2019年07月01日

601 出羽から陸奥への道 番外 “真室川音頭の真室川についての妄想”

601 出羽から陸奥への道 番外 “真室川音頭の真室川についての妄想”

20180705

太宰府地名研究会 古川 清久


 東北遠征の帰路、図らずも真室川駅を通過しました。金山町がありますし、まず、鉱山の匂いがします。

無題.png

山形県最上郡真室川町大字新町 東日本旅客鉄道奥羽本線の駅


 思考の貧困からか?「真室川」と言えば「真室川音頭」しか頭に浮かんで来ません。


私しゃ真室川の 梅の花 コーオリャ あなたまた このまちの鶯よ 花の咲くのを 待ちかねて コーオリャ 蕾のうちから 通って来る 蕾のうちから 通っては見たが コーオリャ ひらかぬ 花とて気がもめる 早く時節が 来たならば コーオリャ 一枝ぐらいは折ってみたい 夢を見た夢を見た 夢を見た コーオリャ あなたと添うとこ 夢を見た 三三九度の盃を コーオリャ いただくところで目がさめた 真室川よいとこ 新庄を受けて コーオリャ 娘また美人で 唄どころ  のぼりくだりに ちょいと足とめて コーオリャ 聞いてまたお帰りこの音頭 裏からまわれば 垣根コあるし コーオリャ

表からまわれば 犬吠える なくな騒ぐな泥棒じゃないよ コーオリャ この家娘さんにちょいと用がある 

無題.png

真室川音頭(まむろがわおんど)は、山形県最北部に位置する真室川町民謡である。戦後レコード化された。 現在でも町の各行事で歌われ、同町では真室川音頭の全国大会も毎年開催されている。


 三橋道也の真室川音頭はともかく殿様キングスまで多くの楽曲がありますので、皆さんのお好みでユーチューブででも検索されればと思います。

 では、ここからが本題です。

と、言っても息抜きのつもりで書いていますので、あまり真顔で考えて頂く必要はありません。

テーマは、「真室」(マムロ)とは何か?つまり、真室川の「真室」とは何かについての考察です。

 勿論、地元に精通している訳でもなく、ただの通りすがりの異邦の者が勝手に言っているだけの話と理解されても結構なのですが、思い付きだけでも書き留めておこうと考えただけの話です。

無題.png

真室川音頭とは 明治のころ,北海道を中心に盛んに歌われていた「ナット節」が,大正末期頃から本州の漁港でも 歌われるようになりました。真室川町出身の近間ナカエさん(故人)が昭和二年ごろから宮城県女川 の料亭で働いていた時,常連客の漁師から「ナット節」を習い覚え,その後真室川にもどり働いた 料亭「山水」で,これを元祖とし創作を加え歌った曲が「山水小唄」と呼ばれ,これが「真室川音 頭」の始まりとなったと言われています。

 当時の真室川は,真室鉱山(金・銀鉱山)や軍用飛行場建設に携わる労働者・兵隊でにぎわい, 山水小唄は料亭などの同業者や労働者・兵隊により歌い広められました。戦後,これらの労働者や 兵隊が,郷里や全国津々浦々に移り住んだことが全国的に「真室川音頭」が広まるきっかけとなり ました。更に,昭和二十年代には原曲やアレンジ曲が度々レコード化され,時に林伊佐緒による 「真室川ブギ」がヒットし一躍全国に「真室川」の名が広まりました。

 昭和二十七年には町が広く歌詞を募集し,数十点の応募作品の中から選び出されたものが正調「真室川音頭」です。

 現在も全国で愛唱されている代表的な民謡のひとつであり,毎年県内外から多くの参加者を集め「真室川音頭全国大会」が開催されています。

無題.png

◆安久土橋(真室川)

無題.png 今回の「やまがた橋物語」シリーズは「金山川」にスポットを当てる。神室山系を水源とし、金山町を抜け、真室川町の中心部で真室川と合流する全長二一・八キロに架かる主な十三の橋を下流から紹介する。

 真室川との合流点から約三百メートルほど上流に「安久土(あくど)橋」が架かる。一九五四(昭和二十九)年六月に完成した全長八十六メートルのこの橋は、秋田県境と隣接する及位地区へとつながり、国道13号の迂回(うかい)路でもある主要地方道真室川鮭川線の一部として、町民だけでなく県外ナンバーの大型トラックも多く利用する。

 現在の橋は三代目だ。近くの杉原実さん(74)によると、初代の橋は木製で大正時代初期に今よりも三十メートルほど上流に架けられた。町内にあった真室鉱山が興隆を誇り、軍用飛行場建設が進んでいた昭和初期には、橋から真室川駅周辺に十数軒の飲食店が集中。橋のたもとには真室川音頭発祥の場所と言われる料亭「山水」もあり、橋は行き交う労働者らでにぎわった。

