2020年01月05日

ビアヘロ111 「宮原誠一の神社見聞牒」から@ “大日孁貴(天照大神)伝承の地・福岡市南部の檜原”

ビアヘロ111 「宮原誠一の神社見聞牒」から@ “大日孁貴(天照大神)伝承の地・福岡市南部の檜原”

                                                                      20191127

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 メンバーの宮原誠一氏による「宮原誠一の神社見聞牒」にかなり重要な論文が連続して掲載されています。ご好意により全文を転載させて頂く事になりました。

 特に現場にも入らず他人が書いた本だけを読んでいる自称「九州王朝論者」の方にこそ読んで頂きたいと思います。(古川)

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No.123 大日孁貴(天照大神)伝承の地・福岡市南部の檜原2019-09-29 18:00:00

宮原誠一の神社見聞牒(123)
令和元年(2019)0929

No.123 大日孁貴(天照大神)伝承の地・福岡市南部の檜原


天孫降臨(てんそんこうりん)という神話があります。
天照大神の神勅を受けて、天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、葦原の中つ国を治めるために、高天原(たかまがはら) から筑紫の日向の襲の高千穂峰へ天降(あまくだ)ることになります。邇邇藝命は天照大御神から授かった三種の神器をたずさえ、天児屋根命(あまのこやねのみこと)などの神々を従え、高天原から赴任地へと向かいます。
『古事記』によると、天照大神と高木大神の両神の命で、当初は天忍穗耳尊(あめのおしほみみ)に降臨の命が下りますが、天忍穗耳尊は自分に代わって息子の瓊瓊杵尊が天降ることになります。
邇邇藝命は天照大神の孫にあたることから、「天孫降臨」と呼ばれます。
「神話」の話と言え、天照大神には、子の天忍穗耳尊、孫の瓊瓊杵尊がおられ、天照大神は子持ちであり、独身ではなく、夫婦神として描かれています。
ところが、天照大神の夫君が誰と明記されていないのです。そして、天降りに従った天児屋根命と子の天忍穗耳尊は同一神なのです。高天原がどこであるかは諸説繚乱です。ここが『記紀』の難点であり秘部です。

1.「ヒミコ」こと大日孁貴(おおひるめむち)


高良大社の『高良玉垂宮神秘書』では、天照大神には三人の御子がおられ、天忍穂耳尊、瓊々杵尊、彦火々出見尊と述べています。そして、彦火々出見尊は塩土の翁(大幡主)の皇子と述べています。
彦火々出見尊は古事記では「山幸彦」、「猿田彦大神」であり、後に「五十猛」と呼ばれます。『先代旧事本紀』の天神本紀では、祭神名として天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしだまにぎはやひのみこと)となります。これは饒速日尊=天火明命であると云う意味であり、通称「ニギハヤヒ」と云っております。
大幡主は別名、神皇産霊神(かみむすびのかみ)とも云う、櫛田神社の主祭神で櫛田大神です。そして那()国の王様です。
百嶋説では、『魏志倭人伝』の「ヒミコ」について
 卑弥呼(ヒミコ)=大日孁貴(おおひるめむち)=天照大神(あまてらすおおみかみ)
と同一人物とします。
「ヒミコ」は、若き青年期は大日孁貴といい、倭国大乱以後は魏志倭人伝では卑弥呼と呼ばれ神様になられては天照大神と呼んでいます。
さらに、百嶋メモをみると「ヒミコ」の嫡男、嫡女が出てきます。

 1.天忍穂耳尊(海幸彦):草部吉見を日子にさせてくれた日女たち
  拷幡千々姫、市杵嶋姫、瀛津世襲足姫(おきつよそたらし)、天鈿女命(あめのうずめ)
  天忍穂耳尊は4名の姫たちによって「ヒミコ」の皇子となられます。
  すなわち、市杵嶋姫の入り婿により、天照大神の子となられるのです。
 2.彦火々出見命(山幸彦):大幡主と「大日孁貴」の間の皇子
  正しくは、天津日高日子穂々手見命と言う。
 3.邇邇芸命(ににぎのみこと):高木大神と「大日孁貴」の間の皇子
  略しなければ天津日高彦瓊瓊杵尊と言う。
 4.拷幡千々姫(たくはたちぢひめ):高木大神と「大日孁貴」の間の皇女
  日本書紀では天萬栲幡千幡媛命(あまよろづたくはたちはたひめ)

