2018年10月01日

501 大山祗とは月読命が貶められたもの!? @

501 大山祗とは月読命が貶められたもの!? @

20171128

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 四国在住のブロガーでもあり、非常に熱心なメンバーのお一人から、「月読命」と「大山祗」を同一神とする百嶋神社考古学の立場について今一つ分からない…との疑問が呈せられました。

 優れた研究者の言ですので無視できない事から、今までに掴んだ限られた情報を繋ぎ可能な限り証明を試みて見たいと思います。

 個人的には百嶋由一郎という稀代の研究者を盲信するものでしかなく、単に百嶋研究を後世に継承したいと言う思いだけで作業している事からすれば、この問題には多少は気づいてはいたのですが、徐々に解決できるものと考え後回しにしていました。

 ところが、前述の事情から、多少急ぐ必要性があると判断し、これまで当方で把握しているジグソー・パズルの数少ないピースを繋ぎ合わせ証明せざるを得なくなった次第です。

 無論、「記」「紀」とは藤原が自らの権勢を強め維持するために都合良く仕立てたものでしかなく、隠したいものは隠し、貶めたいものは貶め、薄めたいものは薄め、無視したいものは無視している事は間違いがなく、このようなものを聖典視しそれ以外にはありえないとか?「紀」にはこのようにしか書かれていないのだからそんな話はお笑い草だ…といった議論を持ち込まれる方はそれで良いだけの事で、では「記」「紀」が絶対で、それ以外の説は全て誤りであるとされる根拠は何であるかとお尋ねすれば良いだけの事です。こいつらとは呼ばないものの、彼らとて「記」「紀」以外に依って立つ柱はないのです。漫画です。

 さて、元より隠されたものの裏を暴き、隠された真実に迫るには困難を要しますし、仮にこうではないかとしても、現場を見ておられない方の目からすれば、“その程度の事でしかないなら何の信憑性もない”などと否定される方が大半かも知れません。

 何分、「記」「紀」では遠い神代(神世の話)とする話ですから、決定的な証拠など望むべくもなく、民俗学的な帰納演繹的手法以外には取りようがありません。

 また、神代は主として九州島を舞台として起こっており(決して現「出雲」でもない)、利権塗れの畿内説論者などが一度も訪れていない場所で起こっているのですから、増々、非難を受けることは覚悟しておかなければなりません。

 では、嫌がらせの意味もありますが、学者、学会通説が無視し馬鹿にするウィキペディアから月読命と大山祗を考えて見ましょう。

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大山祗神社(大三島)          月読神社(桜島)


ツクヨミ

月読命(ツクヨミ、ツキヨミ)は、日本神話の神である。後世では一般に男神と考えられているが、記紀では性別の記述はない。

一般的にツクヨミと言われるが、伊勢神宮・月読神社ではツキヨミと表記される。 

神話での記述

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記紀(古事記と日本書紀)において、ツクヨミは伊弉諾尊(伊邪那岐命・いざなぎ)によって生み出されたとされる。月を神格化した、夜を統べる神であると考えられているが、異説もある(後述)。

天照大神(天照大御神・あまてらす)の弟神にあたり、須佐之男(建速須佐之男命・たけはやすさのお)の兄神にあたる[注釈 1]

ツクヨミは、月の神とされている。しかしその神格については文献によって相違がある。古事記ではイザナギが黄泉国から逃げ帰って禊ぎをした時に右目から生まれたとされ、もう片方の目から生まれた天照大神、鼻から生まれた須佐之男とともに重大な三神(三柱の貴子)を成す。一方、日本書紀ではイザナギと伊弉冉尊(伊耶那美・イザナミ)の間に生まれたという話、右手に持った白銅鏡から成り出でたとする話もある。また、彼らの支配領域も天や海など一定しない。

この、太陽、月とその弟ないし妹という組み合わせは比較神話学の分野では、他国の神話にも見られると指摘されている。

日本神話において、ツクヨミは古事記・日本書紀の神話にはあまり登場せず、全般的に活躍に乏しい。わずかに日本書紀・第五段第十一の一書で、穀物の起源として語られるぐらいである。これはアマテラスとスサノオという対照的な性格を持った神の間に静かなる存在を置くことでバランスをとっているとする説がある。同様の構造は、高皇産霊尊(高御産巣日神・たかみむすび)と神皇産霊神(神産巣日神・かみむすび)に対する天之御中主神(あめのみなかぬし)、火折尊(火遠理命(ほおり)・山幸彦)と火照命(ほでり・海幸彦)に対する火酢芹命(火須勢理命・ほすせり)などにも見られる。

ツクヨミの管掌は、古事記や日本書紀の神話において、日神たるアマテラスは「天」あるいは「高天原」を支配することでほぼ「天上」に統一されているのに対し、古事記では「夜の食国」、日本書紀では「日に配べて天上」を支配する話がある一方で、「夜の食国」や「滄海原の潮の八百重」の支配を命じられている箇所もある。この支配領域の不安定ぶりはアマテラスとツクヨミの神話に後からスサノオが挿入されたためではないかと考えられている。

ツクヨミはスサノオとエピソードが重なることから、一部では同一神説を唱える者がいる。


オオヤマツミ

オオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)は、日本神話に登場する。別名 和多志大神、酒解神。日本書紀は『大山祇神』、古事記では『大山津見神』と表記する。

神話での記述[編集]

『古事記』では、神産みにおいて伊弉諾尊と伊弉冉尊との間に生まれた。その後、草と野の神である鹿屋野比売神(野椎神)との間に以下の四対八柱の神を生んでいる。

天之狭土神・国之狭土神 天之狭霧神・国之狭霧神 天之闇戸神・国之闇戸神 大戸惑子神・大戸惑女神

『日本書紀』では、イザナギが軻遇突智を斬った際に生まれたとしている。

天之狭霧神の娘の遠津待根神は、大国主大神の8世孫の天日腹大科度美神との間に遠津山岬多良斯神を産んでいる。

オオヤマツミ自身についての記述はあまりなく、オオヤマツミの子と名乗る神が何度か登場する。 八岐大蛇退治において、素戔嗚尊(すさのを)の妻となる奇稲田姫(くしなだひめ)の父母、足名椎命・手名椎命(あしなづち・てなづち)はオオヤマツミの子と名乗っている。

その後、スサノオの系譜において、オホヤマツミ神の娘である神大市比売神(かむおほいちひめ)との間に大年神と倉稲魂尊(うかのみたま)をもうけていると記している。また、クシナダヒメとの間の子、八島士奴美神(やしまじぬみ)は、オオヤマツミの娘の木花知流比売(このはなちるひめ)と結婚し、布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬ)を生んでいる。フハノモヂクヌスヌの子孫が大国主大神である。

天孫降臨の後、瓊瓊杵尊はオオヤマツミの娘である木花之開耶姫と出逢い、オオヤマツミはコノハナノサクヤビメとその姉の磐長姫を差し出した。ニニギが容姿が醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた。

