2019年06月18日

ビアヘロ085 阿波の天津賀佐彦神社は神武巡幸の痕跡なのか? “徳島県美馬市美馬町西荒川”

ビアヘロ085 阿波の天津賀佐彦神社は神武巡幸の痕跡なのか? “徳島県美馬市美馬町西荒川”

20180523

太宰府地名研究会 古川 清久


先に神武巡行に関わる甲府市の天津司神社、天津司舞の話をしました。


ひぼろぎ逍遥(跡宮)

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糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 I “信濃〜甲斐は日本海側から入った人々が開発した”

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糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 D “天津司舞の天津司神社にやって来た”

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糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 C “天津神社にも奴奈川神社が置かれていた”(下)

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糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 B “天津神社にも奴奈川神社が置かれていた”(上)

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糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 A “糸魚川市の奴奈川神社は市杵島姫を祀る”


まず、「百嶋神社考古学」では、「神武東征」は神武僭称贈)崇神(ハツクニシラススメラミコト)によるものでしかなく、神武の遠征はあったが、神武ご巡幸と呼ばれ、本物の神武(カムヤマトイワレヒコ)による日向(耳川も勝手な推定でしかないのですが)からの東征は存在しなかったとします

それは、神武東征(これは神武僭称贈る崇神がやったことで神武天皇の業績ではない)ではなく、多くの神々と神武巡行を行ない列島を調査した痕跡をたどるものでした。

 今でも神武巡行に絡む伝承はかなり残されており、筑豊地方から広島、尾道、福山…山梨県甲府市の天津司神社や岡山県岡山市の阿仁神社…など多くの伝承があります。

 そこで、故)百嶋由一郎氏の手書き資料を調べていたのですが、徳島県にもその痕跡がある事に気付き、少し調べて見る事にしました(遠い事から、まずは下調べになりますが、お付き合いをお願いします)。

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無題.png詳しくは、先行ブログをお読み頂くとして、この神武巡行に関係すると思われる神社が徳島県にも存在するのではないかと考えられるのです。

徳島県美馬市美馬町西荒川の天津賀佐彦神社です。

 まさに、アメ(アマ)ツカサヒコ神社ですから、単に甲府市の天津司神社と偶然の一致とは考えにくい為考える価値があるのではないかと思うのです。

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この「天津司舞」は現在も氏子17戸によって守られています。

これが如何なるものであるかは地元でも良くは分かっていないようですが、恐らく1850年以上前に九州からやってきた開拓神(と言っても重要な神様ばかりですが)が天上楽園を発見した事を記念して舞われたものと考えられるのです。

それと、同名の神社が存在するのですから興味深いとしか言いようがありません。

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資料が不足していますので敬愛する玄松子氏からお借りします。


式内社 阿波國美馬郡 天都賀佐毘古神社 旧村社 祭神 級長津彦命 級長津姫命

境内は南向き。入口の鳥居の横に、「延喜式内社 天都賀佐比古神社」と刻まれた社号標。境内の由緒記の石碑には、社号は「天津賀佐彦神社」とあり、『平成祭データ』では、「天都賀佐彦神社」。

少し違うが、たいした違いではないのだろう。

境内に入ると、正面に拝殿。境内の左手に、境内社の若宮神社。境内の木の根の洞にも、何かが祀られている様子。

当社の創建は不詳。轟の地にあるためか、轟大明神、轟宮とも呼ばれる神社。もとは、当地の西方200mほどの高畑にあったという。 近くには「段の塚穴」と呼ばれる古墳や白鳳期の建立という立光廃寺の遺跡などがあり、古代から、美馬郡の中心として開けていた場所。

祭神は、風神である級長津彦命と級長津姫命。轟という鎮座地に相応しい神だといえるが、一説には、天都賀佐比古の「賀佐比古」が、「風彦」の意味であるとする後世の付会であるといい、建貝児王命を祭神とする資料もある。風の神なので、風神としての神威を伝える伝承も残っている。

一つは、この社の前を乗馬のまま横切ると吹き飛ばされるといい、また、吉野川を西へ遡る船は、帆をかけたまま通ると転覆するとも。そのため、境内・社殿は南の吉野川を向いているが、御神体は、北向きに安置されているという。本殿の屋根に卍の紋が付けられていた。

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この天津司神社に奇跡的にも残された天津司舞は、九州から僅かな船団で辿り着いた神々が、姫川河口の糸魚川から溯上し小谷村、白馬村を抜け松本から諏訪へと抜けさらに山上楽園である甲府盆地に到達した事が伝えられているのです。

重要なのはそのメンバーであり、この天津司舞に列島開闢の神々が現在も記録されているのです。



大日靈貴  =卑弥呼→天照大御神    

経津主=山幸彦 彦火々出見 ニギハヤヒ

黄幡(大元)=大幡主(博多を拠点に武装船団を指揮していたヤタガラスの父神:神産巣日神)

磐筒男   =八意思兼:豊玉彦(ヤタガラス)

磐筒女   =弥都波能売神

月弓    =大山祗(トルコ系匈奴:月読命)

根裂    =金山彦

磐裂    =埴安姫

豹尾    =神武天皇

吾勝(二神)=天忍穂耳(阿蘇高森の草部吉見:海幸彦、武甕槌)

置瀬(二神)=市杵島姫(宗像三女神:ヤタガラスの娘)

神沼河耳  =阿蘇神社最奥の金凝彦


天津司舞ではこのうちの二神が天に昇る(夫婦になる)のですが、その子が大山咋となるのです。

 これらの解析には、65年間も神社を調べ続けた故)百嶋由一郎の研究が凝縮されていますが、逆に言えば、阿波の天津賀佐彦神社によっても解析に誤りが無い事が分かるのです。

天津賀佐彦神社(式内社) 天都賀佐毘古神社の祭神は 祭神 級長津彦命 級長津姫命 です。

 この級長津彦命 級長津姫命こそ天忍穂耳(阿蘇高森の草部吉見:海幸彦、武甕槌)と市杵島姫(宗像三女神:ヤタガラスの姉であるアカル姫の娘)

 もう一つは、天津賀佐彦神社が西岡宮とも呼ばれている事です。

熊本県宇土市神馬町には西岡神宮があり、一之宮(春日大神 - 天児屋根命)、二之宮(八幡大神 - 誉田別尊)、三之宮(住吉大神 - 住吉三神)が祀られているのです。

言うまでもなく春日大神 - 天児屋根命が阿蘇の草部吉見神であることは過去何度も申し上げて来ました。

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この神社も何れ訪問する事になりそうです。

 まさか、山梨は甲府の天津司神社と同じ系統の天津賀佐神社があるとは考えも及びませんでした。

 してみると、神武巡行は、筑豊から広島、福山、尾道から岡山の安仁神社などに残されていますが、当然にも四国も巡行のコースだったはずなのです。

恐らく、吉野川を溯上し、この一帯まで巡行に入っていたのです。

 百嶋先生の資料では、草部吉見と市杵島姫の夫婦神は早めに戻ったとありますので、この二柱は先に戻ったものと思われます。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 10:24| Comment(0) | 日記
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