百嶋先生は、大日孁貴は那()国の隣の福岡市の檜原(ひばる)に居られましたと言われていました。その檜原の近くの南の那珂川市に大幡主と大日孁貴を共に祀る天神社があります。大日孁貴の伝承の地です。檜原という地名は「最も尊い丘」という意味です。
大日孁貴は呉の太伯王家の帥升と大伽耶姫(高木おば)の姫君で、神武天皇の姉になります。



無題.png天神社から北岩戸を望む


2.福岡県那珂川市の天神社


前回の記事No.94 淀姫を祀る那珂川の伏見宮は伏見稲荷大社の元宮か」にて、那珂川市の旧岩戸村を中心とする神社群に触れました。
旧岩戸村の伏見宮には県指定無形民俗文化財の「岩戸神楽」があります。
神楽の出場者は淀姫、鈿女、思兼、事代主、須佐之男、天児屋根、武内宿禰、赤鬼黒鬼となっています。鈿女は「天鈿女命」、思兼は「豊玉彦」となります。
天の岩戸神話の神楽の中心人物が天照大神と天鈿女命です。
その伏見宮を北に上がった西の標高60m程の小高い丘の中腹に天神社が鎮座です。ここから北岩戸、古代の那国の海岸が見渡せます。
福岡県神社誌によれば、祭神は埴安命(大幡主)となっています。

天神社 福岡県那珂川市旧岩戸村
祭神 埴安命

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福岡県神社誌によれば、祭神は埴安命(大幡主)ですが、実際には、祭神は次のようです。


  (左殿) 大日孁貴

祭神(中殿) 埴安命

  (右殿) 菅原道真公

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菅原道真公は天神社(てんじん しゃ)として天神社(てん じんじゃ)に追祀です。
社頭の鳥居の扁額は「勾玉の頸飾り」が施されています。
「勾玉の頸飾り」の扁額の額縁は初見です。古代の相当の高貴な方を祀る神社と見ました。
祭神の並びから埴安命と大日孁貴を夫婦神として祀るものと見ました。
勾玉を扁額の額縁に刻んだ神社が他に、熊本県球磨郡あさぎり町岡原(おかはる)の岡原霧島神社です。球磨地方では古代、翡翠の勾玉を生産していました。(「ひろっぷ」さんブログ参照)
「勾玉の頸飾り」あるいは「勾玉」は大日孁貴(天照大神)が三種の神器の一つとして子息の邇邇藝命に与えたものです。この種の扁額を他に見ないことを見ると、この天神社が大日孁貴と「勾玉の頸飾り」を関連づけて、大日孁貴を祀るとみることができます。
 天神社の小高い丘は場所柄、福岡市の檜原と那珂川市の山田と接します。見上げても良く、見下ろしてもいい場所にあります。檜原という地名が「最も尊い丘」にぴったりです。
山田(高天原)、大日孁貴、岩戸神楽、天鈿女命、須佐之男、天児屋根と天孫降臨の神話の舞台の要素を持ち合わせています。若き大日孁貴はこの岩戸村一帯に居られたのでしょう。

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百嶋講演「春日神社について」 20114
長野県の戸隠神社は、烏巴(からすともえ)、八咫の烏巴(やたのからすともえ)がその正体であり、あそこをリードしているのは八咫の烏、即ち、豊玉彦である。
天の岩戸が九州から飛んでいったという伝説も本当です。要するに岩を持った人間がそこに移住したと考えたらよろしい。その生き証明人が長野の善光寺である。そっくり豊玉彦ですよ。豊玉彦の働きは非常に大きかったが、隠れてなかなか表にお出になっていない。その代表が吉野の丹生川上神社、表に罔象女神を立てていらっしゃるが、実際の御祭神は豊玉彦です。

