2019年12月21日

ビアヘロ110 第二の天安門事件の悲劇が近づいている “大量のモロトフ・カクテルを準備せよ”

ビアヘロ110 第二の天安門事件の悲劇が近づいている “大量のモロトフ・カクテルを準備せよ”

                                                                      20191116

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 香港民主化運動は全く解決への展望もなくエスカレートしいよいよ臨界点を超えようとしています。

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まず二百万人のデモと言えば史上最大級の民衆運動と言えるでしょう。

 しかし、専門的香港ウォッチャーが数多くおられる中、ここではこの絶望的民衆運動に対し別の角度から所感を提出させて頂きたいと思います。

 ただの出世主義者のごますり女でしかないさもしいばかりの林鄭月娥(リンテイゲツガ)キャリー・ラムの思い上がった摺り寄り提案への反発を切っ掛けとして始まった香港暴動でした。

普通に考えれば、最終的には軍警(治安維持部隊)〜人民(弾圧)抑圧軍の戦車隊によって蹂躙される事になるしかなく、電気(3割本土)水道(広東省)生活物資(海外調達可能)のかなりの部分を中国本土に依存している香港に民主化から独立へと進むことができる客観条件が存在しない事は明らかでしょう。

そもそも、中国がドルなどのハード・カレンシーを得られる理由は香港ドルと米ドルの兌換が可能であってその結果中国がドルペックを維持できていたのですが、中国共産党幹部どもの関心は不正蓄財、マネロン、財産の国外持出のための金融センターがその意味で混乱する事の方が不安この上ないのであって、彼らにとってはその意味だけでもいち早く制圧したいと考えている事でしょう。

現在でこそ警察で対応していますが(裏では何でもやっているはずですが)、いずれ事態の収拾が不可能になれば本命の人民抑圧軍が登場してくるのは間違いないでしょう。

香港警察でお馴染みのジャッキー・チェンさえも共産党員なのですから救いは全くありません。

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そして、現在、一時的に動員力が減衰してきている事もあって、逮捕者や起訴された者も数千人に登っています。

最大二百万人のデモまで造りだしたある種の革命運動なのですから、本来ならば、これら拘束された人々をバスティーユ並みに襲撃し解放させることもできるはずなのです。

そして、不当な弾圧を行なった警察署長やキャリーラムの自宅などへの襲撃、放火、テロといった対抗的反撃無くしては権力側のやりたい放題になるはずなのです。こういった地下の軍事組織による牽制的武装闘争なくしては唯々諾々と逮捕され暴行を受けでっち上げ裁判へと持ち込まれてしまうだけなのです。

現在、民主化デモが最盛期を迎えていた頃の雰囲気を考えて見ると多少の衰退は否定できず、これが勢力の温存から次の大デモへの準備なのかも知れませんが、実際にもあまりにも展望が見えず、米国、英国は本より国際的な支援なり、香港沖への空母艦隊常時遊弋といった具体的な支援も期待できない中、声高な人権擁護の叫びにも拘わらずデモの衰退は仕方がないのかも知れません。

デモが最盛期を迎えていた910月の情勢からは、林鄭月娥氏辞任の話も現実味を帯びていただけに、今後、どのような展開を見せるか予断を許しません。

いっそ、一国二制度の香港返還時の条約を破っているのですから、イギリス議会選挙後のボリス・ジョンソンが変換条約の破棄ぐらいやっても一向におかしくはないのですが、フォークランドに比べてあまりにも遠く、相手も遥かに巨大なのです。


中国政府が香港長官の更迭検討か 英紙報道、来年3月までに林鄭月娥氏辞任の観測

20191023

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1166: 【香港】 投石機に弓矢、鉄菱 デモ隊が「中世的」な新戦術


2019/11/15() 22:26:02.93 ID:Qie1UZWX9


AFP=時事】警察と戦う香港の民主派デモ隊は、木製の投石機で火炎瓶を発射したり、大学のスポーツ学部から盗んだ弓矢を使ったりと、中世の技術を織り交ぜた新戦術を生み出している。

