2019年11月27日

650 九州王朝成立前夜の解明へ C “出雲の地名起源から伊豆の伊豆山神社までを考える”

650 九州王朝成立前夜の解明へ C “出雲の地名起源から伊豆の伊豆山神社までを考える”

20181009

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 無題.png古代出雲王国などと大袈裟に持ち上げられているのが出雲です。

 これまた何を馬鹿なことを…と思われるかも知れません。

ここでは、一応、出雲王国とまではしておきますが、これが九州に先行する古い王権であったと言った描き方がされる事の背景にも畿内説論者によるある種の引け目と認容が在るようにも思います。

 まず、百嶋由一郎最終神代系譜をご覧ください。それが“何の根拠になるんだ!”といったご批判への反証は一旦省略させて頂きますが…。

これについてはこれまでの1,600本を超えるblogをお読み下さいと言いたいのですが…現実には、普通の本でカウントすれば30冊にはなることから、今は自分がどこに書いていたかさえ分からなくなり、オンエア分についてはネット検索により探し出している状態になので他人に求める事も出来ない訳です。

さて、因幡の白ウサギの話や大国主の国譲りの話が実際にはどこで起こった事かお分かりでしょうか?

 部分掲載ではありますが、出雲神話の登場人物(大国主命、武甕槌命=阿蘇の草部吉見、ウムガイヒメ、キサガイヒメ=宗像の市杵島姫、豊玉姫…)から判断しても、たかだか三〜四世代目の神々の話である事がお分かり頂けると思います。例外は、相当に長命だった第二世代の天照大御神になるのですが。

 それ以前に登場する天御中主命、白川伯王の本拠地は博多湾岸にあったのであり、その時代の有明海不知火海沿岸に展開していた、火の君(これも大幡主系の人々)も九州島の人々だったのです。

 勿論、近畿大和に比べれば出雲は驚くほど早い人口の集積地なのであって、鉄も銅も造れない片田舎の奈良に比べれば、その限りにおいては荒神谷遺跡に象徴される最先端のハイテク国家としての出雲王権(それを受入れれば)は相当に古い事は間違いはないのです。

 “しかし、神集まりの話があるじゃないか!”と言われる方がおられるでしょう。

 ある意味、健全な思考であり反論ではあるのですが、出雲(湊原)の沖に隠岐の島があり、宗像の神湊の沖に沖ノ島があり、佐賀県は唐津市の湊の沖に壱岐の島がある事にお気付き頂きたいのです。

 そして、佐賀県唐津市湊の沖に神集(カシワ)島までが浮かんでいるのです。

さらに言えば秀吉の朝鮮出兵の基地となった名護屋城直下の呼子港の沖に浮かぶ加部島には田島神社があり、それが宗像大社の鎮座地である宗像市田島にさらには兵庫県但馬になっている事に気付けば、普通


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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


の方にも新たな古代世界への視野が一気に広がってくるはずなのです。

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佐賀県の唐津湾の入口に浮かぶ神集島


 つまり、対馬、壱岐、呼子、唐津、志賀島、津屋崎、宗像、遠賀、仙崎、益田、浜田、出雲、但馬…から神々(海人族の長)が集まっていた痕跡地名であった可能性があるのです。

ここまで見てくると、出雲大社と出雲王国といったものが近畿大和朝廷によって創られた大袈裟なテーマ・パーク近い物であって、古代九州を中心に行われていた海人族による婿取り嫁取りの政略結婚の場が神無月であった事が見えてくるのではないでしょうか。

 つまり、元々は九州王朝の黎明期に行なわれていた神集まりの儀式を出雲に移したものが神無月であり佐田神社の「神等去出神事」であったのではないかと考えるのは私ばかりでしょうか?

 そう思うのは、出雲(イヅモ)〜伊豆(イヅ)という地名の起源が見えてきたからでした。

 そもそも、対馬の厳原(イヅハラ)、薩摩の泉(イヅミ)、出雲(イヅモ)、但馬の出石(イヅシ)、広島の厳島(イツクシマ)神社、泉佐野(イヅミサノ)、泉大津(イヅミオオツ)、伊豆(イヅ)、伊東(伊豆の豆を東に置換えたもの…)、宮城の伊豆沼(イヅヌマ)…これ以外にも泉(イヅミ)地名が山ほどある事は皆様良くご存じのとおりです。

 これらは全て古代に活躍した白族(ペイツー)=白川伯王、天御中主(白山姫)〜大幡主〜豊玉彦=ヤタガラス系氏族=事実上の武装商船集団が展開した地に付される言わばフランチャイズ・チェーン型地名なのであり、だからこそ泉という文字も白+水(白水=熊本の白川も…)という構造になっているのです。

 この外にも、忌部の「忌」も大幡主系氏族の展開地に付される地名と考えられそうです。

 大分県国東半島の伊美、広島の因島、出雲の因幡、島根の石見、愛知の揖斐(M音、B音入れ替わり)…。もしかしたら「出雲」の派生型が「イン」であり「忌」「伊美」なのかも知れません。

 では、この「イヅ」型地名とは何なのでしょうか?

 つまりこれらは大幡主系の海人族の展開地の事であり、「出雲」はいわば海軍基地のような性格をもった拠点港の一つではなかったでしょうか。だからこそこれらの地名は等しく海岸部に分布しているのです。

 当然にもこの謎解きは対馬海流の上流である対馬の厳原(イヅハラ)に求められるべきでしょう。

大幡主の子である豊玉彦=ヤタガラスこそ龍宮城の龍王であり八大龍王にも擬せられた人物だったのであり、山幸彦=猿田彦=ニギハヤヒに龍宮に行けとアドバイスをした塩土老翁も実は博多の櫛田神社の大幡主だったのです。湊、泊、津…も(神港、軍港、漁港、商業港)各々意味のある呼称だったはずです。

 当然、その震源地(それほど大袈裟に言う必要はないのですが…)は、対馬の海人神社or和多都美神社

に求められるべきで、そもそもその地名の移動が「厳原」なのです。

 “そんな話は始めて聴いたぞ”とお思いの方は多いと思います。また、この大幡主が塩土老翁だという事についても、山幸彦が猿田彦=ニギハヤヒだったことについても、また、海幸彦が阿蘇高森の草部吉見神社のヒコヤイミミだったことについても、これまで多くのブログで書いてきましたので、ひぼろぎ逍遥+○○といったダブル検索でお探し頂ければ探索は可能と思います。

 これだけで理解して頂ける方はおられないと思いますので、具体的な対馬のイヅ地名をお示しいします。

 まず、福岡県の内陸部の筑豊から玄海灘に注ぐ大河 遠賀川の河口に「古事記」に僅かに登場するイヅノメを祀るものと考えられる神社が4社あります。

一社は久我神社となっていますが、これも同じ祭神を持つもののようです。

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ついでに申しあげておきますが、出雲にも伊豆之賣神社があったのです。以下をお読み下さい。


伊都能売『延喜式神名帳』には伊豆能売を祀ったと思われる出雲国出雲郡の「神魂伊豆之賣神社」が記載されており、同社は伊努神社に合祀されたとされているが、同社の祭神に伊豆能売の名はない。『延喜式神名帳』以外にこの神社について記載した史料はなく、伊豆能売を祀る神社は現存しないことになる。 しかし、伊豆能売の名を冠しない式内社は現存しており、三重県津市の元伊勢伝承地の一つである「加良比乃神社」は倭姫命が天照大御神を奉戴して「片樋宮」を建立した跡地に「御倉板舉神」と「伊豆能賣神」を祭祀したのが起源とされている。

ウィキペディア(20181010 1401による


詳しくは、以下をお読み頂きたいのですが、

 ひぼろぎ逍遥(跡宮)

454

伊都能売神(イヅノメノカミ)を奉斎する方々へ A

453

伊都能売神(イヅノメノカミ)を奉斎する方々へ @

438

伊豆能売の神とは何か? E “伊豆能賣の中間調査を終えて思う事” 

437

伊豆能売の神とは何か? D “伊豆能賣は 何故「イヅノメ」と呼ばれたのか?”

436

伊豆能売の神とは何か? C “遠賀川左岸に伊豆能賣を発見した ”遠賀町の伊豆神社“ 

435

伊豆能売の神とは何か? B “遠賀川右岸の二つ目の伊豆神社の元宮か?”久我神社 

434

伊豆能売の神とは何か? A “二つ目の伊豆神社” イヅノメの神が少し分かってきました

433

伊豆能売の神とは何か? @ “遠賀川河口の両岸に伊豆神社が並ぶ”


この中で対馬の厳原、ひいては「イヅ」型地名の起源ではないと思えるものを取り上げていますのでご覧ください。以下、一部を再掲載。


437 伊豆能売の神とは何か? D “伊豆能賣は 何故「イヅノメ」と呼ばれたのか?” 20170622


 無題.pngこれまで、架空とか「埋没神」とされてきた伊豆能賣を探しだしその周辺の探索まで行ってきました。

 普通は、発見しただけで満足しても良さそうですが、まだ、伊豆能賣を豊玉彦の娘の豊玉姫だとした理由には納得されていない方は多いと思います。

 まずは、崇教真光の嘉穂道場の祭壇に大国主命が主神に沿うように祀られていた事が切っ掛けでした。

同教団の祭神は御親元主真光大御神と伊都能売大国魂大国主之大神(イヅノメオオクニタマオオクニヌシノオオカミ)=伊都能売様とも呼ばれています(これは恐らく夫婦神ですね)。

 大国主のお妃ならば、同じく宗像三女神のお一人の市杵島姫でも良さそうですし、大国主の母神や娘の可能性もあるでしょう。従ってこれだけでは決め手を欠いていると言わざるを得ないでしょう。そこで思い出したのが二番目のblogでした。


434 伊豆能売の神とは何か? A “二つ目の伊豆神社” イズノメの神が少し分かってきました

 伊豆神社の参拝殿には「厳神社」…

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大国主命周辺の女性を探すのが近道なのです 百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 無題.png伊豆の文字の置換えである対馬の厳原を思い出した時に謎が解けました(当然厳島の「厳」もですが…)。

 先年亡くなられたと思いますが、対馬の郷土史家と言うより民俗学者の永留久恵氏の名著であり大著の「海神と天神」の第三部 民俗編 第四章 「イヅ山とホリ山」(255267p)が頭に浮かんできました。

 伊豆能賣の伊豆とは対馬の厳原でその原型が木坂の海神神社の社地の居津山(伊豆山)、居ツ原(イヅバル)である事を永留先生は書き留めていて頂いたのでした。では、冒頭の数ページをご紹介しておきましょう。


…「イヅとは、イツクことである。神を斎き鎮める意で、居著くことでもあり、祾威とも書く。またホリとは「葬り」に相違ない。保利の山中が古い葬地であったことから見て、この見解に疑いの余地はない。」…


 無題.png後は、本著をお読み頂ければ分かるのですが、要は、対馬の木坂の海神神社の裏にある居津山、居ツ原こそが対馬の厳原、安芸の宮島の厳島神社、当然にも伊豆大島、もしかしたら、出雲、出石(スサノウがアカルヒメを追った兵庫県出石)も…この延長上に移動した地名である可能性があるのです。

 百嶋神社考古学の立場から言えば、大国主命のお妃のお二人は宗像三女神の市杵島姫、豊玉姫(タゴリヒメ)であり、イヅノメに相応しいのは、豊玉姫であろうことは一目だったのです。それでは、木坂の海神神社の祭神を見ることにしましょう。


無題.png海神神社 カーナビ検索 長崎県対馬市峰町木坂247  0920-83-0137


祭神  豊玉姫命  配祀  彦火火出見命 宗像神 道主貴神 鵜茅草葺不合命


 伊豆能賣は市杵島姫ではなく、対馬の海神神社の主祭神(父神の龍王=豊玉彦=ヤタガラスはいつも背後に隠れておられますが…とは百嶋先生のお言葉でしたが)の豊玉姫に対応する事は伊豆=(居津原、居津山)地名と遠賀川流域の伊豆神社の祭神配置によって明らかだと思います。

この対馬の海神神社もしくは和多都美神社(長崎県対馬市豊玉町仁位550920-58-1488)に対応するだろうことは見当がついていました。

それは、水巻町頃末の伊豆神社の祭神に彦火々出見命(実は山幸彦=ニギハヤヒ=猿田彦)、玉依姫命(実は鴨玉依姫)、塩土老翁(実は豊玉彦=ヤタガラスの父神)であることを見た時から、温めていた構想でした。

釣針を失ったとして途方にくれている山幸彦に塩土老翁が龍宮に行き龍王(豊玉彦)に逢う事を薦め、後に龍王の娘である豊玉姫(後に山幸彦のお妃となる)と出会う事に神話ではなっているのです。

 その神話の舞台が、木坂の海神(対馬一宮)なのか、こちらの和多都美神社なのかは、まだ、分からずにいます。思えば「海神と天神」を手に随行者と共に三泊四日で両社を巡ったのは十五年も前の事でした。

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仁位の和多都美神社前の参道としての海の鳥居 社殿は手前にあります


御祭神 彦火火出見尊 豊玉姫命 渡海大明神(多分この神が大幡主ですね)『對州神社誌』では 彦火火出見尊 鵜茅葺不合尊 とあります。『大小神社誌』 祭神二座 

 こちらででも対応しそうです。百嶋神代系譜を見て下さい。山幸と豊玉姫の間に産れたのがウガヤフキアエズなのです。いずれにせよ海幸山幸神話の重要な舞台はこの一帯なのです。以下、地図でご確認ください。また、対馬に行きたくなりました。あの頃よりは少しは神社が見える様になっていますので。

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           峰町木坂の海神神社        旧豊玉町仁位の和多都美神社

以下256p

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無題.png

 対馬の伊豆山こそが厳原の起源であり、出雲の消えた「神魂伊豆之賣神社」〜頼朝と政子がであった事で知られる伊豆半島の「伊豆山神社」(今は祭神が草部吉見に入れ替えられていますが)になっていることが分かるのです。一応、イヅノメとは豊玉姫のことであろうと考えます。ただ、市杵島姫(瀛都島姫)の可能性も捨てきれません。ここでも「瀛」イン、イツキ奉るが出てくるのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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