戸隠神社(とがくしじんじゃ)
長野県長野市戸隠3690
祭神:天手力雄命(素戔鳴尊)
火之御子社(ひのみこしゃ):祭神は天鈿女命
中社(ちゅうしゃ):祭神は天八意思兼命(豊玉彦)
奥社(おくしゃ):祭神は天手力雄命

檜原神社(ひばらじんじゃ)
奈良県桜井市大字三輪1422
祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
この地は、崇神天皇の御代、宮中よりはじめて、天照大御神を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託されてお遷しになり、「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立て、お祀りされた「倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)」であります。
大御神のご遷幸の後も、その御蹟を尊崇し、檜原神社として、引き続きお祀りし、「元伊勢(もといせ)」と今に伝えられています。 「三輪明神・大神神社」から

無題.png左は豊鍬入姫宮 


※ 檜原を「ひばら」と称されていますが、「ひばる」が本当の読み方です。檜原は九州福岡市南部の檜原からの地名の移動と神霊の東遷となります。
「神霊の東遷」については、ブログ「ひとつあがりのカフェテラス」21 22【神武天皇伝承】椎根津彦神社(大分市佐賀関)と大和神社(奈良県天理市)に詳しく記載されています。http://nanasegawa.mayonakasketch.jp/blog-entry-29.html


3.高天原(たかまがはら)


『記紀』の神話からして、天照大神(大日孁貴)が青年期を過ごした地が高天原となります。
高天原は時代と共に移動しているのです。

 福岡県那珂川市山田 → 福岡県朝倉市山田 → 奈良県高天町 → (大加耶)高霊

那珂川市伏見宮の近くの氏子さんにお聞きしたのですが、ここ那珂川市の山田が「山田」地名発祥の地だそうです。福岡県朝倉市の山田の地名は、ここ那珂川の山田が移動していった、と言われました。
 やまいこく(邪馬壹国)=やまとこく(邪馬台国)=やまだこく → 山田
「やまい」「やまと」「やまだ」は全て同義語です。ヘブライ語で「神の島」「神の民」という意味になります。


百嶋講演「春日神社について」 20114


倭人伝にでてくる伊都国の長官は爾支「ニキ」、「キ」がついているので新羅系であることがわかる、将来、饒速日となる山幸彦(猿田彦)です。投馬国の長官は弥々「ミミ」、彦山の天忍穂耳である海幸彦です。
倭人伝は、何十年かのことをごっちゃ混ぜにして圧縮して書いているので、そのまま信じると間違えてしまう。伊都の国は伊都、投馬国は宇佐です。そして、すこし時代がおくれて宇佐津彦が出てくる。宇佐津彦は生目(贈・垂仁天皇)です。足一騰がりの宮、これを生目が、神武天皇(本当は贈・祟神天皇)に献上したことになっている。()祟神天皇を神武天皇とわざと混同したい連中がいる。高木大神系統です。
ところで高木大神の故郷に日本の高天原がそっくりそのまま移転したことをご存知ですか?近鉄奈良駅の地名、高天です(あの付近の地名は高天町です)。ほら吹き集団はどこに一番多く住んでいたか。一番多いのは福岡県です。もちろん奈良県も多いです。熊本の第五高等学校付近の龍田から、奈良の立田(風神、雷神の立田神社)まで、阿蘇火山帯(中央構造線)でつながっている。阿武隈(=おおくま)、大隈、七隈、嘉麻市の中心部の大隈、これは大集落という意味です。博多の櫛田神社系統の大集落という意味です。
そして、奈良では葛木連山の葛木古道の中に高天神社があったが、次第にお賽銭が上がらなくなった。そして最終的には、この人たちは朝鮮半島の八万大蔵教のある高麗に移った。
朝鮮半島の高天原をご存知ですか?特に、福岡の筑後地区には朝鮮系の日本人が多いですね、その方たちは、未だ、日本人になりきれていない日本人、要するに、何でも朝鮮の味方をするのです。そのような人たちが、朝鮮半島の高霊(コリョン)というところに、現在の韓国の中心部近くに、日本の高天原の本物は高霊にありと堂々たる高天原を作っています。ところが作ったのは1999年です。それまで彼らはどこで活動したかというと、奈良の高天原、場所は葛木連山、御所市、あの地区に、勝手に九州の高天原を持って行って、向こうで、高天原活動の宣伝の基地にしていたというような高天原です。ところが盛んに2000年間ほら吹いて、がんばって金儲けいたしましたけれども、この頃はお金にならないようになってきた。人が信用しなくなってきた。お賽銭が上がらなくなってきたということで、打ち切りとなりましたね。とにかく、葛木高天原は1999年に朝鮮半島の高霊(コリョン)に移りました。
一番最初は九州の何処にあると言って盛んにほらを吹いていました。
高木一族、ニニギノミコトの一族。そのあとですね、勝手に高天原を奈良のほうに持っていきました。奈良葛城連山の奈良側のほうに持っていきました。その場所の名前は「高天原」、または原をとって「高天」ともいいます。
ところが、肝心かなめ、お賽銭をあげてくれていた日本人及び朝鮮人がさっぱり、特に、日本人がお賽銭をあげなくなった。信用されなくなった。彼らが言う高天原は信用されなくなった。
それまでの高天原は何処から持って行ったかというと朝倉から持って行っています。朝倉、朝倉、それが全然信用されなくなったから、とうとう根を上げて1999年に奈良の葛城を逃げ出して、朝鮮半島の高霊(コリョン)の方に逃げ出して、高天原を作ったんです。