複数の大学が戦いの中心地となっており、学生たちは警察の脅威から自分たちのキャンパスを守らざるを得なくなったと語っている。学生側には、抗議運動の最前線に立つ黒服の「戦士たち」が加わっている。

強硬派のデモ参加者たちは、火炎瓶やれんがだけでなく意外ものまで持ち出し、装備を強化している。

大学の倉庫から持ち出してきた競技用やりや弓矢などのスポーツ用品を使ったり、テニスのラケットで催涙弾を打ち返したりしている。

さらに学生寮の椅子やマットレスも、バリケードの材料や、激しさを増す警察のゴム弾攻撃から身を守る盾として使われている。

こうした実用的な取り組みは、アジア屈指の近代都市である香港にありながら、中世的な要素も帯びてきた。

巨大な木製の投石機が一から造られた他、路上には警官隊の前進を妨げるためのくぎなどで作られた鉄菱(てつびし)が置かれたり、機動隊員を転倒させるためにれんがが積まれたりしている。

デモ隊は13日夜、同大学前にある中国本土と隣接する九龍(Kowloon)半島と香港の金融中心地をつなぐ主要トンネルを封鎖。警察に封鎖を突破された場合に備えて、投石機をトンネルの出入り口に向けた。

名門、香港中文大学(Chinese University of Hong Kong)でも12日夜に衝突が発生。警察はデモ隊が同大学を「武器工場」に変えたと非難した。

警察は14日、「暴徒たち」が橋から火炎瓶を落としたり、広範囲で放火をしたり、警察官を矢で射たりしていると非難した。【翻訳編集】 AFPBB News


さて、そこまで進むかどうかは不明ですが、最終的に人民弾圧(抑圧)軍の戦車が侵入してきた場合、香港での大規模な衝突が起こる可能性は否定できません。

 この際、絶望した労働者、学生による絶望的な武力闘争が勃発する可能性がないとは言えないでしょう。

 ただ、ここで都市部に大規模な戦車隊が侵入し逆に相当な被害が出た例がある事が頭に浮かんで来ます。

 それは半世紀遡る1956年のハンガリー動乱です。香港も全く同じことが起こらないとは言えないのです。

 と言っても私が産れたのが1953年(スターリンが死んだ年)であり、当時としては珍しかった三歳児幼児教育で幼稚園に通っていた時代の話なのであって、そういった事実をラジオに噛り付いて聴いていたと言った訳でさえありません。

 ただ、現代思潮社刊の「ハンガリー1956」を読み関連図書を読んでいた事から多少後付で探った程度の話であって、同書を改めて拾い読みして概略をご説明しようかと思っていた所、この事をコンパクトに纏めておられた方がありましたので有難く引用させて頂くことにしました(深謝)。


1956年(昭和31年)1023

ハンガリー動乱 、ついに市民が蜂起。首都ブタペストで、20万人のデモ隊がハンガリー治安警察と衝突。

ソビエト軍は19561023日と停戦をはさんだ1956111日の2回、反乱に対して介入。

1957年の1月にソビエト連邦は新たなハンガリー政府を任命。

この動乱で数千人の市民が殺害され、約25万人がり国外へ逃亡。

ハンガリーでは1956年革命と呼ばれる。

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ハンガリーは、戦後ソ連のスターリンに忠実だったラーコシ・マーチャーシュが全権を握っていた。

しかし、ハンガリーの生活水準は低く、労働者は工場の自主管理と労働組合の結成の自由を要求した。

農民たちも悲惨な状況にあり、農地の私有と耕作の自由を要求した。

ジャーナリスト・文筆家らも言論の自由を要求した。

学生は大学の環境を改善しようと学生の組織を設立していた。

国民全体が不平不満に充満していた。

独裁政党であったハンガリー勤労者党内でもラーコシらスターリン主義者を批判する改革派が台頭。

そこへソヴィエト共産党内部で行われたフルシチョフのスターリン批判演説が、幹部たちに大きな議論を呼び起こした。

1956718日、ラーコシは党書記長を辞任。

しかしその後任には、スターリン主義者のゲレー・エルネーを選出する。

これに反発した市民は、集会禁止令にもかかわらず、ブダペストで大規模なデモを行なった。

ここに、蜂起が勃発する事態が起こった。

フルシチョフは、幹部からの派兵の撤回を拒否。 ハンガリーに対する出兵が決定された。

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19561023日、ゲレーの退陣を求めて学生たちがブダペストでデモ行進し、多数の労働者もそれに加わった。

夜になりデモ隊と秘密警察との間で衝突が始まると、ハンガリー勤労者党指導部は急遽、大衆に人気のあった前首相ナジ・イムレを復職させる決定をした。

24日、ナジは正式に首相に任命され、その後ブダペストのソビエト軍も戦闘を停止した。

1025日、ナジは戒厳令を取り下げる。

街の人々の中にはソビエト軍の戦車に近付き、兵士と話し合う者もいた。

説得に応じたソビエト兵らの中には、ハンガリー人を戦車に載せ、国会前広場へと移動する者もいた。

ところが、突然発砲が始まった。

国会前広場は血の海と化し約100人が死亡、約300人が負傷。

この事件については秘密警察の発砲が原因であるとの見解もある。

最も激しい戦闘はコルビン劇場のあるコルビン広場で起こる。

民衆は火炎瓶を用いてソビエト軍部隊に抵抗した。

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1029日には警察、軍隊、市民による国民防衛隊が結成。

1030日にはソビエト軍撤退が開始された。

ところが同日午前9時頃、共産党ブダペスト地区本部で秘密警察隊員と民衆との間で衝突が始まる。

建物から出る武器を持たない秘密警察隊員らが次々と民衆により射殺される。

その後も命乞いをしながら出てくる秘密警察隊員や勤労者党書記らがリンチされた挙句、遺体が街路樹に晒し者にされる事態に発展する。

114日に新たなソビエト軍部隊(戦車2500両・15万人の歩兵部隊)が侵攻。

ソビエト連邦に支援されたカーダール・ヤーノシュが新しい共産主義政府を組織。

散発的な武力抵抗やストライキは1957年の中頃まで続く。

ナジはユーゴスラビア大使館に避難したが、ソ連軍に捕まり、ルーマニアに連行されて2年後に処刑された。

さらに、政権の閣僚や評議会を指導していた多くの市民がカーダール政府によって処刑された。

およそ1200人が処刑(1960年代、CIAの推定)された。

この動乱の結果として、ハンガリー側では死者が17000に上り、20万人が難民となって亡命、ソビエト側も1900人の犠牲者を出した。

不動王のブログ・名古屋分譲住宅による


ソ連軍死傷者:死亡 722 負傷 1,251  死亡 2,5003,000(推定)負傷 13,000(推定)難民 200,00

 結局、ハンガリー人民側の人物とも言われたナジ・イムレがソ連軍を導き入れ、多くの犠牲が出たのでした。ただ、終息には相当の期間を要し軍事的にはかなり大きな教訓というものが出ていたのでした。

それはビルに囲まれた都市でのゲリラ戦に対しては必ずしも戦車が役に立たない…という経験でした。

 ビルの上から雨霰と落とされる火炎瓶がかなり有効で、戦車がどんどん火だるまになって多くの車両が立ち往生し文字通り燃え上がる棺桶になったのでした。

 戦車とは基本的に戦車戦を想定している制圧兵器です。ビルなど上からの攻撃に対して機銃で反撃するにしても砲塔上部の蓋を開けざるを得ず、戦車砲で反撃するにも高角では砲撃が全くできなかったのです。

 しかも戦車は前部正面などは兵装が厚いのですが、上部は手薄で航空機など上からの攻撃には非常に弱いと言われているのです。

 無題.png『図解 戦車』のレビュー〜戦車の基礎知識〜


戦車の弱点 戦車は分厚い装甲が施されているが、全面にそれがあるわけではない。そもそも、装甲を分厚くしすぎると機動力が落ちるし、金もかかる。そのため、基本的に一番装甲を分厚くしているのは一番攻撃を受けやすい前面だけだ。側面や後ろは前面に比べると装甲が薄めである。とくに、後部はエンジンを積んでいるデザインのものが多いので、ここを狙われると弱い。

また、戦車は「地上での戦い」を想定して作られているため、天井部分は特に装甲が薄めである。そのため、飛行機から長砲身機関銃などで撃たれると成す術がない。最近は飛行機のみならず、アメリカのベルAH-1コブラに代表される対戦車ヘリなども登場していて、戦車の射程外からすばやく対戦車ミサイルを撃つことも多い。戦車は飛行機やヘリなど、上空からの攻撃にももろいのである。


 これが2000輌とも言われた大戦車群によってもなかなか制圧できず、多くの戦車がスクラップとなり、多くの犠牲者が出たと言われる理由なのです。

勿論、実際には万単位の犠牲者が出たとされる天安門事件のように、ガンジー主義宜しく素手で刃向い蹂躙されるのを由とするのであれば別ですが、絶望的闘いの中一矢でも報いたいとか政治的転換のきっかけを求めるとするのであれば、ビルの森(そこらじゅうビルですが)に誘い込み、火炎瓶の雨を降らせれば良いのです。このことは今尚命脈を保つ香港トロツキストは必ず知っているはずなのです。

 放水車から装甲車こその最良の標的であって、いつの時点で自律的反撃が開始されるのか、一方的弾圧に屈するかを注視しています。



無題.pngブタペスト


 かつて三派系全学連が火炎瓶を多用したのもブタペストでの有効性を知っていたからでした。

火炎瓶は当時のソ連の外相のモロトフ(悪名高きモロトフ リッベントロップ協定のモロトフですが)にちなんでモロトフ・カクテルと呼ばれたのでした。

 とにかく強面のソ連軍戦車がどんどん火に包まれていったのはかなり知られた軍事史のエピソードだったのです。実に戦車、装甲車へのビルからの火炎瓶攻撃は今尚非常に有効なゲリラ戦なのです。

 まず、一人一〜二本、つまり200400万本の火炎瓶(ペット・ボトル、ビール瓶は山ほどあるはずで…海外はℓ単位が多いようですが…)の雨が放り込まれれば、如何に大量の人民弾圧軍であっても容易には制圧できないでしょう。

しかし、仮に戦術的に勝利したとしても香港に未来はありません。電力、水、生活物資の大半を本土に依存し、金融中心としても、中国の仲介貿易に依存する香港に干渉されず安定した平和が齎されるはずはないのです。唯一、可能性があるのは中国崩壊であり、中国本土の共産党国家が弱体化している状態においては多少とも自由が享受できるかも知れません。

あくまでも単なる窓の開いた貿易拠点(実際には金融だけですが)としてですが。

 そもそも解放前の中国のように香港しか対外金融窓口が無かった時代、長崎の出島のような金融センター、貿易センターとしてその特権的を保てていましたが、多くの新興特区なり開放された都市が産みだされた今日、香港の特殊性、優位性はどんどん失われつつあります。

 最後に残された金融センターとしての優位性もいずれ消失し、巨大な本土に呑みこまれるのは目前です。

唯一、三国志の時代のような中国の分解、五胡十六国時代のような混乱、内乱…の中でのみ香港の開放性が得られる事が無いとは言えないかも知れません。

非常に残念ながら一般的には香港の民衆に未来はありません。

 思えば文化大革命当時、閉塞された中国大陸の真中で、労働者派とか左派などと錯覚された四人組によって弾圧された毛沢東に反対した湖南省無産者階級大連合(省無連)や五一六兵団といった極左派を含め、閉鎖された中国国内だけで数千万人の犠牲者を出したと言われる文革期に於いて、彼らの国内だけで殺し合いを繰り返していた時代(内部で殺し合いをしていればこれほどありがたいことはないのですが)、日本を含むその外側は非常に静かで安全で良かったのですが、今やウイグル、チベット…と危険な同化政策が取られるキチガイ国家の暴力が全世界を破壊し始めた様なのです。

