2018年08月18日

487 トレッキングで訪問する八幡宮について “福岡県うきは市若宮八幡宮”

487 トレッキングで訪問する八幡宮について “福岡県うきは市若宮八幡宮”

20171010

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 まず、旧浮羽町から吉井町に掛けては物部勢力の最大拠点と言った印象を受けるのですが(これは多くの物部系集落を見ていくと経験的に分かってくるのですがここでは省略します)、この古代の汀線とも言える場所に日ノ岡、月ノ岡古墳があり、若宮八幡宮が鎮座しています。

 今回、古墳については伊藤女史に、若宮八幡に関しては当方が、周辺の物部系神社については宮原氏によるものとしてトレッキングを企画しましたので、本稿はその案内用資料として準備したものです。

 この神社は鎌倉政権成立以前の仁平3年(1153年)に源為朝が現在の神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮(日本三大八幡宮のひとつ)を分霊して創建されたと伝えられています。

その源氏の一族とは有名な源為朝、通称、鎮西八郎為朝と言われた人物とされています。

私の実家がある佐賀県の武雄市〜有田町にかけての黒髪山にも鎮西八郎為朝が天童岩を七巻き半巻く大蛇を退治したという伝説が残っています。

落語の世界では“大岩を七巻き半も巻く大蛇とは大きな蛇となるのですが、ハチマキよりは少し短い大蛇…といったオチがつくのです。

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鎮西八郎為朝の話は非常に面白いのですが、話が逸れますのでやめておきます。

 この神社は、現在、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、三女神、埴安姫命とされています。

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無題.png「福岡県神社誌」では5pにもなるためトップ・ページと最後尾部分のみを掲載


この神社については、以前、短時間見ただけで、初見に近い事からこの程度の下調べに留めておきますが、西日本から北関東まで多くの若宮八幡宮を見てきた経験から言えば、高良玉垂命と若宮=仁徳天皇を祀る神社としての祭祀形態が基層部に存在している事だけは明らかな上に、三女神、埴安姫を祀る祭祀形態も認められる事から、正八幡宮としての可能性もあるようです。

 最低でも、宇佐八幡宮ではなく鶴岡八幡宮という橘一族が造った神社の可能性が高く、この地域の「若宮」と言う地名や、この一帯の神社の背景から言っても橘一族の最大拠点であったことが見えて来るのです。 右は大男強弓の鎮西太郎為朝

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皇宮皇后とは神功皇后であり開化天皇とは高良玉垂命であり若宮とは仁徳天皇のことなのです

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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