20171108
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
これも旧朝地町役場から五キロほどの朝倉集落の神社の話です。
近くまでは行けたのですが、道が狭く悪いため引き換えし、地元の方に再度確認しようやく辿り着けた神社です。

この「朝倉」という地名は全国に40ケ所は拾えるもので、南の宮崎県西都市辺りから北上し全国に展開した熊襲(実は大山祗命を奉斎するトルコ系匈奴)系の人々が住み着いた痕跡地名と理解しています。

“熊襲(実は大山祗命を奉斎するトルコ系匈奴)系の人々が住み着いた痕跡地名”としましたが、この意味は、元々、大幡主系と言うか白川伯王系と言うのか、熊野系氏族の集落に実権を持つ熊襲系の支配が被さっていったのではないかという意味で、元々、この一帯は雲見という地名に表現される「雲見」(ウン、イン、エン+見=地名語尾)であり、本来は、忌部=卜部=陰陽師=殳(エンノオズノ)、瀛(イン)…といった白族系の地名であろうと思いますし、事実、この地の南西に白岩山がある事でもある程度の見当が着くのです。



さて、顔の見えない神社が多い中で、この神社に関しては立派な由緒書きが掲示されていました。
イザナギ、イザナミが夫婦神として併記されている事から単純に熊野系とは言えないように見えます。
熊野神社ではイザナミだけが祀られておりイザナギは排斥されているからです。
まず、大歳神は阿蘇の草部吉見神の事でありこの一族から藤原氏が登場するのです。
また、事解之男命は金山彦であり、火之迦具土神(ホノカグツチ)の事なのです。
重要なのは磐長姫命が祀られている事です。
これについては、ひぼろぎ逍遥(跡宮)020 細石神社とは何か? でこのように書いています。
目立たないものの、強烈な存在感を示すこの旧村社の祭神は、「磐長姫」と「木花開耶姫」(「姉妹」)とされ、一般には、ニニギの妃にと奨められたものの、返された方の不細工な姉と美しい妹といった無礼極まりない、また許しがたい話が平然と「記」「紀」その他に伝えられ、多くがそのまま受け入れそれで安心しているかのようです。
この安心によってか、「磐長姫」が何者かについては全く問題にされていないようです。
しかし、百嶋神社考古学ではこの「磐長姫」を天之日矛(後のスサノウ)と別れ新羅から舞い戻って来た比賣碁曾(ヒメコソ) 神社の祭神 阿加流比賣(アカルヒメ)とします。
直ぐに「時代(5世代)が全く違うじゃないか…」といった罵声が飛んできそうです。
もちろん、普通はそうですから、このことについて一切抗うつもりはありません。
ご覧のとおり、アマテラス、スサノウからイワナガヒメ、コノハナノサクヤヒメは二代下がり、おばあさまと孫の関係になるからです。
…中略…
スサノウはオオヤマツミとオオハタヌシという有力者同士の間に生まれたプリンセス=ミズハノメの入婿になり、オオハタヌシとイザナミの間に生まれたヤタガラスの実の妹アカルヒメへの入婿になっているのです。
ところが、ややこしいことに、アカルヒメの兄のヤタガラスはコノハナノサクヤヒメの実の姉のミズハノメの入婿にもなっているのです。
とすると、廻り廻ってミズハノメを介してコノハナノサクヤヒメはアカルヒメの義理の妹ということになるのです。
分かりにくいのですが、百嶋先生は、イザナミがイザナギと別れ大幡主の妃となっているという事実に筑前町(旧夜須町)の某神社の実見によって気付かれたことからアカルヒメの変名がイワナガヒメであるとされたようです。
イザナミが再婚していることなど神代においても(勿論現代においても)、タブーであったことから名を替えるのであり、その実例が2014年「国宝大神社展」の表紙になったクマノフスミノミコト(熊野牟須美神=熊野大社の主神)が大幡主の妃(博多の櫛田神社の祭神)となったイザナギの妃=イザナミの後の姿なのです。
ちなみに、イザナミの娘であるイワナガヒメは熊野本宮大社の主神となり、父である大幡主は熊野那智大社の主神となっているのです。
一度聞いても一度読んでも分かる話ではないので、再度、考えてみましょう。
スサノウは新羅の王子様ですが、アカルヒメは「祖国に帰ると」言っていますから、当然ながら新羅の人ではありません。
「そもそも、私はあなたの妻となるべき女ではありません。私の祖国に帰ります。」
そう言うと、すぐに秘かに小船に乗って、海を渡って逃げてしまいました。(「ひもろぎ逍遥」)
イワナガヒメは、博多の大幡主と伊邪那美(金山彦の妹で伊弉諾と別れた後は名を替えてクマノフスミ)の間に生れたヤタガラスの妹です。
ところが、スサノウは、オオヤマツミと大幡主の妹ハニヤスカヤノヒメとの間に生れた神大市姫=ミズハノメの入婿にもなっています。
ところが、アカルヒメの弟ヤタガラスは、ミズハノメの入婿にもなっているのです。その上にヤタガラスはニニギと別れたコノハナノサクヤの入婿ともなっているため、コノハナノサクヤヒメにとってアカルヒメは義理の姉になり、コノハナノサクヤヒメとアカルヒメは血の繋がりのない義理の姉妹となるのです。
ニニギがイワナガヒメを返した話が本当かどうかは分かりませんが、大幡主にとってアカルヒメは実の子であり、同時に自分の妹であるハニヤスカヤノヒメと有力者オオヤマツミの子であるコノハナノサクヤヒメを実の娘扱いにしたのはありうることなのです。
もし、この結婚が実現していれば、大幡主を軸に、オオヤマツミ、金山彦(カナサオオカミ)=後のスサノウ系、高木大神(ニニギの父)系の大連立政権が成立することになったはずなのです。
それを高木大神が嫌ったと考えるのですが、まだ、良くわかりません。
ここでは、アカルヒメの素性を隠すためにイワナガヒメと名を替えた可能性があったこと、イワナガヒメはスサノウが船で追いかけるほどの女性だったのであり、意図的に貶められている可能性がある事を頭に入れてもらいたいと思うのです。
熊野速玉大社は、和歌山県新宮市新宮1にある神社。熊野三山の一つ。熊野速玉大神と熊野夫須美大神を主祭神とする。
熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)は和歌山県田辺市本宮町本宮にある神社。熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉とも)を主祭神とする。
熊野那智大社は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社。熊野三山の一つ。熊野夫須美大神を主祭神とする。かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていた。
熊野は一社のみ実見では自信がありませんが、百嶋先生は十分お分かりのようでした。
アカルヒメがイワナガヒメとした場合、コノハナノサクヤヒメとは姉妹とは一応は言えることを長々と説明しましたが、では、なぜ、イワナガヒメがアカルヒメであると言えるかについては、まだ理解できてはいません。

この集落の性格が多少は見えて来たのではないかと思いますが、やはり重要なのは磐長姫命を祀るということでしょう。
この集落が存在した上に後に大山祗を奉斎するトルコ系匈奴=熊襲が進出し、金山彦系を排除した事から、スサノウから離れたアカルヒメ=磐長姫命(このためにアカルヒメと名を変えたのですが)を祀っていることに、金山彦系、大幡主系、朝倉地名を持ち込んだ大山祗系の神々がバランスを取って祀られている事が見えるのです。
研究目的で百嶋由一郎氏の資料を必要とされる方は09062983254までご連絡下さい


にお読み頂き有難いと思っています。















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