2018年10月18日

507 あまりにも銀杏が美しい神社 “熊本県氷川町の三神宮”

507 あまりにも銀杏が美しい神社 “熊本県氷川町の三神宮”

20171209

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 メンバーの宮原誠一氏と熊本県氷川町一帯の20社あまりの神社調査を行なった事は申し上げましたが、最初に訪ねたのが三神宮でした。

無題.png

 祭神はともあれ、あまりにも美しい銀杏に心を奪われしばし思考が中断してしまいました。

無題.png

 天候に恵まれたこともありますが、神社の値打の半分ぐらいは美しさに有るのかも知れません。

無題.png

宮原三神宮(みやのはらさんじんぐう、みやはらさんじんぐう)は、熊本県八代郡氷川町にある神社である。旧社格は郷社。八代北部全域の守護神として尊崇されている。

1159年(平治元年)、二条天皇の勅命により、平重盛が越中前司平盛俊に命じて社殿の造営がはじまる。

1161年(応保元年)、社殿が竣工。平盛俊の弟である平盛房を社司に任じ、勅使平重盛らと共に神輿を報じて神霊を勧請し創建された。伊勢神宮内宮(天照大神)、日吉大社(国常立命)、下鴨神社(神武天皇)の3神を祀ったので三宮社と称した。

1588年(天正16年)、キリシタン大名小西行長の焼討ちにより社殿が焼失した。1602年(慶長6年)、加藤清正公により復旧し、後の細川氏より手厚い保護を受ける。

1661年(寛文元年)、神蔵寺をはじめ六坊が建立され、八代の妙見宮にならい宮原妙見社となる。

明治維新以降、神仏分離令により、神蔵寺を廃し、社号を宮原三神宮と改称し、郷社に列した。

ウィキペディア(20171209 17:13による

無題.png

祭神 天照大神 国常立尊 神武天皇


山門の表には九宝星が打たれ裏には丸に二両引きが打たれ、足利尊氏の支配下にある事を表現しています。

これは南北朝争乱期の末期、菊池氏、阿蘇氏が屈服した後も、五条家は闘い続け、名和の水軍も球磨川以南に拠点を維持し抵抗していたことから、最終的に制圧された南朝方拠点には丸に二両引の足利の家紋が打たれているのでしょう。

無題.png

山門の表には九宝星が打たれ裏には丸に二両引きが打たれ足利尊氏の支配下にある事を表現しています

無題.png

この地の人々にとっては屈辱なのかも知れませんが、神代とは異なる歴史の痕跡が見えて来ます。

 さて、境内には二つの摂社があります。左は金毘羅宮で、右が分かりません。

 神額にはどうも三神宮と書かれているようですが、消されているようで、判別できません。

 もしそれが正しければ、ある時期、三神宮が隠され、他の祭神が入れ替えられていた可能性もあるのかも知れません。

無題.png

無題.png以下「熊本県神社誌」239pの同社に関する記述をご覧ください。

始めは国常立尊が祀られている事から古い八代の妙見の反映かとも考えたのですが、神社誌を見る限り、近世の勧請に過ぎないと思うに至りました。

司馬遼太郎を持ち出す必要もなく、それほど肥後では清正公様は崇敬を集めているのです。

 結局、肥後が加藤領、小西領になって以来、天照大神 国常立尊(大幡主命) 神武天皇を祀る神社となっているようですが、それは加藤が近江から持ち込んだものでしかなく、

それ以前はと考えれば、境内社の八幡宮、金毘羅宮、天満宮

を祀る神社でしかなかった事が分かるのでした。

無題.png

無題.png

神額が掻き消された摂社にこそ本来の奉斎される神々が納められていたと思うのですが、今のところ分かるのはここまでです。

研究目的で百嶋神社考古学の資料を必要とされる方は09062983254までご連絡ください。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: