2019年06月21日

596 出羽から陸奥への道 O “十和田湖の手前 秋田県鹿角市の三宝荒神”

596 出羽から陸奥への道 O “十和田湖の手前 秋田県鹿角市の三宝荒神”

20180621

太宰府地名研究会 古川 清久


秋田を抜け、当初の目的地であった青森県五戸町の高良神社に向けて走るのですが、既に、カーナビは十和田湖の縁ではなく南側の戸来岳の南麓を迂回し五戸町に向かう道を選択していました。

これでは面白くない上に朝も早かったため未だ見た事もない十和田湖と奥入瀬渓谷を見たいと思いました。

このため鹿角市から国道102号線を北上し、途中から外輪山を下り十和田湖に入るルートを走る事になった訳です。

現地は青森、岩手、秋田の三県の県境が集中する辺境ですが、その分、素晴らしいばかりの自然が残る場所です。このような東北地方の最奥部に於いてもお会いするのは九州の神様ばかりです。

 ここでは十和田湖や奥入瀬渓谷を取り上げるわけではありません。何故か三宝荒神の話になります。

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この途上、国道1034号線を走っていると左手に三宝荒神社が見えてきました。

 愛知の人ですが、幕末に東北全域の調査を行った菅江真澄という民俗学者と言うか文化人類学者います。


菅江 真澄(すがえ ますみ、宝暦4年(1754年) - 文政12719日(1829818日))は、江戸時代後期の旅行家、博物学者。生まれは、三河国渥美郡牟呂村字公文(現在の豊橋市牟呂公文町)と伝えられる。本名は白井秀雄、幼名は英二といった。知之(ともゆき)、白超とも名乗った。 …中略… 

旅先の各地で、土地の民族習慣、風土、宗教から自作の詩歌まで数多くの記録を残す。今日で言う文化人類学者のフィールド無題.pngノート(野帳)のようなものであるが、特にそれに付された彼のスケッチ画が注目に値する無題.png。彩色が施されているものもあり、写実的で、学術的な記録としての価値も高い。彼は本草学をもとにして、多少の漢方の心得もあったという。著述は100200冊ほどを数え、「菅江真澄遊覧記」と総称されている。この名前で平凡社の叢書・東洋文庫に収録され、2000年以降、同社の平凡社ライブラリーから5巻本として刊行されている。形態は日記・地誌・随筆・図絵集などとなっているが、内容は民俗・歴史・地理・文学・考古・宗教・科学など多岐にわたっており、特に近世後期の民衆の生活を客観的に記していることに特徴がある。


秋田県鹿角市十和田大湯白沢。国道103号線沿い。菅江真澄は箒畑を早いうちに出発し、三宝荒神社を参拝してから白沢の村に入りました。更に上流を目指して、止り滝・中滝、途中の大滝内の滝を見ながら、目的の銚子の滝に辿り着きます。

菅江真澄の道(三宝荒神の祠)…『そのむかし大檀那佐藤庄司の棟札ありしが野火にやけたり』。『文化4年(18079月、このところ十和田権現参詣の山口なり(十曲湖)』邦内郷村志によりますと、箒畑村には雄滝・中滝・泊滝からなる銚子滝があると記し、三宝荒神と白山社を祀り、別当と認められる修験宮本坊があることを記します。御祭神は竃神・火結神・大己貴命

無題.pngによる

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脇には護岸工事の無い清流が勢いよく注ぎ、境内には簡素な社殿と参拝場がありました。

 恐らく、この地元の小集落の信心深いご老人がお集まりになっている(た)のだと思います。

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西日本の日本海側が目立ちますが、この三宝荒神は山陰山陽などの海岸、山奥の辺境を中心に分布しています。

 実際、東北地方で三宝荒神とは…と思いましたが、まだ、フィールド・ワークの絶対量が低い為直ぐには判断できません。

 三宝荒神は産鉄地域、金山、鍛冶〜冶金〜彫金地帯に祀られる事が多いのですが、実は政治情勢も反映しているのです。

皆さんも荒神(コウジン)さんという神様があることをご存知でしょう。

 ただ、何者なのかが良く分からないまま、その名のイメージから怖い神様といった認識だけをおもちではないでしょうか?

私達も方々で見掛けるこの民間信仰=土俗信仰とさえ思う神々が、何やら西日本の日本海側に広く分布していることだけを認識していたのです。しかし、これについても、百嶋先生は十分な知見をお持ちだったのです。さて、現在、荒神様については、京都や滋賀が中心と言った俗説が普及しています。

ここで、三宝荒神の震源地とも言うべき宮崎県のある神社をご紹介してこの問題の糸口とします。


荒神信仰は、西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んであったようである。ちなみに各県の荒神社の数を挙げると、岡山(200)、広島(140)、島根(120)、兵庫(110)、愛媛(65)、香川(35)、鳥取(30)、徳島(30)、山口(27)のように中国、四国等の瀬戸内海を中心とした地域が上位を占めている。他の県は全て10社以下である。県内に荒神社が一つもない県も多い。

荒神信仰には後述するように大別すると二通りの系統がある。(三系統ともいう。)屋内に祀られるいわゆる「三宝(寶)荒神」*(1)、屋外の「地荒神」である。

屋内の神は、中世の神仏習合に際して修験者や陰陽師などの関与により、火の神竈の神の荒神信仰に、仏教、修験道の三宝荒神信仰が結びついたものである。地荒神は、山の神、屋敷神、氏神、村落神の性格もあり、集落や同族ごとに樹木や塚のようなものを荒神と呼んでいる場合もあり、また牛馬の守護神、牛荒神の信仰もある。

御祭神は各県により若干の違いはあるが、道祖神奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、軻遇突智神の火の神様系を荒神として祀っている。神道系にもこれら火の神、竈の神の荒神信仰と、密教道教陰陽道等が習合した牛頭天王(ごずてんのう)」のスサノオ信仰との両方があったものと考えられる。祇園社(八坂神社)では、三寶荒神は牛頭天王の眷属神だとしている。

牛頭天王は、祇園会系の祭りにおいて祀られる神であり、インドの神が、中国で密教、道教、陰陽思想と習合し、日本に伝わってからさらに陰陽道と関わりを深めたものである。疫神の性格を持ち、スサノオ尊と同体になり、祇園会の系統の祭りの地方伝播を通して、鎮守神としても定着したものである。

「ウィキペディア」20151021 1800


この「ウィキペディア」氏の解説はかなり正確で、まずは、見事と言えるでしょう。

以前、二、三度、荒神様の本山とも言うべき日向の白髭神社に参拝した事があります。

 現在、この白髭神社は、過去、明治維新期に神仏分離令の影響を受けた事を意識してか、幟を揚げては本来の神を祀ってはいないようです。

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多くの神社が、その時々の時勢、時流に合わせ、祭神を新たに受け容れ、隠し、入替、迎合して生き延びてきたのは情けない事ではありますが、致し方無い事であり、神社がそうだと言えばそれが正しいのであり、氏子ならばいざ知らず、外部がとやかく言ってもどうなるものでもないでしょう。

 それを批判する権利も資格もないのですが、この神社がかつてこの神々を表に掲げていた事だけは百嶋由一郎先生から聴き及んでおり、それを後世に伝える必要性を感じています。


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カーナビ検索 白髭神社 宮崎県児湯郡川南町 大字川南1987番地


では、我々が本来の祭神と考える荒神様はどうなったのでしょうか?

日本は中国や朝鮮などとは異なり、本当の神様を決して粗末に扱ったりはしないものなのです。

本来、神社の社家も本当の神様を表に上げたいと考えてはおられるはずでしょう。このため、境内にはきちんと荒神社が置かれていました。時勢が許せば何時でも本当の神様は戻って来る事はできるのです。

では、現在の祭神と元の神様との関係を考えて見ましょう。


伊邪郡岐大神(イザナギノオオカミ) 建速須佐之男大神(タテハヤスサノオオオカミ)猿田彦大神(サルタヒコオオカミ)

火産霊神(火之迦具土) 奥津彦(須佐之男孫) 奥津媛(須佐之男孫)

無題.png真新しい荒神社


まず、火之迦具土は、金山彦の事で、中国ナンバー・ワン王朝=秦の始皇帝と姻戚関係を結んだ、イスラエル系の製鉄神であり、瀛(イン)氏の一族の長です。

 この、瀛(イン)氏の一族を隠し、成り上がり者の恵比寿の連中などが跳梁跋扈したのが、明治の廃仏毀釈=神仏分離だったのです。

火産霊神(火之迦具土)の代わりに伊邪郡岐を、奥津彦、奥津媛の代わりに建速須佐之男大神を置いた事が分かります(それは神武に逆らった長脛彦隠しのために障りが薄い神が慎重に選ばれたのだと考えます)。面白いのは、百嶋メモに強調線があるように、縁起にスサノウが半島と列島を行き来している事がハッキリ書かれている事です。読み飛ばしてしまいそうですが、当時の雰囲気が掴めます。

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百嶋データファイル03012三宝荒神より まさに金山彦を中心とする強力な姻戚関係ですね!

右の画像は鴨玉依姫でどこにあるかは公にはできませんが!ここでは画像のみお知らせしておきます


豊玉彦(ヤタガラス)の子との扱いにされてはいるのですが、スサノオとクシナダヒメの間に産まれた娘が鴨(カモ)玉依姫であり、百嶋メモに長脛彦の子(二重線は姻戚関係と考えられるのですが…)のように扱われています。ここらになると意味がまだ掴めないでいます。奥津彦が実は神武天皇に逆らった長脛彦であることが、瀛(イン)氏隠しの最大の理由であり、また、それを口実に発動されたのが、明治期の神仏分離令だったのですが、白髭神社が祭神を公にしたくない理由は良く分かります。

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そして、伊勢神宮が這い上がったのです。その伊勢神宮が国体明徴運動宜しく偉そうに振る舞っている事も、既に、久留米大学の公開講座(九州王朝論)との関係でお話した通りです。

従って、 氏が祭神について三宝荒神と白山社を祀り、別当と認められる修験宮本坊があることを記します。御祭神は竃神・火結神・大己貴命。”とされていることは”興味深く、表向き三宝荒神が竃神・火結神・大己貴命を祀っている事は十分にあり得る事と言えそうです。

 現在、三宝荒神社は神社庁管理の神社ではない所が大半であり、これは国家権力から庇護ではなく逃避の保護ではなく迫害の歴史を意味しているのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分) 以下省略


百嶋由一郎氏が残された音声CD、神代系譜、手書きデータ…を必要とされる方は09062983254まで


蛇足ながら、金山彦の本質を理解するには、ひぼろぎ逍遥(跡宮)106白川伯王家の源流の神社初見 “飯塚市鹿毛馬の厳島神社(安芸の宮島のルーツ)”などをお読み頂く方が良いでしょう。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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