2019年11月15日

646「風呂地名」の解明へ “千葉県の例から”

646「風呂地名」の解明へ “千葉県の例から”

20180815

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 先にひぼろぎ逍遥に以下を書きました。


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「風呂地名」の解明へ “それは行水への思考回帰から始まった”A

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「風呂地名」の解明へ “それは行水への思考回帰から始まった”@


まずは、 自然体で、興味を持ったことを・・平成25年6月:間質性肺炎患者に

地名:興味津々。10月30日81万ヒットに。感謝!ギターを手に!高齢・病気を機に


 というサイトから引用させて頂きました。


  千葉県千葉市   中央区生実町 風呂口(ふろぐち)        *情報頂きました。

  千葉県千葉市   緑区大木戸町 風呂ノ前(ふろのまえ)      *情報頂きました。

  千葉県千葉市   緑区大椎町  風呂口(ふろのくち)       *情報頂きました。

  千葉県市原市   喜多     風呂ノ前(ふろのまえ)      *情報頂きました。

  千葉県佐倉市   岩富     風呂下(ふろした)        *情報頂きました。

  千葉県いすみ市 岬町三門    風呂川(ふろがわ)        *情報頂きました。

  千葉県いすみ市 松丸      風呂ノ下(ふろのした)      *情報頂きました。

  千葉県長生郡  睦沢町寺崎   風呂屋(ふろや)         *情報頂きました。

  千葉県長生郡  睦沢町大谷木  風呂屋(ふろや)         *情報頂きました。


房総、常陸エリアの「風呂」地名でもあったことから、「未知の駅…」というサイトを運営されている当グループのメンバーT女史に照会したところ、以下のリポートを短時間でお送り頂きました。


無題.png

無題.png先日はデータを送っていただきありがとうございました。県内の「風呂」地名を調べ終わったので、ご連絡いたします。


千葉市中央区生実町風呂口  

千葉市緑区大木戸町風呂ノ前  

千葉市緑区大椎町風呂口


当方で無理にお願いした玉前神社(百嶋神社考古学では天照大御神の母神とする)というリポートも書かれています

市原市喜多風呂ノ前 

市原市西国吉風呂ノ下

佐倉市岩富風呂下 

いすみ市岬町三門風呂川 

いすみ市松丸風呂ノ下 

いすみ市行川風呂下

いすみ市井沢風呂川

睦沢町寺崎風呂屋 

睦沢町大谷木風呂屋

匝瑳市八日市場イ風呂内

香取郡下総町名古屋風呂下

香取郡下総町名木水風呂

東庄町小南風呂ノ下

香取市香取フロノワキ

香取市吉原フロワキ                             以上18カ所です。


千葉市内の風呂地名については、かなり開発が進んでいる地であるため、小字が載っている地図との照らし合わせが非常に難しいと思います。

県内の外の市町村の小字地図が入手できましたら検証してみたいと思います。        ○ミ○カ


このように最初の9件に加え、半分の程度の重複はあるものの、さらに加えて合計18件の風呂地名の拾い出しをして頂きました。

 さすがは、歴史と地名に詳しい○ミ○カさん、ご協力に感謝します。

 当方は現場についての感覚、土地勘が不足しているため、データが増えただけの事かも知れませんが、既に、やたらゴルフ場開発を行なった千葉県の事、現場を確認するその現場が原型を全く残していない以上、単に現場に精通しているからと言ってどうなるというものでもありません。

 最早、国土調査による旧地名の消失も相まって大都市近郊での地名研究は、ほぼ、不可能と考えており、拾い出しが出来ただけ有難いと考えるべきでしょう。

「風呂地名」の解明へ “それは行水への思考回帰から始まった” で書いた様に、この地名は、高温多湿で汗をかきやすい日本の風土に於いて、ある時代から体を清潔に保つための方法を巡ってある傾向を持った人々の風俗、文化に関わるものであるように思えるのです。

ただ、このようなどこにでもある普通の民俗には書き留められた文献が有る訳もなく、極めて薄い情報を処理せざるを得ないのです。荒唐無稽と考えられるならそれはそれでよい事であって、逆に、では何なんでしょうか?と教えをお聴きしたいぐらいなのです。

恐らく、これは沸かしたお湯に肩までどっぷり浸かるタイプのお風呂ではなく、あくまでも半密閉空間での焼石の水桶への投入による蒸気風呂もしくは焚火によるサウナだったのではないかと考えています。

今のところ確認できる事は僅かです。

@   この手の地名が列島のかなり多くの地域に分布していること。

A   その分布にかなりの偏在があることから、列島人の中にも、この地名に相当するであろう、しかも、現在では比較的少数派となった「蒸し風呂」文化の存在とそれを好む人々と好まない人々がいた事を意識せざるを得ないのです。

少なくとも、千葉県にはこれを好む人々が広範にいた事が分かるだけです。

ここで、ネット検索を駆使して概要を掴む作業を始めました。

まず、九州では福岡、佐賀、長崎、熊本にはないことは見当がついていました。

しかし、鹿児島、宮崎、大分など東九州にはあるのです。そして、高知県、愛媛県、香川県、徳島県、山口県、広島県、岡山県にもあるのですが、島根県、鳥取県には拾えません。

畿内(兵庫県にあることは確認しています)を後回しにして、とりあえず大凡の西日本の九州、中国、四国の傾向は掴めます。

一度にはできませんので、以後、数回にわたり、畿内、中部、甲信越は次回取り組むことにします。

ネット検索を続けていると、大変有難いサイトに遭遇しました。

自分の直感によって、「風呂」(フロ)が「室」(ムロ)ではないかと気付いたような気になっていたのですが、実は、柳田國男先生と、それに連動する「風呂と日本人」(p95、p144)で解読されていたのでした。まあ半分は大家の説によって補強されたのですから悪い気持ちはしないのですが、まさに、“あらま欲しきは先達也…”で見当違いではなかった事は喜ばしい限りです。

ただ、定本柳田國男全集(第14巻)を完全に読んでいる訳でもなく、致し方ない限りです。

しかし、筒井功:「風呂と日本人」文春新書(2008年)は書店で見ていましたので読んでおくべきでした。無念です。


無題.png

よくある地名の語源 「ふ」

ふろうがたに(不老が谷)【興津】不老は「フロ」の転訛か。ふろのたに(風呂ノ谷)【風呂(与津地)、風呂ノ谷(江師)、フロノ谷(下道・下津井)、フロガ谷(大正北ノ川)、風呂ノ本(七里・親ヶ内】フロは、ムロから転じた語で「籠る所」の総称。かまどを中崎、宮崎、鹿児島でフロ。七輪を福岡、大分北西部でハヤフロ。長火鉢のことを富山県ではヤマトブロ。フロはムロに同じで土窟・洞窟・岩屋などの意味のほかムロ、ミムロと同じで、もともと神のいます所を意味するものとされている(民俗地名語彙辞典)。また、森もまたフロである(柳田国男「風呂の起源」)。

長宗我部地検帳にみられるホノギ「風呂」関連地名を四万十町内で探してみると、風呂ノモト(茂串町)、フロノタン(宮内)、風呂コウツキ池(口神ノ川)、風呂ノ谷(寺野)、フロノ谷(本在家)、フロノモト(柳瀬)、フロ(与津地)、風呂ノモト(親ヶ内)、風呂ノ段(上岡)、風呂ノ谷(江師)、風呂ノ谷(里川)、風呂ノ段(大井川)、風呂ノ北(戸川)の13か所ある。

また現在の四万十町内の字を拾うと、風呂ノ本(柳瀬)、目サフロ(勝賀野)、風呂(与津地)、風呂ノ本(親ヶ内)、フロガ谷(大正北ノ川)、風呂ノ谷(江師)、フロノ谷(下道)、フロノ谷(下津井)、一ツ風呂(戸川)の9か所ある。ホノギと字の関連で読めばうち4か所比定されることになる。

筒井功氏は、高知県の小字一覧からひろった88箇所の風呂地名を現地踏査して「フロガ谷」、「風呂ノ谷」、「フロノモト」、「不老谷」などの風呂地名と城郭地名との関連性を指摘している。「フロはもともと発汗浴を意味し石室あるいわ土室のムロがフロの語に転訛。(中略)風呂地名は中世後期の山城と深くかかわっており、多くが山城跡の直下に位置している。」(「風呂と日本人」p95、p144)と高知県下の事例を基に推察している。中世の地検帳にでてくるホノギ「フロ」地名は、風呂と解釈しても時代考証としては、今の温湯浴ではなくサウナ風呂である。井原西鶴「好色一代男(1682)」の挿絵にあるのも蒸し風呂が主流であったという。十辺舎一九「東海道中膝栗毛(1802)」で弥次さん北さんが小田原宿で初めて入る五右衛門風呂がでてくるのは江戸の後期である。風呂好きな日本人が、地名に記号として風呂を刻むのも理解できる。戦傷病者の湯治としての温泉効能は「テルマエ・ロマエ」が証明している。


概略は以下でも分かります。

無題.png

柳田國男の「風呂の起源」20110928() 延寿通信第98号 201110


風呂の発生、起源については本欄にて、いろいろな立場から取り上げてきましたが、これまでの理論とは一味違うのが、民俗学者柳田國男の「風呂の起源」です。今から100年近く前に発表されました。残念ながら、あまり深く突っ込んでなくて、結論がややあいまいなのですが、民俗学の立場からみた「風呂の起源」ということで紹介します。

柳田國男(1875-1962年)は日本の民俗学の生みの親として、民俗学に基づいた沢山の論文、随筆を発表しております。東北地方寒村の民話を集めた『遠野物語』は柳田國男の代表作で、今日も広く読まれております。柳田は大学卒業後、農商務省に勤め、官僚の職にありながら、民俗資料を集めて日本の各地を調査しました。官僚を辞めたのち、朝日新聞社に入社して本格的に民俗学分野を固めて、その一方では民俗学普及に努め、研究成果を発表しました。

民俗学というのは、風俗や習慣の言い伝えほか、有形・無形の資料を用いて日常の暮らしの歴史を明らかにして、現在の生活文化に反映させてゆく学問です。今、流行の文化人類学に近い学問領域です。

このような立場で柳田は日本各地の風呂にかかわる民話、言い伝えを集めて、入浴・風呂の起源を論じているのです。民俗学という学問を理解するうえでも、参考になるところが多いのではないかと思います。


1.風呂(ふろ)という言葉の語源

柳田國男は冒頭に、風呂という言葉の解釈にこだわります。語源というか、風呂と言う言葉が、どこから、どのように発生したか、ということです。

明治の中頃、わが国で最初に出来た近代的な国語辞書『言海』の編者大槻文彦は、風呂は茶の湯の風炉(ふうろ、ふろともいう:釜をのせて炭火で湯を沸かす小型の炉)からきているという解釈をしておりますが、この説明を柳田は否定しています。

風呂の構造上、および語句の点では、この風炉というのは風呂に近いので理解しやすいのですが、中世の上層階級の高級な茶の湯の道具は風呂には似つかわしくないと柳田は判断したのでしょう。

茶の湯説でゆくと、風呂という言葉が中世に生まれたということになりますが、古代から続いている温泉や河川で浸かる行水的入浴、あるいは仏教の浴堂は長い歴史がありますので、時代の面でずれを生じ、十分の説明が出来ません。

なぜ入浴することを風呂に入るというのでしょうか。また、入浴する場所を風呂場ともいいます。柳田は 風呂(フロ)は森と林にかかわりがあり、森が風をさえぎる暖かい場所ということから、きているのではないかということを一つの説としてあげています。森や林のことを、中国地方はじめ、紀州ではフロとよんでいるところがあるそうです。日本の各地で神の社(やしろ)もフロという地域があり、これらも、やはり風呂につながるのではないかというのが柳田説の一部です。

一方、山奥に風呂という地名がところどころにありますが、これは、もともと寺の浴場があった場所や、温泉があった所につなげることはできないので、このことは直接、風呂の語源には結びつかない、といっております。

2.入浴の始まりと風呂の形 

わが国固有の入浴法は、海や川に浸かって、身を洗い、あるいは行水のように、たらいの中で身体を洗うのが始まりですが、僧侶は水に浸かって垢をこすり落とし、心気を養うことを修行の一つとし、蒸気の立ち込めた浴室で行うようになりました。これが入浴の始まりではないか、と柳田は主張しております。

寺院の風呂は、当初は浴槽とは別の場所で湯を沸かし、その湯を浴槽に注ぎこみました。

仏教起源説は、本欄でも以前に紹介しましたが、仏教以外に、キリスト教もやはり、神聖な水で身体を清めることは行われております。洗礼というのはその一つです。一方、神道では禊(みそぎ)ということが行われ、今日でもなお、各地の神社や、神域では盛んに禊は行われております。神道から離れて、禊を心の修養として行う場合もあります。ただし、禊は水に限っており湯ではいたしません。宗教に共通するところがあるので、水浴を仏教起源というよりも、宗教起源といってもいいでしょう。

柳田は前述のように、神の森は風呂の語源の一つであると、主張しています。森の中で人の侵入を禁止していた場所を地域によってはフロといっていました。神のフロは天然の山の洞穴にあったので、これが蒸し風呂につながってゆきます。鹿児島県のある地区では、かまどのことをフロと呼んでいますが、このかまどが石で囲まれているので、蒸し風呂の形になります。対馬のある地区ではかまどのような大きな岩をフロと呼び、もともと三方を石で囲まれた場所は神を祀る神聖な場であり、地元の人は大事にしてきました。

3.室(むろ)と風呂

柳田論では風呂を取り上げる場合に、これまで本欄で取り上げてきたように、温泉や河川に浸かり、直接身体を水または湯にひたす、いわゆる温浴・入浴と、蒸し風呂すなわち蒸気浴とを明確には区別していません。

温泉に浸かるということは、歴史的には古く、歴史以前からの習俗でありました。日本各地には古来、温泉はあり、これには湯治の目的が多かったようですが、もちろん心身を休めるために入いる場合もありました。

一方、風呂を沸かすとなると、古代では、水の供給、湯を沸かす方法、風呂釜のこと、さらに浴槽もこしらえねばならないので、簡単にはゆきませんでした。

柳田は風呂の元祖は岩屋、石室であったであろうと述べています。これは蒸し風呂です。この入浴法が民間に伝わり、やがて五右衛門風呂となって、直接、湯を湧かして身体を浸す浴槽方式に発達してゆき、そして、風呂付の家になってゆくという説明です。

 古代の風呂は山や海岸の洞穴のような所にあって、そこで草木を燃やし、大量の海水をかけて蒸気を発生させて、洞穴に蒸気を充満させた、ということが蒸し風呂の起源になっております。この様式の蒸し風呂は今日もなお残り、四国、中国地方の海辺では、一部で使われております。この洞穴をムロ(室)と呼んでおります。室という字を、フロと呼んでいる地域は多いそうです。

山に住むサンカ(深い山奥にて狩猟、木工細工で生活した人)、あるいは川原こじきは、穴を掘って底に油紙を敷いて、その水たまりに、別のところで焼いた小石を投げ込んでこれを湯にして入浴していたという話は、しばしば耳にすると柳田は言っています。また、伊勢の住民が流木を拾い集めて湯屋の燃料にする特権を有していたことも聞いたことがあると述べています。この話は江戸において伊勢地方出身者が銭湯の営業に活躍していたという話につながります。

柳田は、これらの伝え話の虚実は分からないとしつつも、風呂の発生はこのような下層階級の住民の入浴方法が元になっているのではないかと、述べています。しかし、これらは伝聞を紹介する程度で、深い追求はなされていません。少なくとも、冒頭の茶の湯起源説を否定する柳田説の背景は理解できます。

柳田國男の「風呂の起源」が発表されたのは、大正4(1915)であり、以前に本欄で紹介した蒸し風呂起源説の本、筒井功『風呂と日本人』は2008年の出版ですから、100年近く柳田説が古いので、観点は同一ではありませんが、柳田説には先発者の苦労がうかがわれます。

筒井功『風呂と日本人』は、日本各地を歩いて取材し、柳田とは違って、風呂の起源を系統的に深く調べており、結論も明快です。ご興味ある方には一読をお奨めいたします。

<参考資料>

柳田國男:定本柳田國男全集第14巻、筑摩書房(1969年)

筒井功:風呂と日本人、文春新書(2008年)

Posted by 管理者 at 1009


しかし、私が考えている事はかなり違っていますので、ここでは簡略化して箇条書きにしておきます。

それは、畿内、中部、甲信越と随時、作業を試みますので、その都度考え方も修正されて行くだろうからです。


1)

まず、各々の民族の持つ言語特性から「室」(ムロ)を「風呂」(フロ、ブロ)としか発音できない人々が、「風呂」地名を残したのではないかと考えています。従って、「室」(ムロ)と呼んでいる人々がもう一方には居るはずで、単に「風呂」地名が面白い為に問題にされていると考えています。

この背後に存在するのは、目を瞑る(ツムル)と瞑る(ツブル)や、帽子を冠る(カムル)と被る(カブル)や噛む(カム)と食む(ハム)…といくらでも拾えるのですが、M音とB音が入れ替わっても殆ど意味が変わらない言語が日本語には大量に存在するのです。

恐らく、M音が古く、B音が新しいのですが、日本語の呉音と漢音の対抗現象と対応しているはずで、今のところ、日本人が元は大陸からの移住者によって形成されている証拠なのかも知れないのです。

2)

今調べた段階で、福岡、佐賀、長崎、熊本、島根、鳥取…に「風呂」が存在しないという地名の偏在する分布を見ると、どうも九州西岸から北上、東流する対馬海流が洗う山陰の海人族=江南系(呉、越、楚人)のエリアに居る人々と、鹿児島、宮崎、大分から九州東岸から四国、中国のエリアに展開した熊襲系(大山祗系=実はトルコ系匈奴)の対抗のように見えるのです。

なお、大国主は大山祗の息子ですが、母は大幡主の妹埴安姫=ヤタガラスの母であり、実質的には大幡主系海人族への入り婿なのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 大陸の浙江省〜福建省辺りの「閩越」が蒸し風呂に入るという話は無いのであって、どうみても水と燃料が乏しいシルク・ロード周辺のサウナ、蒸気風呂の文化を持ったトルコ系匈奴、鮮卑、高句麗、モンゴル系民族の列島への進出とこの「風呂」地名が対応しているのではないかと考えているのです。


百嶋由一郎氏が残された音声CD、手書きデータスキャニングDVD、最終神代系譜を必要な方は09062983254までご連絡ください。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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