2018年11月03日

512 別役さんからのコメントを頂いて

512 別役さんからのコメントを頂いて

20171226

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 既に、ひぼろぎ逍遥の読者にはお気付きの方もおられるでしょうが、別役という姓をお持ちの方からコメントと言うよりも、情報交換のご提案を頂きました。

 四国島には過去三〜四度ほど足を踏み入れていますが、山陰山陽に比べてどうしてもフィールド・ワークの絶対量が少なく、このようなご提案は有難い限りです。

 このような神社に精通された方が全国におられて、頻繁に情報を交換でき、尚且つ、互いにblogでも発表できるようになれば、お花畑とも思い込みとも言えないような暴論に近い地元賛美や、「記」「紀」だけを根拠に学会や決して公的機関でもない神社庁が推奨するような通説を強弁する方、村興し町興しから果ては世界遺産登録などと言った真実の古代史の探究からは遠く外れ、金儲けだけに狂奔するようなさもしい説はある程度排除できるのではないかと思うばかりです。

 さて、当然にも興味を持ったのは「別役」という奇妙かつ稀少な「姓」です。

 直ぐに感じるところがあり、例の如く「姓名分布&ランキング」という有難いサイトで分布状況を確認しました。


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全国でも200件程度の非常に少ない姓であることは予想していましたが、その分布に関しては、ほぼ高知県限定、しかも、香南市、高知市などに集中する「姓」であることが分かりました。

 このサイトを使ってもこれほど特徴的な分布を示す姓の方にはなかなかお目に掛かれないもので、それだけでも興味をそそられた事は言うまでもありません。

 しかし、このような事ばかりをやっているとそれなりの勘と言ったものが働く様になるもので、直ぐに、“もしかしたら大幡主系の白族ではないか”との考えが浮かんできました。

 と言うのも、別役には「役」という文字が使われていますが、この文字「役」がヤクと呼ばれるも、エン、イン、オン…と通底しており、忌部の「忌」(イン)、「伊美」(イミ)、「役小角」(エンノオズノ)の「役」、「疫」、後には「卜部」、「陰陽師」(オンミョウジ)の「陰」(オン)、それ以外にも、因幡の国の「因」、印旛沼の「印」、もしかしたら、出雲の国の「出雲」さえも(イズモ)ではなく(イン)と、忌部の、従って、大幡主〜ヤタガラス〜鴨玉依姫をシンボルとする白族を意味した文字である可能性を感じ取ったのでした。

 特に、土佐の高知となると、忌部の本拠地である讃岐、阿波、熊野(紀州)の放射が直ちに届く様な場所であり、どう考えてもこの橘一族に繋がる方ではないかと思ったのでした。

 すると、確かに高知県にお住いの方だったのです。

 結果、私達が関心を持っている天御中主〜白川伯王〜大幡主〜豊玉彦=ヤタガラス〜鴨玉依姫〜橘一族…石清水八幡…にどこかで繋がる分流であることは明らかでした。

 まず、ネット検索により別役一族を検索すると、別役神社(竃戸神社)が出て来ます。

 これが竃神社と呼ばれている事から別役氏の基本的な性格が見て取れました。

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それは、竃戸神社とは鴨玉依姫と大山咋(佐田大神=断じて猿田彦ではない!)を祀る神社だからです。

 この事から考えると、この別役城に拠った別役一族とは、どうやら白族系でも阿蘇氏の影響が強まった上賀茂系の人々であることが見えたのでした。

 ただ、全ての別役家がそうであるかは、まだ、分かりません。

香美市香北町西川とは四国の物部川流域の地であり、それだけでも別役一族の性格が見えますが、ネット上には「別役一族の皆さん三月三日に別役神社に集まりましょう。別役家専用の駐車場が待っています。場所は高知県香美郡香北町西川 別役です。詳しいことは第二駐車場にお出かけ下さい。」と出ています。

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別役三吉郎義重????)〜(????

山間部における長曽我部氏の重臣で、長宗我部元親に仕えた。

香美郡香北町西川の豪族で東川・西川別役城主。東川、西川に五百二十石の土地を領有する。

長宗我部氏の時代に功を成し大忍最大の土豪となったが、 山内一豊の入国により知行所(領地)は召し上げられ農民になった。

別役神社

香美郡香北町西川別役に別役家ゆかりの「聖神社」がある。

境内に三吉郎が豊後戸次川への出陣のさいに武運を祈って植えたと伝えられる杉尾の巨木が今も残る。

一族は今でも年に一度三月三日に神社に集まり先祖の霊を慰めるといわれている。


ネット上にはもう一つ「別役一族の歴史」があります。

無題.png

また、無題.png氏は簡潔に以下のように書かれています。


現高知県である土佐国香美郡別役村が起源(ルーツ)である、古代氏族であり、美努(みの)王の妻県犬養(あがたのいぬかい)三千代が橘宿禰(すくね)の氏姓を与えられることに始まる橘氏(あるいは在原氏)、香宗我部家に仕える臣下。 


まだ、継続して調べていますが、どうやら橘一族をルーツとしているかその臣下であった事だけは確認できる様です。

姓が別+役となっていることから、そのまま理解すれば、まずは、忌部の別れといった印象を受けます。

無題.png

ここには物部川が国道195号線とともに流れ下っています 別役一族はこの僻陬の地で生き延びたのです

無題.png

これまで高知県に入ったのは二度しかありませんが、最も入りたかったのがこの地域でした。

ただ、日程の都合とか同行者の都合もあり、果たせませんでした。

 しかし、別役一族が橘氏の一部である事が分かって来た以上、次回はこの地域に絞り込んで調査を行いたいと思います。

 地名を見る限りこの一帯には上鴨系、下鴨系の氏族がおられるようで、実に興味深い所です。

 土佐山田には「山田」が…これは大山咋系(松尾=日吉=山王=日枝…)の地名ですし(上鴨系)、香北町白川は熊本の白川同様、白川伯王の白川を意味しています。

同じく大根木は阿蘇の草部吉見=ヒコヤイミミを意味しています(その子が大山咋なのです)。

母神は勿論、宗像の瀛ツ島姫=市杵島姫です。

 物部氏の本隊を思わせる仁井田も香美市にあります。これはニギハヤヒ=山幸彦系ですし、調査は急務です。


なお、研究目的で百嶋由一郎氏が残した神代系譜、音声CD、手書き資料等を必要とされる方は09062983254までご連絡下さい。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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