 何時までパックス・アメリカーナが持ちこたえられるか非常に危険な様相を呈しています。

 明日の香港は明後日の台湾であり、一週間後の日本劣等民族なのかも知れません。

 しかし、その野獣を弾き返せる精神性を既に日本は失っています。それはマッカーサーによるアメリカの占領政策の結果なのですが、歴代の戦後の売国政権が将来せしめた結果でもあるのです。

 そもそも中国が社会主義国であったなどと誤解している方が多いようですが、毛の農民反乱軍は抗日闘争などほとんどやらずに只々逃げ回り勢力を温存し、日本の対米敗北を待ってその空白埋めただけであって、やったことは野蛮な農民軍が地主の土地を占拠し分配(後には国家が回収する)しただけであって、あろうことか都市に侵攻するや労働者組織、労働組合を徹底して解体し、外国勢力の一掃によって中原を共産党のネットワークで統一しただけのことなのです。

やったことは良くて統一国家の建設、ブルジョワ革命、地主階級の根絶、一部の買弁ブルジョワの追放(有償)、逃亡した外資系工場の国有化が行われた民族統一(といっても50以上の少数民族がいるのですが)だけで、社会主義革命の開始でもなければ、民主化なども全く存在しなかったと理解すべきでしょう。

 その後やたら評価され日本でも毛沢東を神の如く礼賛し崇め奉った間の抜けた人々が出たのですが(今なお続けている○○労働党などといった連中は狂気の沙汰としか言えませんが)、現在の中国を見れば一目瞭然であり、社会主義でも共産主義でもなかった事は明白でしょう。

 この点、最終的にスターリニスト官僚が勝利したとはいえ、一旦は労働者階級が権力を奪取したソ連邦とは全く性格が異なっており、中国は一度も社会主義国家にもなっていなかった=社会主義革命が起こっていなかった…と理解すべきなのです。

 だからこそソ連邦と異なり、資本と盗んできた技術が与えられた途端、その低賃金(農民工という名の奴隷)によって一気に資本主義が勃興したのでした。

 問題は文革の評価ですが、実際は失敗した経済政策の結果失った実権を回復するために毛が発動した権力奪還闘争を社会主義的に装っただけの話でであって、権力を回復した途端、さらに進もうとしたパリコンミューン型労働者共同体を目指した労働者組織や紅衛兵を徹底して粛清、処刑していっただけのことだったのです。それをやったのが奇妙にも左派などと言われた四人組だったのです。

 従って、土地の公有制は残るものの人民公社は解体し、資本主義が無制限に爆発したのが中国という巨大資本主義国家だったのでした。

 いずれにせよ中国共産党が共産主義を信奉している共産主義者の国とか社会主義の国などという馬鹿げた評価だけは一刻も早く止めるべきで、産業革命期のやりたい放題の資本主義的搾取とその一部の冨を独占した腐敗しきった共産党幹部が虎視眈々とその富を国外に持ち出し華僑として個人と一族が生き延びようとしているだけの絶望的監視国家と理解すべきなのです。

 このような化け物のような国家を造る中国共産党ために田中〜竹下〜…は膨大な援助を行い(勿論、一割のキックバックを懐に入れ一部を政治資金としたかっただけだったのですが)その大半が列島向けの兵器開発に向けられ、おまけに中曽根から竹中小泉による国富売り飛ばしと賃金の半減化と30年の経済停滞によって韓国からも馬鹿にされ、日々脅かされているのですから日中友好と親韓政策なる物が如何に愚かな亡国政策であった事が良く分かるのです。

 今や二階ら親中派は逆に中国の手下と成り下がり日本の冨を切り売りし生き延びようとしている番頭に成りきっているのです。

 まあ、やらない方が無難ですが、仮に反共産党労働者革命を再起動するとしてもその敵はスターリニスト中国共産党でしかなく、共産党の幹部どもを収容所に叩き込み思想改造を迫っても不可能でしょうから死ぬまで強制労働をさせるべきでしょう。

 中国には十数億の巨大な市場が転がっているとして色目を使った先進資本主義国でしたが、日本ばかりではなく大半の国家が殆ど投資した資本も回収できないまま終わる事になるでしょう。

 投資した金は泡となって消え失せ、意味のある不正蓄財は目先の効いた腐敗幹部によって大半持ち出され、回収は不能なはずです。それが歴史上続く新型の華僑なのです。

 戦後の日本は復員軍人や海外引揚者それに金儲けのために朝鮮から亘って来た在日…と膨大な余剰労働力を基礎とした安価な労働力と軍需産業が育んだ技術を民生に転化するという事によって戦後復興を成し遂げましたが、中国も膨大な農民工の低賃金奴隷労働によって異常なほどの低価格製品を大量に生産し、韓国、日本、ドイツ、台湾、勿論アメリカも追い落とし始めました。

 それは、飽く迄も盗んだ技術だったとしても所詮は盗まれる方が馬鹿なのであって、愚かな日本の中国派の様に自分から投げ出し提供しそのお零れを個人的にせしめると言う馬鹿げた行為に至っては言わずもがなだったのです。

 中国の発展は3億人程度の豊かな都市戸籍を持つ人々(これが中国人)がその二倍三倍の68億の農村戸籍のいわゆる農民工(中国に住むも実質的に非中国人扱いされる事実上の奴隷)により遥かに良い待遇で生活するという国家が出現したのでした。しかし、労働賃金の上昇によって中国で生産する事の魅力は消え、資本と技術の逃亡が始まっているのです。

 今後中国国内で激烈な階級闘争が開始され、その嵐のような炎の中で中国共産党が崩壊する事を望みますが、中国大陸のフライパンの上で多くの民衆が泣き喚き大量の犠牲者が産みだされる事になるでしょう。

 第二次文化大革命になるのか軍閥割拠による内乱に発展するのか五胡十六国のような国家分裂から大争乱に進むのか生きてる間に是非見たいと思っています。

 勿論、この腐り切った日本劣等民族の没落を見る可能性もあるのですが、腐り切った官僚と馬鹿政治家が再生産され続けた日本劣等民族の敗残国家の成れの果てと理解するしかないでしょう。

 と、ここまで書いて、林鄭月娥が「逃亡犯条例」改正案の正式撤回を発表しました。

勿論、これとて中国が本気で守るはずはないのですが、警察の過剰警備の結果被害を受けた人々への補償、関係者の処分、選挙制度の変更=自由選挙、林鄭月娥の自主退任、さらには英国と中国との香港返還協定の明らかな違反を理由に国連監視下に置くとか香港自治権の回復、イギリス領への復帰へと進めるべきでしょう。

ナチスドイツのミュンヘン協定を思い出せ!南沙諸島の埋立同様に中国共産党も協定など守るはずはないのです。

ビルの上から大量の火炎瓶の雨で人民抑圧軍の戦車隊を焼き尽くせ!

普段、「人権を守るべき…」などと調子の良い事をペラペラ喋っているアグネス張チャンもかつて「香港の学生デモは民主主義の破壊」などと言っているのです。こいつも親中共派の金持ちでしかないのです。

下も同種のさもしい人物で…レジーナ・イップ、アグネス・チャンといい林鄭月娥といい醜悪そのものですね。

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無題.png良く知られた彭述之まで遡る必要はないでしょうが、中国本土で労働者に依拠して闘争していたトロッキー派はロシア革命後のモスクワの中国人留学生グループと中国共産党から除名された陳独秀らを中心とするグループから形成されました。

しかし、上海、広東、香港…など都市部の労働者に依拠して活動していた本物の共産主義者の組織は毛の農民軍によって蹂躙され根絶やしにされましたが、70年を経てこれほどの労働者、学生、民衆の反乱を見せるとは隔世の感があります。

 既に、ただの農民反乱の指導者でしかなかった毛沢東の都市への侵入によって、労働者の反乱を組織すべき中国本土のトロツキスト党は実質的に根絶されており、現在必要とされている中国共産党を打倒する本物の労働者政党なり民主化への地下政党が求められているはずですが、歴史とは皮肉なものと言わざるを得ないでしょう。

 仮に、香港の民主化運動に勝利するチャンスが僅かにも与えられているとしても、頻発している中国本土の反共産党暴動との連携以外に道が無く、隣り合うマカオから中国本土の暴動と連携するネット・ワークの拡大とその地下組織の拡大なくしては勝利できないでしょう。

 こういったものを学生時代から読んでいたことから、毛沢東礼賛、ベトナム戦争反対、アメリカ帝国主義反対の怒号にも拘わらず、米帝とスターリニスト中国共産党への敵意を剝き出しにしていたのが私だったのでした。

このため極左からは極右と、極右からは極左と理解されていたのですが、今も中国への評価は一度として社会主義に踏み込んだ事のない共産党官僚による疑似的国家独占資本主義国家と考えています。


「中国トロツキスト回想録―中国革命の再発掘」

王 凡西 (), 矢吹 晋 (翻訳) 単行本: 284ページ 出版社: 柘植書房 (1979/08) 発売日: 1979/08


帰国したトロツキー派留学生は上海で「中国ボルシェヴィキーレーニン主義反対派」を結成し、上海芸術大学や新宇宙書店・天馬書店などを拠点に活動を開始した。この中国トロツキー派は一時、かなりの勢力に達し、中国共産党中央も警戒したが、当初は弾圧を控えた。とくに周恩来はソ連で訓練を受けた帰国留学生が党の財産になると信じて、むしろ歓迎し、任務を割り当てるときも差別をしなかった。この対応に乗じるかたちでトロツキー派は活動を広め、ついに大物を自派に加えることに成功する。無題.png中国共産党の創設者・陳独秀である。陳独秀は国共合作に反対で、上海クーデター後に行った汪精衛との連合失敗をコミンテルンから批判されて総書記を辞任していたが、トロツキー派の働きかけでトロツキー

の中国革命論に強い共感を示す。かくて、中国トロツキー派は陳独秀という金看板を得てより強固な地盤を築いたかに見えたが、直後から迷走が始まる。トロツキスト特有の内部分裂と中国共産党中央と国民党双方からの弾圧で四分五裂に陥ったのである。陳独秀も国民党に逮捕され、晩年は江津に引きこもって一九四二年に死去した。しかし中国トロツキー派はその後もしぶとく生き残り、なんと今も香港で活動を続けているのである。

 だが、この本で一番驚いたのは蒋経国の運命である。蒋経国は中山大学を卒業後、帰国を希望したが、中国共産党の反対で帰国できなかったため、ソ連赤軍に加わって軍人となった。「スターリンは明らかに中国の支配者とつきあう駒を握っておくために蒋経国を人質」にしたのだ。かくて、蒋経国はソ連のあちこちを走りまわり、労働者になったり、農家で暮らしたり、あらゆる苦しみをなめ尽くし、二度も危うく異郷で病死する憂き目にあったが、それでもなんとか生き延びて、ウラル機械工場の副工場長となってロシア娘と結婚し、一九三七年の第二次国共合作で帰国。蒋介石に許されて後継者に。すると、かつてのトロツキー派の同志たちは「蒋経国に身を投じ、蒋経国の共産党との闘争の参謀や助手となった」のである。なるほど、これで一つの謎がとけそうな気がする。台湾民主化が、白色テロで悪名高かった蒋経国による李登輝の後継者指名で軌道に乗ったことの謎が。自伝が書かれているようだが、未訳なので翻訳されることを期待する。 

 基本的に、本書は、中国共産党の路線から大きく逸脱しないように書かれた研究書だが、これまでタブーだった中国トロツキー派と陳独秀に光を当てた功績は大きい。


鹿島茂「週刊文春」「私の読書日記」2012/07/05 その1 唐宝林「中国トロツキスト全史」による

百嶋由一郎氏の講演録CD神代系譜、手書きスキャニングDVD等を必要とされる方は09062983254まで
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ
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