無題.pngやまがた橋物語 金山川編[1]による


 よそ者の勝手な想像ですから、誤りは直ぐに受け入れるつもりですが、真室鉱山が真室川や金山川と関係がある地名であろうことは疑いようがありません。問題は「真室」です。

無題.png

真室川は真室川町の中心部から北東方向に延び金倉山の裾野辺りから端を発していますが、最奥部の中ノ股地区辺りは山に囲まれた狭い小平野といった地形になっています。

まず、真は間であるでしょうし、室は閉鎖空間の意味でしょうから、それだけでも「真室」という地名の根拠と言えそうです。

無題.png

もう一つの考え方は、元々、古い時代からの鉱山がありそれ自体が「真室」と呼ばれていた。

 鉱山として造られた小さな「金室」(カネムロ)が存在しそれが「真室」と呼ばれた可能性です。

 西日本でも、山陰の鉱山では、「金室」は「間歩」(マブ)と呼ばれます。

 私は、以前から、この「間部」(マブ)の原型は「マブロ」だったのではないかと考えていました。

 気になっていたのは、西日本では「風呂」と呼ばれるものの、東日本では「湯屋」としか言わないことでした。当然、岩室を利用した中国地方などの「風呂」地名と「間歩」との関係も意識していました。

 風呂を扱う噺は「鬼門風呂」など上方落語にも幾つかありますが、「芝居風呂」は、歌舞伎マニアの銭湯の主が、店でも芝居が堪能できるようにと思い、銭湯を大改造して「芝居風呂」と名付けた。何から何まで歌舞伎座そっくりの銭湯は、今日も芝居好きのお客で超満員。その日も二人のお客がやってくる。…

ウィキペディア:20180705 18:07) という噺です。


 一方、江戸落語は「湯」「湯屋」としか言いません。

関西も関東にも銭湯がありました。銭を取って入浴させる公衆浴場ですが、関東では湯or湯屋です。

元は 蒸し風呂でしたが、江戸時代中期になると湯に浸かる風呂が出来て、湯屋と呼ばれます。


落語「湯屋番」の舞台を歩く 六代目三遊亭円生の噺、「湯屋番」(ゆやばん)によると。


 居候は何処にもいた時代の話です。無精の上、夕方まで寝ているような奴を二階に置いておくのは気にくわないと女房はカンカン。置いとくなら離婚だとむくれて叔母さんの家に。

 呼ぶと2階の居候・徳さんは嫌々降りてきたが、東を向いて今日さんに柏手を打てば、もう太陽は西になっている。バケツみたいな洗い桶じゃ色気が無い。顔を洗っても拭く手ぬぐいも風で飛ばして、拭けない。亭主には愚痴を百万遍。言われれば、ここで身を立てようと居候の徳さんは宣言。

 親父の所に帰るのかと思えば、親父は病気だから帰らない。その病気とは、金は使うもので、貯めるなんて病気だと。

 それでは発明で、身を立てる。一生涯お腹がすかない法、これは炭酸を飲んでその後に下剤を飲む。炭酸はガスを出して上にあがろうとする、上からは下剤が下に押すので、生涯腹は減らない。??

 では、奉公に出ます。浜町の梅の湯で、ここの女将が二十五位でいい女だから、病弱な亭主が死んだら後添いに入るんだ。その奉公に入る話は橘町の頭に話してもらったから大丈夫。

 湯屋に来てみれば、「身元は知れているから良いが、道楽者だと聞いたが・・・」。「それが私。良ければ番台に上がらして」。「番台は私と女房以外は上がらせないんです。だからダメ」。そこに奥から食事の用意が出来たと声が掛かった。「では」と言う事で待望の番台に上がった。       落語の舞台を歩く より


 そこで頭に浮かぶのが「風呂」です。元々、何故、「フロ」と言うのか今でも語源が分からずに悩んでいるのですが、「風呂」とは元々は「室」ではないかと思うようになりました。

 これも ブログのタイトルの ひぼろぎ逍遥の「ひぼろぎ」が実は「ひもろぎ」である事と関係があるのです。本ブログの冒頭にはこのように書いています。


既に、綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」というブログが良く読まれ、神社への関心の高まりにまでも貢献していることは良く承知しています。

これに対抗しようという意図はないのですが、華麗なひもろぎ逍遥に対して、緋色のボロ着で、神籬=ひもろぎ(ひぼろぎ)を逍遥=彷徨い歩き、神社を探るというほどの意味で、「ひぼろぎ逍遥」を随時書いて行くことにしたものです。

ただし、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。

これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象なども認められます。


 当然、M音の方が先行しており、B音は後の形と考えているのですが、「間歩」(マブ)の原型が「間室」「真室」(マムロ)だったのではないかと言う仮説です。そうです「風呂」とは「室」だったのです。

お粗末でした。お後がよろしいようで…。お疑いはご自由です。悪しからず。

無題.png
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: