2019年12月06日

653 “ピラミッドの法則”により肥後の11の神社が配置されている! @ 阿蘇国造神社 祭神編

653 “ピラミッドの法則”により肥後の11の神社が配置されている! @ 阿蘇国造神社祭神編

20180928

太宰府地名研究会 古川 清久


では、国造(クウォツウォ)神社の祭神に踏み込みます。無論、通説とは異なるところがありますのでそのつもりで理解して下さい。

阿蘇には火口湖の水抜きによる国造りの話があり、阿蘇健磐龍命による蹴破り伝説として知られていますが、恐らく最初に土地が造り出された場所こそこの阿蘇市手野(本来「タノ」と呼ぶべきで、この地名が宗像大社の東にもあります)だったことでしょう。

ここに鎮座するのは、格式から言えば阿蘇神社よりも権威ある大山咋(市杵島姫と草部吉見神との間に産れた)神なのです(高格式の意味は市杵島姫の子であるからですが…)。

 まずは、「同社由緒略記」「熊本県神社誌」を見ておきましょう。

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推定:大山咋、雨宮姫、速日、高橋or大山咋、鴨玉依姫、活玉依姫、御牧入彦、倭彦のうち4座とします。


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百嶋由一郎神代系譜 017阿蘇系譜@(部分)

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百嶋由一郎神代系譜 サニワ系譜(部分)黄枠の部分がより正確です


無題.png「同社由緒略記」「熊本県神社誌」をそのまま受ければ、四柱の神とは青枠の四神となるでしょう。

 しかし、大山咋=速瓶玉が草部吉見と市杵島姫(宗像三女神)の御曹司である事を考えれば、国造神社の祭神が雨宮姫と高橋、速日とは考えられないのです。「熊本県神社誌」は惟人命と若比売神(奈留多姫)としているようです。

 それは、草部吉見神と市杵島姫を親神であれば大幡主(白族)系の格式が高いはずで、その痕跡が全く認められないとはとても考えられないのです。

 このため、雨宮姫の系統から阿蘇氏の初代惟人が産まれている事を考えるなら阿蘇氏によって最低でも雨宮姫の系統に祭神が替えられているのではないかと考えるのです。その辺りに鯰神(豊玉姫)が祀られている(排斥の結果だと考えますが)こともその象徴ではないかと思います。

 ついでに申しあげておきますが、国造神社から数百メートル下った所に風神社があります。

 これも奈良の話などとされていますが、大嘘なのです。『日本書紀』の「広瀬・竜田神」の祭礼記事ですが、奈良には龍田神社(三郷町)、広瀬神社(河合町)があり、『日本書紀』にも、「広瀬・竜田神」の祭礼記事があります。

「龍田風神祭祝詞」があり、崇神天皇のとき五穀凶作が続いたので風神を龍田の立野に祀らせたとされているが、その舞台は奈良などではなく、熊本市から立野を通り阿蘇に入る白川の大峡谷のことではないかとの考えがあるのです。

 まず、夏目漱石が教鞭をとった第五高等学校(現熊本大学)の真北にある裏山が立田山であることをご存知でしょうか?寺田寅彦の下宿があったのもこの南の山裾だったのですが、この立田山の南を西に流れるのが白川であり、これを逆に東の阿蘇へと遡ると立野の大峡谷があるのです。

 実質的に「古事記」「日本書紀」を左右したのは阿蘇氏を起源とする藤原氏でした。

 彼らの故地は肥後であり、その内容が「記」「紀」に反映されているとしても不思議ではないのです。

 第3セクターの南阿蘇鉄道が分岐するJR立野駅は、鉄道ファンにならずともスイッチ・バックの駅として知られていますが、南阿蘇鉄道の大鉄橋が南阿蘇(南郷谷)へと渡り、観光シーズンには阿蘇への入口として大渋滞するのもこの峡谷一帯だったのです。

 このように、立田(龍田)と立野はピタリと揃っているのですが、まだ、強烈に符合するものがあります。風です。熊本空港はこの白川左岸の丘陵地にあります。空港は風向きに合わせて離陸の方向を変えるのが一般的ですが、強弱は別として熊本空港は東風が吹かないため、西にしか離陸しないという話を過去何度か聞いたことがあります。熊本は西に開いた平野を持ちますが、東は阿蘇の外輪山という大山塊があるため、ほとんど東風は入りません。

この大山塊が唯一切れていることは大津から噴煙が見えることでも分かるでしょう。

そして、西へと開いた大峡谷によって集められた風がそのスリットへと駆け上がり抜けて行くのです。

 詳しくは、以下をお読み頂きますが、元ネタは古田史学の会の正木 裕です。

 ひぼろぎ逍遥

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阿蘇高森の「草壁吉見」神社とは何か?  C  “龍田の神を立野に祀る!”


この風神社(恐らく風の神「支那都彦」=シナツヒコ=草部吉見神)や金毘羅神社(金毘羅は大国主とされますが、百嶋説では大山咋と考えます)も境外社として排除された形跡が認められますので、これも同社の祭神から崇神系、白族系が排除された様に思えます。

そもそも田尻研究でも阿蘇北宮=国造神社は天の北極23.43度傾いており、国造神社が妙見信仰の延長にある事が透けて見えるのです。

この風の神こと草部吉見神は雲南省麗江から列島に移動して来たことは何度も申し上げて来ましたが、だからこそ支那都彦と呼ばれていたのです。志那に変えているのは戦後の話なのです。

この支那都彦と市杵島姫の間に産れたのが国造神社の主神たる速瓶玉だったのです。

瓶もその父神である草部吉見神(別名塚原卜伝が信奉した鹿島大神=武甕槌)の甕(ミカ=カメ)なのです。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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