2019年11月10日

ビアヘロ107 「サンゴ礁からやって来た猿田彦」なる講演をやらかした古田史学の会の会員の宮司

ビアヘロ107 「サンゴ礁からやって来た猿田彦」なる講演をやらかした古田史学の会の会員の宮司

20190909

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


これは数年前に自分の目で確認したものですが、熊本県内の某地名研究会に於いて行われた猿田彦を巡る講演の話です。

ここではその全貌と(といっても内容は極めて単純であって説明するほどのものでもないのですが)その手口と全体を通じた行政や通説に尾を振る情けない精神性をご紹介しようとするものです。

猿田彦がヒラブ貝に挟まれて死んだ…という話は良く知られており、読者の皆さんもかなりご存じではないかと思います。

無題.png

故、其の猿田毘古神、阿邪訶に坐す時、漁為て、比良夫貝に其の手を咋ひ合さえて、海塩に沈み溺れたまひき。故、其の底に沈み居たまひし時の名を、底度久御魂と謂ひ、其の海水の都夫多都時の名を、都夫多都御魂と謂ひ、其の阿和佐久時の名を、阿和佐久御魂と謂ふ。


猿田毘古神(サルタヒコノカミ)が阿邪訶(アザカ)にいるとき、漁をしていました。すると比良夫貝(ヒラブガイ)に手を食われて挟まれて、海に沈んで溺れてしまいました。

海の底にいたときの名は底度久御魂(ソコドクミタマ)。

海の水が泡になったときの名は都夫多都時(ツブタツミタマ)。

その泡がはじけるときの名は阿和佐久御魂(アワサクミタマ)といいます。


「日本神話・神社まとめ」サルタヒコが溺れる 古事記(現代語訳・口語訳の全文による


実は私もアクアラングは使わないものの、シュノーケルだけで耳抜きしながら10メートル(23分)ぐらいは潜っていました。

このため、シャコガイなどに遭遇する事は無いにしても、もしも眼前にしたら棒は良いとしても絶対に手足を差し込む事だけはやってはならない(当然、ナイフなしには服やベルトも)…という話は聴いていました。まあ、ヒラブ貝が何かの問題もありますが、多少奇妙な話であります。

勿論、我が国では言論は自由であると謳われており、憲法の規定それ自体の正統性を巡る議論も含めどのような発表も許されますが、問題はこのK県K市K八幡宮の宮司が講演した内容と論証方法にあります。

一つは彼が古田史学の会のメンバーであり(これは私が直接本人から確認しました)、講演する以上それなりの九州王朝論に立った講演を行うであろうと言う事がある程度推定されるはずなのです。

只会員自体にそうしなければならないという縛りがある訳ではありませんので誤解が無いように。

講演の全てを再現する必要もないでしょうが、要は、@「古事記」に猿田毘古神はひらぶ貝に挟まれて溺れ死んだとある。A従ってひらぶ貝は南方の貝である以上猿田彦は珊瑚礁からやって来た。Bあたかも蝦蟇の油売りのようにひらぶ貝は何かを見せ(単にシャコガイと判断してはいないようで別の貝を持ち出していましたが)それを持って実証性を装い、猿田彦は珊瑚礁が多い一帯の出身であるかのような講演を行っているのです(本人が本気でそう考えていたかどうかも疑わしく参加者への受けだけを狙ったのかも)。

一般的にはシャコガイだろうと推定されていますが、有明海などに多いタイラギ(大きいものは50センチ近いものもある)の可能性も指摘されています。

まあ、所詮は素人の集まりでの講演ですから目くじらを立てる必要などはないのですが、既にこのような人物が古田史学の会に存在している事実は理解しておくべきでしょう。

どう見ても古田武彦の研究手法とは異なる訳でその意味で古田史学の会のメンバーには相応しくないと思う上に、大道芸風に客寄せを行ない、「古事記」の記述を無批判にそのまま受け入れている事からして、大衆受け、通説から一歩も出ていないという意味で教育委員会にも受け入れ可能で、行政に取り入ろうとするさもしい匂いがプンプンする浅ましい人物である事は一目なのです。

多分、当初から“研究会の運営には行政とか教育委員会との関係は切り離せない…”と公言していましたので、弱小神社の宮司である事から行政の顔色を伺い、教育委員会との親密な関係を維持し知識を披露したいと考えているだけの人物であろうことは一目なのです。

卑しくも古田史学、九州王朝論の立場に立つ人間とは、行政、教委、考古学協会…といったものから独立した姿勢を保ち、かつての権力が隠し尚も隠し続けているような古代史の深層を探り出そうとするのがあたりまえであって、村興し町興し、果ては世界遺産登録に全面協力するようなものからは自らを切離し独立性をこそ保つべきはずなのです。