4.大幡主と大日孁貴を共に祀る神社


福岡県に大幡主と大日孁貴を共に祀る神社が四社存在します。特に三社が糸島地方に鎮座です。大幡主の神は「国常立尊」あるいは「埴安命」の名で祀られています。
勿論のこと、櫛田神社は大幡主(櫛田大神)と天照大神(大日孁貴)を主祭神とします。
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櫛田神社三社を合わせると、大幡主(国常立尊)と天照大神(大日孁貴)を共に祀る神社が六社存在します。古代の日本史の舞台は北部九州沿岸部、南九州の球磨地方、八代地方といった所でしょうか。
佐賀県神埼の櫛田神社も当初は大幡主(大若子命)と天照大神を祀ります。後に、祭神の大幡主と天照大神が消えて、素戔嗚尊、櫛名田比売命、足名椎手名椎尊を祀る稲田神社(仮称)に変遷しています。
もしかしたら、一座に大幡主と天照大神を祀り、二座に素戔嗚尊、櫛名田比売命、足名椎手名椎尊が祀られていたのかもしれません。想像です。ここが神埼の櫛田神社のナゾですが、神埼に櫛田神社があるのもナゾです。
これらの神社は大幡主(国常立尊、大若子命、櫛田大神)と天照大神の二柱を祀る神社ですが、大幡主と天照大神を夫婦神として祀る神社ということです。
博多の櫛田神社の祭神・天照大神については、あまりに古くて記録にないと由緒にありますが、夫婦神として共に祀られる存在で、「夫婦神」とは記載できない事柄です。由緒をぼかしてあります。

井田原神社(いだはらじんじゃ)
所在地 糸島市志摩井田原1(糸島郡可也村大字井田原字天崎)
祭 神 国常立尊、天照皇大神
末 社 貴船神社(闇龗神)、福里屋神社(天神)

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油比神社(ゆびじんじゃ)
所在地 糸島市油比187(糸島郡前原町大字油比字本村)
祭 神 国常立尊、天照皇大神
菅原神は同町字油比に無格社天神社として祭祀ありしを合祀す
由 緒 埴安命、伊弉冊尊、天穂日命。もと十六天神と称す。

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荻浦神社(おぎのうらじんじゃ)
所在地 糸島市荻浦144(糸島郡前原町大字萩浦字前田)
祭 神 天照皇大神、国常立尊、菅原大神
由 緒 昔は老松天神と言った。一説には十六天神
末 社 保食神社(豊受大神)、厳島神社(市杵島姫命)

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鷂天神社(はいたかてんじんしゃ)
所在地 福岡県朝倉市上浦230
祭 神 高皇産霊神(タカミムスビ)大日孁貴(天照大御神)菅原神
由 緒 元和年中(1681)勧請と云う。 元宮:隼鷹神社(小郡市横隈)
境内社 大神社(埴安命・大日孁貴)

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ
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