2018年09月21日

498 大分県豊後大野市への神社探訪 “朝地町綿田の俵積神社”

498 大分県豊後大野市への神社探訪 “朝地町綿田の俵積神社”

20171108

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 次に向かったのは朝地町綿田の俵積神社でした。

 舘雲見神社がある朝地町朝倉集落から山に向かって県道209号線上の綿田集落の鎮守です。

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今回は比較的楽に現地が発見できました。

 綿田公民館から山に延びている山道を少し入ると社殿が見えて来ました。

 しかし、そこは参拝殿か集会所風のもので、本当の社殿は道を挟んだ反対側にありました。

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俵積神社 カーナビ検索大分県豊後大野市朝地町綿田761


 一気に境内を見て頂きましたが、山門持ちの立派な神社であり、小さな集落でありながら良くこれだけの神社を造る事が出来たものだと感心します。

 戦時下から終戦直後までは人口も多く、山村でも都市よりは食料も豊富で村は豊かだった事が良く分かります。

 そもそも綿田とは海人族を思わせると同時に、綿作りは由布の繊維(苧麻)生産を思わせます。

 また、俵積神社とは縁起の良い畑作中心の朝地一帯にしては、平井川流域の穀倉の開発による豊かさがこのような山中にも立派な社殿が築けたように思えます。

 また、祭神に入れ替わりがある事も、複数の氏族の共存を思わせます。

 少なくとも、境内に置かれた金毘羅社は百嶋神社考古学では阿蘇草部吉見(海幸彦)と宗像の市杵島姫との間に産まれた大山咋神であることから阿蘇氏の進出も思わせます。

 してみると、後段で触れますが湯布院の宇奈岐日女神社に肝心の宇奈岐日女が表に出されておらず、阿蘇系の神々が見え隠れしている事と、宇奈岐日女を奉斎していた人々がどうなったのかは興味深いテーマでした。

その一端を掴んだような気もするのですが、思考の冒険が過ぎるかも知れません。

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いくつもの社殿が建てられており、それだけでも驚かされますが、この階段にしても、真ん中に板石が、周りに川で手に入れた玉石が敷き詰められ贅沢な造り方がされています。

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さて、幸いにも由来書がありました。

 しかし、元宮と現宮の意味が判然としません。

 クライナタマとウケノモチとは同一神だと思うのですが、我々の理解では伏見稲荷であり伊勢の外宮の豊受大神と同一神になるのです。

 明治期の旧郷社の段階では宇奈岐比古、宇奈岐比売が祀られているのが奇妙です。

 そもそも、湯布院温泉の名社である宇奈岐比売神社の事が頭に浮かんで来ます。

 ただ、当の宇奈岐比売神社には表向き宇奈岐比売が祀られておらず、もしも、湯布院からその奉斎氏族が逃げ込んでいるとすると話が旨いのですが、宇奈岐比売神社の謎の一端が見えた思いがします。

これについては、ひぼろぎ逍遥(跡宮)138 湯布院温泉と言えば宇奈岐日女神社 @  “宇奈岐日女は隠された!”以下@〜Bをお読み頂きたいのですが、無論、根拠あっての話ではありません。

ただ、このような山中の僻陬の地に人々が住み着くにはそれなりの理由があっての事だと思うべきで、そこに同一の神が祀られているとするならば、このような考えは、一応、許されるのではないかと思うのです。

いずれにせよ、郷社クラスの神社はその地域の大社であり、それなりの歴史を持っているはずなのです。

もう少し聴き込みをしてみようと思います。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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