まあ、小神社の宮司と言う立場から仕方がないとしても、さもしい人物、浅ましい人生との誹りは免れないのであって、そのような輩が幅を利かすような団体からは一片の真実も転がり出る事はないでしょう。

従って九州王朝論なるものに関わる団体の牽引車となるべき人とは、反権力とまでは要求しないものの、その手先でしかない連中に尾を振り摺り寄ろうとするような姿勢は取るべきではないのです。

世界金融マフィアに嵌められ一部は乗った自存自衛のための大東亜戦争期に於いても、自らの保身だけで煽った側の中心勢力に神社の神官もいたのですが、積極的に行政に近づこうとする性格を持たされた以上に積極的に動いたさもしい人物も数多くいたのです。それが純粋な愛国や護国に裏付けられていなかった者も多数いた事は間違いないでしょう。まあ、今回の話はこのさもしい人物が純粋であるべき古田史学の会にも紛れ込んでいる事をお伝えしただけの事で些細な話でしかありません。さもしい人物とはどこにでもいるのです。

さて、このような胸糞の悪くなるような下劣な人物の事は無視して役に立つ議論に戻りましょう。

実は大変有難い事にネット上に「猿田彦命祭祀神社分布地名表」なるものがあります。しかもご自由にお使いくださいとも書かれているのです。

無題.png

これは福岡県の130件のデータの一部とその分布図です。全部は調べていませんが、各県別に拾い出しを行ない作成されているようです。各県でご活用ください。しかも自由に使って下さいというのです。

私自身も、有明海〜不知火海沿岸の全ての猿田彦が祀られている神社を廻り調べていますが、それ以外についても少しずつ作業を行っているところです。

仮に猿田彦を論ずるとしても、この背景の一つとなる猿田彦神社の性格をある程度調べて議論するべきであって。

無題.png

「熊本県に於ける猿田彦命祭祀神社地名表」

無題.png

当時、特に重要と考えた有明海不知火海沿岸の10社を全て踏み(勿論、県内の猿田彦系神社もあるのですが)、肥後の猿田彦(実は山幸彦)と塩土老翁(実は博多の櫛田神社の主神=ヤタガラスの父神)が祀られていることを突き止めかなりの稿を書き下ろしたのでした。


310

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! E 鹽土老翁神から猿田彦=ZALT彦説

309

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! D 水俣市塩浜運動公園の塩釜神社

308

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! C 天草市五和町塩屋大明神正面の塩田跡

307

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! B 天草市志柿の中之塩屋大明神

306

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! A 上天草市阿村の塩釜神社

305

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! @ 宮崎の野島神社から

301

日南海岸の野島神社の塩筒大神(塩槌翁)と猿田彦(白髭大明神)の複合が肥後にも…

300

大宮神社と猿田彦大神 S “総括:百嶋由一郎神代系譜と猿田彦”

299

大宮神社と猿田彦大神 R “広島県庄原市の蘇羅比古神社にも山幸と豊玉姫が…”

298

大宮神社と猿田彦大神 Q “岡山県津山市の大美禰神社も天宇受賣命を祀る古社”

297

大宮神社と猿田彦大神 P “『儺の国の星 拾遺』の真鍋大覚は猿田の意味を知っていた”

296

大宮神社と猿田彦大神 O “猿田彦は何故猿田彦と呼ばれたのか?”

295

大宮神社と猿田彦大神 N “ひぼろぎ逍遥051 出雲の佐田神社と安心院の佐田神社 再掲”

294

大宮神社と猿田彦大神 M “鹿島、香取でご存じの香取神社の経津主も猿田彦大神なのです”

293

大宮神社と猿田彦大神 L “福岡県豊前市の四公神社“

292

大宮神社と猿田彦大神 K “全国展開された猿田彦大神“

291

大宮神社と猿田彦大神 J “古代日向のヤゴローどん も猿田彦なのです“

290

大宮神社と猿田彦大神 I “山幸彦=猿田彦のもう一つのルーツについて”

289

大宮神社と猿田彦大神 H “猿田彦専門のサイトから”

288

大宮神社と猿田彦大神 G “猿田彦がニギハヤヒで山幸彦であることについて”

287

大宮神社と猿田彦大神 F “山幸彦=ニギハヤヒは博多の櫛田神社の主神の

大幡主の子であった”

286

大宮神社と猿田彦大神 E “佐野経夫(神理教教団)と菊鹿町「吾平」の

ウガヤフキアエズ陵”

285

大宮神社と猿田彦大神 D “佐野経夫(神理教教団)と猿田彦大神”

284

大宮神社と猿田彦大神 C 転載 “櫛稲田姫(クシナダヒメ)は熊本県山鹿市で産まれた! ”

283

大宮神社と猿田彦大神 B “大宮神社の地主神が大宮神社の主祭神か?” 

