に埋没していた事を知るべきであり、情報化社会ではさらに一層埋没化して行くであろう事を考えるべきでしょう。

何のことはない…。キチンとした調査もやらず、「記」「紀」を崇めただけの事であり、近畿大和を中心に列島の古代史が展開したなどと言った馬鹿げたお伽話を信じた結果、奈良、京都周辺だけを調べて神代の神々の痕跡が一切無い事から(そんなことは当たり前なのですが)、やはりそれは架空(所謂欠史八代)…

ひぼろぎ逍遥(跡宮)

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伊豆能売の神とは何か? E “伊豆能賣の中間調査を終えて思う事” 

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伊豆能売の神とは何か? D “伊豆能賣は 何故「イヅノメ」と呼ばれたのか?”

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伊豆能売の神とは何か? C “遠賀川左岸に伊豆能賣を発見した ”遠賀町の伊豆神社“ 

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伊豆能売の神とは何か? B “遠賀川右岸の二つ目の伊豆神社の元宮か?”久我神社 

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伊豆能売の神とは何か? A “二つ目の伊豆神社” イヅノメの神が少し分かってきました

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伊豆能売の神とは何か? @ “遠賀川河口の両岸に伊豆神社が並ぶ”

先行して、イヅノメに関心をお持ちの方は上記外を…


さて、話を宗像大社に戻します。宗像大社は楢の木を神紋としています。何故でしょうか?宗像三女神と楢の木をイメージしても結論は出て来ませんね。ここで、故)百島由一郎氏が言われていた本来の祭神である大国主命と考えると、多少なりとも答えが出てきそうなのです。

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同社神殿に向かって右手にありますがかなりの大木の枝木が藤棚のような装いを見せています


 何故、楢木が神文に選ばれたのかについて考える事にはそれなりの価値があるでしょう。

 「記」「紀」に依るのも結構ですが、まずは関係があると思われる神社との相関を考えて見ましょう。

 天照とスサノウとの子産み争いとか誓約とか奇妙な話に仕立てられている五男三女神の話がありますが、

一応、その三女神を宗像の神として受け入れるとして、仮に百嶋神社考古学の立場から宗像の本当の祭神は大国主命であると考えれば少し見えてくるものがあるのです。

 大国主の子とされる二人の息子のうち、国譲りに即座に応じたとされる兄の事代主と、最期まで国譲りに抵抗したとされる弟の建御名方の神紋を見比べて見ましょう(百嶋説は子とも兄弟などともしない)。

神紋は神社ごとに多くのバリエーションがありますので、ここでは代表的なものを拾っています。

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事代主(事代主神社) 宗像大社 大国主と見た場合  建御名方(諏訪神社は諏訪だけでも4社)


皆さんどこか共通性があると思いませんか?何となく似ていますね、左の事代主=恵比須のマークは恵比須ビールでご存じでしょうが、通常は柏紋と言われていますし、宗像大社は楢紋とされています。

諏訪神社は梶紋とされ、親子三神(百嶋神社考古学ではいずれも大国主の配下であって子ではないのですが)とすれば、全て天狗様の団扇のような葉っぱであって、その事が目立たない様に柏、楢、梶…と各々主張しているのです。

 相互に、共通しているのは葉の葉脈であって、それが意味するものは、実はユダヤの燭台(ロウソク立)なのです。

 これを海人族がなぜなどと考えては凡そだめなのです。また、そのまま海人族の一派としての宗像族をイメージしては結論には辿り着けないのです。

宗像三女神(これも百嶋神社考古学では姉妹=スサノウと天照の誓約 ではなく従姉妹同士程度のものなのですが)、安曇族=志賀島の海人族の一派の上に担がれた天御中主、白川伯王〜大幡主〜豊玉彦=ヤタガラスの流れにある白族が元々はユダヤに通じる一族だった事を意味しているのです。

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高木大神系が使う梶紋(蔦紋)とメノラー(7本燭台)やハヌキヤ(9本燭台)

(「古代ユダヤ人は日本に来ていた」―実証的証明― 杣 浩二 078-291-5786をお勧めします)


「…梶の葉紋は夫々の葉の葉脈がメノラー(七本)やハヌキヤ(九本)の数となっており、その例を右記に示す…諏訪大社のミチクサ祭りに現れるアブラハムのイサクを幡祭に捧げる旧約聖書におけるユダヤの事件の事を考えると、明らかに梶の葉のメノラー、ハヌキヤが古代イスラエルに根ざしたシンボルと考える事が不可能ではないと考えられる」諏訪大社とメノラー(梶紋について) 

「古代ユダヤ人は日本に来ていた」65p

 今でも宗像大社にこの神紋はと尋ねると、“楢です”とのお答えを頂くそうですが(「玄松子の記憶」)、高貴な神社にしてはドングリが神紋というのも不思議です。私には、わざわざ建御名方とは無関係とするために敢て“ドングリの生る楢ですよ”と強調されている様に思えるのです。

つまり、反逆者としての諏訪大社の梶紋とは無関係ですよと言わんばかりに近畿大和朝廷への直結を売りにしているのではないかと考えてしまうのです。

 もしも、楢紋だけであれば気付かなかったはずです。

わざわざドングリまであしらっている事から、国譲りに反対した建御名方とは無関係であって、私どもは昔から近畿大和朝廷に忠誠をつくした一族ですとのメッセジを見て取ったのでした。

 勿論、これは作業仮説でしかなく責任は持てませんが、これが北部九州の海人族の東西分裂(今も続いていますが志賀島〜津屋崎の安曇族と宗像大社の宗像族とは仲が悪いのです)に関係しているのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 逆に言えば、これも宗像大社の高宮に祀られていた(いる)のが大国主命だったのではないかとする百嶋神社考古学の信憑性を感じさせるのです。

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丁度この境内に置かれた神木の楢の木から神殿の千木が見えます。

どう見ても縦切の男千木であって宗像三女神のものではなく主祭神が男神であることを示しています。

 「素人さんは良くそうおっしゃるんですが、そんなものは何の信憑性もないのですよ…」などと笑い飛ばす伊勢神宮辺りの禰宜を知っていますが、それは政治情勢への損得勘定から何度も祭神を入れ替え続けた結果いつしか整合性が取れなくなり説明できなくなったことを開き直っているだけであって、禰宜ながら自らの無関心のなせる業でしかないのです。本来、その嘲笑は自らに向けられるべきなのです。


百嶋由一郎氏が残した神代系譜、音声CD、手書きスキャニング・データが必要な方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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