いずれも ウィキペディア(20171128 0917による


 概略はお分かりになったと思います。

言うまでもなく通説上は大山祗=月読命という方程式は成立せず、片鱗も見えません。

 ただ、予感程度ですが、「記」も「紀」でも影が薄く、存在性を疑わせるような印象を与えようとしている所が共通性を持っているのではないか…?とまでは言えそうです。

 ここで、通説から離脱されていると思われる方の説を見ておきましょう。


大山祇命の正体

 大山祗神(駿河国一宮三島神社他

 大山祗神は素盞嗚尊の妻の稲田姫の祖父として神話に登場する神である。伊予大三島の大山祗神社では天照大神の兄として、最古と言われている薩摩の大山祗神社ではニニギ命の妻吾多津姫の父として祀られている。これらは同一人物とは考えられない側面があり、その土地の有力者(縄文人?)を大山祗神と呼んでいることがうかがわれる。しかしながら、三島神社で祀られている大山祗命は行動実績を伴っている。東日本地域の一宮級の神社の祭祀の原点を探ってみると大山祗神であることが多い。地域の土着神である可能性もあるが、これは一人の同一人物と考えてみる。
 @ 大阪府高槻市の三島鴨神社は、淀川沿いに有り、大山祇命の最初の降臨地と言われている。事代主神が三島溝杙姫(玉櫛姫)に生ました姫が姫鞴五十鈴姫で、神武天皇の妃となった。 また三島溝杙姫の父神が三島溝咋耳命、その父神が大山祇神となっている。また、この神は九州からやってきたとも伝えられている。饒速日尊は大和に侵入する時の伝説地をたどると、まさにこの周辺に上陸したと考えられる。また、伝承上他の人物で、大山祗神に該当するのはいない。このことより大山祗神と饒速日尊がつながる。
 A 伊予国大三島の大山祗神社には「わが国建国の大神で、地神・海神兼備の霊神で日本民族の総氏神として、日本総鎮守と申し上げた。大三島の御鎮座せられたのは、神武天皇御東征のみぎり、祭神の孫小千命が伊予二名島に(四国)に渡り神地御島(大三島)に祖神大山積命を祀った。」とある。「建国の大神」とくれば、素盞嗚尊・饒速日尊が該当する。日本の総氏神・総鎮守と言うのは素盞嗚尊の活躍が西日本限定であるので饒速日尊が該当する。また、小千命の祖神は「新撰姓氏碌」によれば、「饒速日尊」である。
 饒速日尊は各地を訪れた時、周辺の地勢を探るために、その周辺で最も高い山に登ったものと推察される。そのために、各地方の山に大山祇神が祀られ、「山の神」として崇拝されることになったのであろう。 

 大山祇命とは

 大山祇命は東日本を中心に祀られている神である。山の神と考えられている。饒速日尊と同一人物と考えられる節があるが、瓊々杵尊の妻となった木花咲耶姫の父や、素盞嗚尊の妻の神大市姫の父など明らかに別人の要素もある。複数の人物が重なったものと考えられる。

大山祇命の正体(古代史の復元)による


では、我が百嶋神社考古学の大山祗=月読命説も再確認しておきましょう。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


ご覧の様に、大山祗=月読命、ウマシアシカビヒコヂと白山姫=天御中主との子とします。


研究目的で百嶋神社考古学に関する音声CD、神代系譜、手書き資料…を必要とされる方は09062983254までご連絡ください。

 さて、この話を深く掘り下げるにあたって知っておいて頂きたい事があります。

 それは、宮崎県西都市の西都原第2古墳群に伝大山祗命の古墳と言われる柄鏡型前方後円墳が、その正面には古墳への参道階段を持つ石貫神社があり、付近には大山祗命の娘とされるコノハナノサクヤを主神として祀る都萬神社があり、正面には桜川が流れているのです(関東ではコノハナノサクヤヒメは「桜」姫と呼ばれているのですが、このことから元は九州だと考えられるのです)。

 まず、ひぼろぎ逍遥 535536の省略版をご覧ください。


535コノハナノサクヤヒメはサクラヒメだったのではないか @

20171125


 20171122日も、宮崎県椎葉村の栂尾神楽に来ている最中に、どうしても西都原第二古墳群の伝大山祗古墳正面の石貫神社を見たいので案内して欲しいとの乱暴な話が舞い込んだ事から、急遽(と言っても夜通し神楽は参加するのですが)対応する事になり、翌朝10時まで続くはずの栂尾神楽を朝6時で切り上げ、早朝7時から集合場所の草部吉見神社正面の奥阿蘇物産館に向かい、9時から宮崎県西都市に向かいました。

 最初に向かったのは伝大山祗古墳でした。

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 この古墳の正面にある石貫神社が大山祗を祀る神社である事は以前にもお伝えしました。

 事実、石貫神社は大山祗を祀る神社としていますし、付近にはコノハナノサクヤを祀る都萬神社もあるのです。このためここでは別の側面にふれてお話ししたいと思います。

ひぼろぎ逍遥(跡宮) 340 旧石和町に物部神社があった “山梨県笛吹市春日居”の石尊神社 

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この石貫神社からは160数段の階段が伝大山祗古墳に向けて造られており、これほどの石段が寄進によって造られている事を考えれば、かつては整列して神社からこの陵に向けて参詣が行われていたものと思います。

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前方後円墳でも初期のものとされる柄鏡式型の伝大山祗古墳


 さて、この石貫神社からもそう遠くはないところにあるのがコノハナノサクヤヒメを祀る都萬(ツマ)神社です。

つまり、父は娘にあたる大山祗を祀る石貫神社とコノハナノサクヤを祀る都萬神社が揃っているのです。

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都萬神社 カーナビ検索 宮崎県西都市妻1  0983-43-1238


 この石貫神社が熊本県玉名市の新幹線玉名駅正面の石貫と関係があり、実は、山口県光市の石城山神籠石の山上神社の祭神が大山祇神、雷神、高龗神である事とも通底しており、遠くシルクロードのタシクルガン(中国名「石城山」)を起源としている事にまで気付くのです。

 新疆ウイグルは勿論のことアフガニスタンにまで何度も入っておられたようで、このシルクロードの石頭城(タシコルガン、タシクルガン)石頭山が「石城」とされ列島まで持ち込まれていると考えておられたのです。

 無題.pngこれまでにも何度も申し上げていますが、百嶋神社考古学では大山祗命=月読命はトルコ系匈奴で金官伽耶の金越智(ウマシアイカビヒコヂ)と天御中主の間に産れた、トルコ系匈奴の血を引くものとします。

 ついでに言えば腹違いの伯母と姪の関係に当たる本当の神武天皇のお妃に当たるアイラツヒメも匈奴の血を曳いたトルコ系の女性だったのです。

 ちなみに、アイラールはトルコ語の「月」を意味し、アイラツヒメとは月子ちゃんであり、月姫だったのです。

 とすると、父の大山祗が月読命(百嶋由一郎説)と呼ばれている事の意味も多少は見えて来るのです。

無題.png

手書きデータ 百嶋神社考古学03 「014猿田彦から女木島」による


研究目的で百嶋由一郎氏の資料を必要とされる方は09062983254までご連絡下さい


536 コノハナノサクヤヒメはサクラヒメだったのではないか A

20171125


 さて、コノハナノサクヤヒメを主神として祀る都萬神社の前にはきれいな川が流れています。

桜川と言いますが、桜川町まであります。

無題.png

都萬神社 カーナビ検索 宮崎県西都市妻1  0983-43-1238


コノハナノサクヤヒメが祀られている大山祗系神社には桜の紋章がふられていますし、ご覧の通り、本家本元の都萬神社の社務所にも桜が施されています。

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コノハナノサクヤヒメはコノハナノサクラヒメであったとさえ考えるのですが、列島人はR音(実際はL音)の発音さえ困難であったため、コノハナノサクヤと呼ばれたのではないかとさえ考えていますが、これについては確信が持てないため今のところ構想に留まっています。ただこの桜川と無関係でもないでしょう。と言うよりサクヤヒメが居たから桜川の名が残ったのではないかと思うのです。

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無題.png以下はネット上から拾った「樹木の文化誌」の一文ですが、サクヤヒメはサクラヒメだったのです。

 これは百嶋先生が言われていた事ですが、晩年“関東に移動したコノハナノサクヤヒメは関東ではサクラヒメになっている…”つまり、関東ではサクラヒメと呼ばれている事が分かるのです。

例えば江戸落語の古今亭志ん生師匠の小噺で、男女の恋について語ったもの 小噺の概略を申し上げておきましょう「どんな男でもご婦人には迷うものです。清水寺に清玄(せいげん)という立派なお坊さんがいたが、桜姫のために思い悩んだ。「どうか桜姫に会いたい、お姫に会いたいとお姫ばかりを恋しがっていた。けれど会えなかった。これは会えないわけですな、こっちが坊主で向こうが桜だから。坊主と桜がオチになっていますが、花札の坊主と桜の事で、志ん生の噺には方々に出て来ます。

勿論、コノハナノサクヤヒメの話としては語られてはいないのですが、関東のコノハナノサクヤヒメはサクラヒメと呼ばれていた事が反映されていた可能性が高いのです。

恐らく近畿大和朝廷に完全制圧された段階で本来のサクラヒメはサクヤヒメと呼ばれ書き留められ、晩年になって移動した結果、関東では原音が残ったのではないかと考えています。

 木花之佐久夜毘売、木花開耶姫と表記される以前の原音が「サクラヒメ」として残ったのではないでしょうか?

 今のところ仮説の仮説のような段階ですが、コノハナノサクヤヒメはサクラヒメと呼ばれていたからこそ桜をシンボルとしており、ニニギと別れたコノハナノサクヤは晩年に関東に移動し、富士山浅間神社に痕跡を残し関東の玉川=多摩川(ヤタガラス)の領域に移動したと考えています。

無題.png
無題.png

コノハナノサクヤヒメの兄に当たる大国主命を祀る武蔵大国魂神社

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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