282

大宮神社と猿田彦大神 A “大宮神社の猿田彦大神石塔と摂社群” 

281

大宮神社と猿田彦大神 @ “山鹿市の大宮神社とは何か?

無題.png

希望される方は送料作業料込1,000円でお送りします。PPパワー・ポイント09062983254


例えばですが、猿田彦の本質を探るにしても、このように肥後(これは現場が肥後だったからですが)の猿田彦系神社を実踏し祭神を調べ直しこの神様の実態を捉え直す作業をすべきなのです。

こういった作業こそが古田武彦氏が取った手法であり、単に「古事記」を丸呑みし都合の良い部分だけを取り出し正しいものとして結論に飛び着きそれを前提に道化的パフォーマンスを行い聴衆を躍らすというデマゴキストが前述のK県K市K八幡の3K宮司だったのです。

この男の人間性に関してはバック・ナンバーでも触れていますので、興味のある方は適当に拾い読みして頂きたいと思います。


これまで色々な研究会に接触し、拝聴し、あるいは参加し、あるいは幻滅の後離脱して来ましたが、研究会の在り方に関しては考えさせられるものが多々あります。

 まず、インターネットが普及した事によって、大学教授や学芸員といった方々による情報独占、知識独占の構造が破壊され、ネット上には多くの在野の研究者がこれまでのものをはるかに上回る研究内容を公開されておられる事に気付きます。

 ここで考えて頂きたい事があるのですが、在野の研究会が果たす役割がそれなりの意味を持っているのは事実ですが、これらの多くは戦後の自由な雰囲気で勃興した民間在野の研究者の集まりだったことは既に忘れられていますが、想像すれば容易にお分かり頂けると思います。

 重要なのは、どこかの大先生の話を聴く会ではなく、若き研究熱心な民間研究者の集まりから始まったのでした。

 つまり、皆がそれなりの意欲を持った研究者の団体がその母体であり、現在の様な大学教授や学芸員といった既存の通説を拝聴する会ではなかったという事が重要なのです。

 ところが、これらの勃興期の研究者たちの多くが高齢化し消え失せたことによって、形だけの会の存続のために、金に任せて行政丸抱えといった形で信頼されてもいない通説を垂れ流す講演会、シンポジウムといったものが目立ち始めています。

 ただ、所詮は学会通説に阿る内容でしかなく、等しく面白くなく幻滅させられるだけなのですが、彷徨う人達は入れ代わり立ち代わり、あたかも虫のように吸い寄せられては消えて行く事になるのです。

 そうした中に、在野の小団体の中からも行政に釣り上げてもらおうとする半端な研究者が重用される契機も産み出されているようです。

 しかし、例えば九州王朝論といった話でもしようものなら次回から使用してもらえない事から、適当なところでお茶を濁し、行政にも受け入れられる中途半端で曖昧な民俗学的内容などで次回からも使って下さいとするさもしい人間までが現れる事になるのです。

 つまり、金と行政のネット・ワークを握った小役人どもに利用される芸人といった小物が思いっきり尾を振り擦り寄りワンと吠えることになるのです。

 ましてや、まさに、そういった方の職業が仮に神職とかいったものでもあれば、さもしさ、見苦しさも倍加する事になるのです。


無題.png 画像は一般的なもので本文とは無関係です


まず、神社とか寺院とかいったものは、現世救済という実利団体は別として、直接、民衆に対して、目先の利益とか物理的に役に立つものを提供する組織でありません。

しかし、列島に住む人々は、自らの食を削り、永きにわたって僧侶や神職を経済的に支えて来ました。

このため、僧侶や神職とか言った人々は民衆に養ってもらい民衆に食べさせてもらっていると言う自覚を持つ必要があり、要求はされないものの底流では清廉潔白な生き方をすることを求められているのです。 

それだけに僧侶や神職といったものは、間違ってもベンツを乗り回したり、パチンコに興じたりするのはもってのほかで、本来は、日々、学問に励み(それも真実を追求し民衆に伝える義務を負っているのであり、間違っても権力の手下として尾をふるような嘘学問のまねはできないのです)、清廉な生き方をし、最低でも氏子、広くは民衆と地域のために奉仕し続けなければならない責務をおっているものなのです。

このため、戦前の延長のような感覚で偉そうに氏子に過度の要求をしたり、教訓めいた事ことを言う宮司を見掛けますが、彼らが受け取る報酬とは、所詮、法的な裏付けがないもので、氏子、檀家と言ったものが精神的に離反したり、民衆自体が疲弊したりすれば、たちどころに生活の基盤を失うものなのです。

