2018年10月09日

504 古代九州王朝の貿易港か? 熊本県八代市徳淵港の古春日神社

504 古代九州王朝の貿易港か? 熊本県八代市徳淵港の古春日神社

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 八代の徳淵港への河童渡来伝説があることは比較的知られています。ただし、河童の話となると眉に唾して語られる事が多い事から、オーレーオーレー・デ・ライタオ 呉の国から頭領がやってきた(タオライ=到来、ライタオ=来到)と言った話も実際には真面目に考えられているとは言えないでしょう。

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八代の伝承によると、揚子江の流域から河童がやって来たという。彼らは球磨川流域に住み着き、9000匹の河童、九千坊(クセンボウ)は後に筑後川流域に移動したと言われているのです。

 今回、この問題には立ち入りませんが疑っていません。実はこの傍に古い春日神社があるのです。

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積み込み 積み出しが交差しない様に二本造られているのが今なおリアルで面白いですね


大陸から河童がやって来るほどだったのですから、昔から(八代の「河童共和国」は三国志の呉としていますが、それは全くの誤りで呉越同舟の呉なのですが…)貿易(交易)が行われていた事は間違いがなく、この春日神社には、その物流から税を徴収する場所であったと思えるのです。

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春日神社が藤原の私的な神社である事から考えれば私的な関銭でしかなく正式には税ではないのですが、彼らは自らの支配下にある港から財力を養っていた事が分かる痕跡に思えるのです。

 これは、宇佐神宮に近い駅館川でも見られるのですが(上図)、福岡市にしても、下関市(木屋川)にしても、春日神社は藤原の財政基盤を支えた拠点の痕跡に思えるのです。

 ただ、これらも元々は九州王朝の重要港湾であった場所のはずであって、それらを占拠したのが、阿蘇氏をルーツとする藤原氏だったはずなのです。

 では、何故、そう考えたかをご紹介したいと思います。

 八代市の北に旧鏡町があり、印鑰(インニャク)神社もあるのです。

そこの掲示板に何故か八代の正倉院に関する記述があるのです。

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これは八代市教育委員会のある女性の学芸員によって書かれたものなのです。

実際には白村江の戦いに負けたのも九州王朝なのですが、形式的には701年まで存続するのですから、大化の改新時代の正院も正倉院も九州王朝の事績でしかなく、その存在した場所(久留米市の某所も含め)も、この徳淵だったと考えられそうなのです。

 これは、この地域の歴史に明るいこの女性学芸員によって小早川文書等を解析された結果のでしょうから尊重するとして、この問題に関しては、この古き春日神社の事を頭に留めておいて頂きます。

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こちらは立派な方のもう一つの春日神社 カーナビ検索 熊本県八代市本町1丁目9-26


 実は春日神社は八代市内に数社あり、その事が気になっていました。

 まだ、この解明はできていないのですが、この時代、九州西岸の最重要港湾だった事は間違いないと思っています。

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この徳淵港の直ぐ傍にはキンカンと枇杷が植えられていました。

 遠い古代、中国は浙江省辺りから持ち込まれていたものの生き残りに思えたのですが、無論、思考の暴走に過ぎません。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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