2020年01月01日

671 有明海最奥部に静かに鎮座する海童神社

671 有明海最奥部に静かに鎮座する海童神社

                                     20181017


太宰府地名研究会 古川 清久


福岡県〜佐賀県の有明海沿岸には龍王神社とか海童神社といったものが数多く確認されます。

 有明海は筑後川から送り込まれる大量の火山灰起源の土砂によってほったらかしておいても陸化が進む性格を持っており(年に100メートルとも)、古代の海岸線は現在の堤防ラインから言えば最大数十キロも入っていたと考えられています。

 従って、古代の湾奥ラインに鎮座する神社群ほど、より古い形を残しているのではないかと言う推測がある程度は付くのです。


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古代には現在JR佐世保線が東西に走る辺りまで海は迫っていたはずで、この地に限れば、満潮時に潮が入る湾奥とは現在の焼米溜め池のさらに奥まで延びていたのです。

仮に溜め池を造るとしたとき、周囲を円形に造るのは築堤延長が多い割に貯水量はそれほどではなく、周囲を山や岬で囲まれた袋地を直線やアーチで締め切る方が圧倒的に有利であることは言わずもがなです。

つまり、この焼米溜め池とは、言わば古代の有明海の湾奥締切型の溜め池の一つだったのです。

そして、この脇の岬状地に置かれたのが海童神社だったのです。

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御祭神:豊玉彦神、豊玉姫神、合祀祭神:天照大神、大地主神、保食神、市杵島姫神、管原道真公

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この湾奥にはかつて高良神社が置かれていたともいわれており、一時期、探した事もありました。

古くはこの奥(溜池の底ですが)に宿場が置かれていたという話も聞き及んでいます。

祭神については、「佐賀県神社誌要」にも記述が無く、額面を真ずる以外には当面手だてがありません。

ここでは、祭神が豊玉彦と豊玉姫の親子(娘)としておきましょう。

ただ、祭神は入れ替えられている可能性もあり、豊玉彦は動かないとしてもまだ確信は持てないでいます。

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この神社では歳の瀬に夕方から翌朝まで夜通し火を焚き、月を送る風習があると聴きましたが、まだ確認できずにいます。また、この神社の神紋は菊の御紋の様に見えますが、12日足紋で菊池氏などの古紋です。まさか、1213弁菊花紋ではないでしょうが、それならば九州王朝の神紋の可能性もあるのです。

また、参拝殿入口の唐破風屋根も船の返し龍骨を見せたもので外洋航海を行なっていた豊玉彦=ヤタガラスを彷彿とさせるものでもあります。


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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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