2018年09月15日

496 大分県豊後大野市への神社探訪 “朝地町梨小の神男嶽神社”

496 大分県豊後大野市への神社探訪 “朝地町梨小の神男嶽神社”

20171107

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


この間大分県内の名社、大社を駆け巡ってきましたが、今後は目立たない神社もじっくり見て、豊後の神祭りの在り様を掴みたいと考えています。

 実際、豊後大野ほど面白いところはなく、多くの神々が封印されている様に思います。

 11月の三連休、喧噪と渋滞を避けじっくり勉強でもしようとも思ってはいたのですが、あまりにも天気が良い事から何時の間にか飛び出していました。

ただ、豊後の西部である日田市から豊後の東部である豊後大野へは二時間弱掛かるため、今回は湯布院温泉の手前から湯平温泉に抜け、広域林道だか広域農道だかで九重連山の東北側を抜け長湯温泉から朝地町周辺の神社を見ることにしたのでした。

この朝地町は荒城の月の竹田市の東隣にあるのですが、昨今、豊後大野市となった畑作中心のあまり知られない土地です。

当然ながら、なかなか足を踏み入れない土地だけに、その分、凍結された神々がそのまま確認できるのではないかと考えていました。

しかし、そう単純には上手くはいかないもので、豊後大野の神社には祭神が誰かが全く分からない神社ばかりで、原型が保たれている要素はそれなりに評価できるのですが、祭神を特定するのはなかなか容易ではないのです。

大分県には「神社神名帳」があるのですが、県立図書館クラスしか閲覧できないため、購入する方針ではあるのですが、物が出てこないため困っているところです。

まず、最初に見に行ったのは朝地町栗林の鳥嶽神社でしたが非常に分かり難い神社でした。

何度も行ったり来たりしてようやく見つけたのですが、おいそれと見つかるような場所ではなかったのでした。

そこで、夕方も近くなってきた事から、神男嶽神社は翌日に回し、まずは、名湯中の名湯の長湯温泉で疲れを取って(浴槽で一時間半ほど本を読んでいましたが)、その日は車中泊することにしました。

 翌日、早朝から動きだし、この神男嶽神社に向かいました。

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神男嶽神社 カーナビ検索 大分県豊後大野市朝地町梨小295番 


 昨日の栗林の鳥嶽神社に比べれば探し易かったのですが、この神社も普通に考えれば見つけやすい神社とは言い難く、見つけた時はそれなりに感激しました。

 とは言え神社の祭神名など書いて無い事は明らかで、始めから如何なる神社であるかは推定するしかありません。

 元より、ネット情報によっても何も得られるものはありません。それほどマイナーな神社なのです。

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では、何でこのような神社を取り上げたのかと訝しがられるかも知れません。

 その話は後回しにするとして、まずは、社殿を見て頂きましょう。広葉樹の落葉が非常に心地良いです。

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参拝殿と神殿


 神紋もなく、祭神が不明とは言え、この神社の社名と千木から判断するにここの神様はある程度見当が付きます。

ひぼろぎ逍遥(跡宮) 367 健男霜凝彦を祀る神社が久住町にもあった “大分県竹田市久住町久住神社” でも書いた健男霜凝彦を祀る神社ではないかと考えています。

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百嶋由一郎金神神代系譜(部分)


 この祭神問題はまだしばらく時間が掛りそうです。境内には摂社と思われる祠が一つ置かれていました。

お稲荷さんです(下左)。そこで、この神社新築記念碑(下右)の素晴らしさについてお話ししたいと思います。

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 このような神社新築記念碑はどこの神社でも見掛けるのですが、何故、この記念碑に心惹かれたかと言うと、その文章の明晰さとその美しさ、それに大正年間という百年にも近づくものながら未だに欠落のない石材と彫りの素晴らしさに驚いたからでした。

 大正4年に、秋岡、首藤…といった方が中心となって神社が再建されたのですが、残念ながら、この美文を書かれた方の名は掛かれていません。                   神官は和田熊彦氏。

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同社は直入村梨小字志屋の旧村社であり、明治6年に新築されたのですが、大正2年に失火により再建するに至った事が簡潔ながら滔々と書かれていたのです。


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百年を経て立派な文章が良く残っていると思うのですが、神社の再建に際して多くの方がそれぞれの役割を果たし、その任務を受け止める機能が存在していた事が手に取るように分かるものでした。

まずは、石材の良さが良く分かります。

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とても百年近くを経た石碑とは思えない立派な彫りですが、まさに「石に刻め」とは良く言ったもので、現在、これと同等のものが再建できるとは到底思えないものです。

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これも神殿基底部の石垣です。このような不規則な積み方こそが地震に対して最も強靭で、どちらの方向から力が加わっても決して崩れないもので、今のような規則的なコンクリートのブロック積みでは直ぐに壊れ、ボロボロに劣化するのは当たり前で、いずれが強いかは時間が説明する事になるのです。

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研究目的で百嶋由一郎氏の資料を必要とされる方は09062983254までご連絡下さい

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:19| Comment(0) | 日記
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