2019年02月11日

542 近江散歩 D 石作神社 “滋賀県長浜市木之本町”

542 近江散歩 D 石作神社 “滋賀県長浜市木之本町

20180413

太宰府地名研究会 古川 清久


話は前後しますが、高島市安曇川町から長浜市の中心部に移動する途中で気になる神社を発見し慌てて引返しました。

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石作神社、玉作神社(イシツクリ、タマツクリ)は、滋賀県長浜市に鎮座する神社である。式内社で旧社格は県社。

中世以降の度々の戦禍により創祀の年代・由緒は不詳。近隣の水田に「石作」という塚があり、禁足地となっており、旧社地との伝承がある。明治9年(1876年)に村社、同18年に郷社、大正11年(1922年)には県社に列格した。

ウィキペディア(20170413 20:01による


鎮座地は『和名抄』楊野荘に属していた。中世は石作荘だった。

 当社は伊香郡の式内社である石作神社と玉作神社を延宝五年(1472)に合祀したもの。千田集落の南に古字石作があり、石作神社の旧地とされる小丘があり、紅梅の老樹があったと言う。ここから勾玉、管玉、砥石などが発見されたと言う。

 石作神社は石作部の祀る神社であって、祭神を祖神の天火明命としている。玉作神社は玉作部に関わる神社であり、玉祖命を祀ったのである。別名を天明玉命や玉屋命と言う。

 石作神社、玉作神社ともに創建年代は不詳。

玉姫物語

むかし、千田は、石作りの庄と呼ばれていました。

 この里に、そうざえもんという人が住んでおりました。

 そうざえもんさんには、名を玉姫という、それは美しい娘さんがありました。

 そして、このことを、どこから伝え聞いたのか、伊吹の山に住む伊吹の三郎という男が、この娘をひと目みたいと里へやってきました。

 伊吹の三郎は、大変な怪力をもった大男でした。その上、里をあらしまわり、人々からは、大層恐れられておりました。

 三郎は、草屋根の下で、無心に玉を磨いている玉姫の姿にひと目ぼれしてしまいました。そしてさっそく「娘をわしにくれ。」と、そうざえもんさんに頼みました。

 そうざえもんさんは、「嫁にはやsれぬ。」と恐る恐る、でも、きっぱりことわりました。

 怒った三郎は、伊吹の山の岩石を石作りの庄めがけて投げつけました。投げつけた石はその里の岩田という田に落ちました。

 今も、その石が、千田のお宮さんにまつられており、伊吹の三郎の手の跡が残っているのが見られるということです。

敬愛する「神奈備」による

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祭神は天火明命と玉祖命とする


 非常に上品で印象深い神社であり、縁起は縁起として尊重しますが、祭神については異論があります。

 元より政争の激しかった近江の事、祭神を入れ替えることを持って生延びてこられた事は十分に想像が着きます。どうもこの神社もその一例だと思えてしまうのです。

 まず、玉の祖の命という祭神は博多の櫛田神社の大幡主命かその先祖神の事であり、ヤタガラス=豊玉彦の親神、祖父神でしょう。豊前、周防(古代の豊の国)などにこの神社を56社は確認しています。

 ただ、この神社では玉姫(豊玉姫)に準えているようで、玉作とは女性神を意図しているようです。

 何故、この神社の縁起を疑うかと言えば、甲信〜関東に掛けて分布する磐裂命、根裂命の事を知っているからです(天之加々背男命=アメノカカセオノミコトと共にこの磐裂根裂神=イワサクネサクノカミ)。要はカガセオこと長脛彦(岐神)とはスサノウと櫛稲田姫の流れを汲む金山彦系(実は物部の本流)であり、逆賊ナガスネヒコ系の祭神を隠す必要があったからだと思われるのです。

石作はアブラハム、ヤコブのイサクかも…この話はまた別に。金山彦はイスラエル系の神なので菅…。

では、玉作神とされているのは如何なる神様なのでしょうか?

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百嶋由一郎氏の資料(音声CD、神代系譜DVD、手書き資料)を必要とされる方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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