このため、生き残りのための競争が神社や寺院の間では静かに始まっているのです。

この事にいち早く気づき、民衆に真実を伝え、民衆に奉仕する神社や寺院が色々な試みを始め、民衆への働き掛けを始めているのです。

この事に早くから気付いているのは元々確立した檀家組織や氏子組織と言うものを持っていない仏教系神道系を問わず新興の宗教勢力は、無理に考えなくてもなくとも、自然と民衆と接触し、困窮し疲弊している民衆の救済のための意識を持ち、活動を始めているのです。

遅ればせとしても、寺院や神社に届けられるお賽銭やお布施の一部でも母子世帯に配るとか子供食堂にすら来ることが出来ない家庭への救済へと動くとか、パートに追われ子供や老人の世話ができない家庭へ寺院や神社を開放するとか、全国を放浪する学生や失業者に境内や宿坊を開放するとか、一般的な奉仕活動でも、とにかくそのような視点を持ち行動を開始しなければならないはずなのです。

偉そうなことを言う前に、ストリート・チルドレンとかマンホール・チルドレンとかフィリッピンのスモーキー・マウンテンの救済をしろとまでは言っていないのですが、そういった視点を持たない人間が凡そ神職を気取ってみても、既に、神社に対するシンパシーも存在価値も失った若い世代の民衆からは益々浮いた存在になっている中では民衆を食い潰し、最期まで寄生するする無価値な存在であり続ける事になるのです。

特に危機的なのは、戦前の反省とかから勝てもしない戦地に旗を振って送り込んだ神職のイメージから(例え人為的に戦争を引き起こそうとした英米の金融マフィアから嵌められた実質的な祖国防衛戦争=聖戦であったとしても、実際に権力の手先となって勝てもしない戦いの尻押し舞台になった神職が大半だったのですから)戦後は事実上の戦犯扱いとなり、神社も神様も民衆は教育も説明もされておらず、とうとう神職自体が基本的で初歩的な知識さえも持っていないのですから、民衆が何故神社を守らなければならないかさえ知っていないという極めて危うい構造になっているのです。

恐らくこれが「神職をしています。」氏が“結論的には、「神社離れ」が進んでいる、と言うことでしょう・・・。”と書いている部分なのです。

この点、最低でも骨を握り墓を抑えている寺院は良いとして、神社の方が事態は極めて深刻である事が分かって頂けたと思います。

既に注連縄を造れる氏子は十年どころか、後数年で消えてしまいます。

それどころか稲藁さえも手に入らなくなるでしょう。

昔は争って神輿を担ぎたいと集まってきた氏子は既に存在しません。

頼まなくてもせっせと参拝殿を掃除に集まってくる婦人会のおばさんたちも、生活のために65才を過ぎても僅かな金を稼ぐためにパートに出なければならず、床は埃だらけで、境内は落葉だらけになっています。

掻き入れ時の正月、七五三も、豊かな家庭だけが着飾り気取って参詣するだけで、参拝客が激減しお賽銭のあがりが激減している事は宮司ならずともご存じのはずです。

それどころか、寺院や神社に来てもお賽銭をあげる風習さえも消えつつあるのではないかと思うほど事態は深刻になっているのです。

こうしたなか、国宝とか指定文化財などになっていない神社や寺院は深刻で、戦後民主主義の中で、宗教法人のために国税が投入されることを禁じた国家([政府])と宗教の分離の原則憲法を恨む関係者は多いはずです。

まあ、前述のどこかのさもしい宮司(奇しくもK県K市K○○神社とク―・クルックス・クランの3K)は、増えた氏子をただの収入としか考えていないはずで、結局、社殿の閉鎖か統廃合といった形で、神社や氏子ではなく宮司家を守る方向でしか考えない事でしょう。

結局、投げ出した宮司と、これ幸いと引き受けた宮司のどちらが引き渡された氏子を大切に考えているかと言うと、きちんと維持しなければならないしそれができないから投げ出したのであって、どうにかなるだろうとこれ幸いと安易に引き受けた方がその氏子と神社を軽く考えている事は明らかで、いずれその結果を目撃する事になるでしょう。

無題.png

重要文化財は一応は良いんですがねとは別の神社の宮司の弁でしたが


詳しくは ひぼろぎ逍遥 スポット051 研究会の値打ちとは スポット066神社の行く末について をお読み下さい。

いずれにせよ、権力が隠し今尚隠し続ける九州王朝実在のという真実の歴史を掘り起こそうとする作業は教育委員会に尾を振る3K宮司のようなさもしいポチにはできない事であって、このような輩が増加し続ける会からは四国の合田Gならずともこちらの方から離脱したいと思うものです。

歴史の探求者とは決して幸せな人生を追求するのではなく、如何に正しく生きるかをこそを追求すべきであって、損か得に対し、善悪、正誤の価値基準をこそ対置すべきはずなのです。

つまり、権力へのポチには歴史の探究などできるはずがないのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 17:49| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: