2018年07月01日

471 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に B…月山富田城を望む名もない神社について

471 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に B…月山富田城を望む名もない神社について

20170909

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 月山富田城と言えば、石見銀山をはじめとして中国地方の支配権をめぐって毛利氏と死闘を繰り返した尼子氏の居城であり、尼子氏の再興に動いた山中鹿之介の話と共に心動かされるものです。

丹後丹波への道すがら休憩を兼ねて温泉に入るべく月山富田城の付近まで入り込みました。

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ネット上で拾ったものですが、月山、橘の神紋、三日月のトルコ系匈奴を意識しますね


月山富田城(がっさんとだじょう)は、島根県安来市広瀬町富田に所在した日本の城。月山(標高197m)に営まれる。戦国時代に山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台となった。城郭跡は国の史跡に指定されている。…歴代の出雲国守護職の居城で1396年から1566年(戦国時代)には大名尼子氏の本拠地となり以後尼子氏とともに山陰の要衝の地となった。尼子氏は中国地方の覇権を巡って周辺諸国と争い尼子経久の時期に出雲に基盤を造り上げ、嫡孫尼子晴久の代には山陰・山陽八ヶ国守護の大大名となった。天然の地形を利用した、最も難攻不落の要塞城といわれ「天空の城」とも呼ばれていた。その後、城を巡っても度々攻防戦が行われたが最終的に尼子氏は毛利氏によって滅ぼされ、城も毛利領となった。

ウィキペディア(20170909 1057による


それは良いとして、ここで取り上げるのは名もない神社です。

月山富田城を望みながら広瀬町の奥に向かっていると気になる神社が右手に見えてきたことから急遽引き返して見せて頂きました。

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西松江公民館が併設されています。小さな神社ですが、良く手入れされた境内です。

伯耆辺りから但馬にかけて目立ち始める産土の風習もあるようで小さな感銘を受けました。

全国で神社が放置され始めていますが、このような手入の行き届いた神社を見せてもらうと地域のありようが見えて嬉しくなります。

三社神社以外は情報が出てきません。

ネット検索をしても広瀬町の神社としては拾えませんので認識されていないようです。

祭神が何かといったことについて今回は気にしません。

ただ、柴刺し風習が残っていたので、結界が張られる以前の祭祀が継承されていることに気付き、古層の祭礼の残存を認識したところでした。

これもそのうち消え去ることでしょう。


無題.png
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山中鹿之助が闊歩した月山富田城(これは付近の佐々布神社境内から見た富田城跡遠景)

星や三日月はトルコ系匈奴のシンボルなのですが… アイラツヒメのアイラールもトルコ語の月

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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