2018年06月02日

461 南さつま市の辺境に市杵島姫と草部吉見の故地を発見した? 阿多の白川の日枝神社

461 南さつま市の辺境に市杵島姫と草部吉見の故地を発見した? 阿多の白川の日枝神社

20170819

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


これは、「ひぼろぎ逍遥」517520で書いたものの関連ですので、「ひぼろぎ逍遥」に書くべきかも知れませんが、内容がかなり神社考古学に絡むものである事から、ひぼろぎ逍遥(跡宮)で扱うことにします。

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517520は九州王朝論の導入部のような話であり、無関係と言えば無関係になりますので、これから話す事からは遠い話であり、恐らくこれで良いのでしょう。

いずれにせよ、この4〜5本のblogについてお話しするために350キロを走り貫き、南九州市の手前の南さつま市を訪れたのでした。

その二週間前には兵庫県但馬を訪問していたのですから距離は半分で直ぐに届く距離です。

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南九州市金峰町白川阿多の南東、旧加世田町の東にあることがお分かり頂けますか?


無題.png実は、百嶋由一郎氏の音声記録の中に“阿蘇の草部吉見さんと市杵島姫はご夫婦として若いながら阿多で村長をされていました。”(不正確ですかね?)といった話をされていました。

この他にも、市杵島姫は甑島(甑島には鹿島がありますね、これも鹿島大神=草部吉見と関係があるのです)のカノコユリが好きで、別名の佐用姫とはサユリを愛したからではないかとも思うのですが、それはともかく、このお二人がどこにおられたかは百嶋先生から聴いておらず、市杵島姫がカノコユリと関係がある事だけは 437 勝沼ワインの里の大善寺(特別版)に触れています。

どちらにしてもその話だけは耳に残っており、阿多を通過する度にその事を考えていました。

今般、南九州市川辺町を訪れたついでに、南さつま市に白川集落がある事に気付き、彼らはここに居たのではないかと考え、今回入って見ることにしました。市杵島姫は白山姫の後裔でもあるのです。

言うまでもなく、白川とは白川伯王(天御中主命)の一族が居た場所に付けられる地名であり、日枝も日吉大社=松尾大神を意味しており、草部吉見と市杵島姫の間に産まれた大山咋神=佐田大神を意味しており、まさにピッタリなのです。

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あの売国奴小○純一郎の父小○純也は東加世田村の出身でここからもそう遠くはない 後に朝鮮銀行に勤務とか…

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縁起では祭神を猿田彦としています。鹿児島、宮崎は維新政府の中核だったためか、主要な祭神で祭神の入れ替えを行っている事が分かっていますので、真に受けることは出来ません。

全国でも草部吉見=海幸彦を祀る神社が非常に少ない事は事実です。

このことには海幸彦に対して山幸彦が勝利したことが反映されているのだと思いますが、この祭神が猿田彦で無い事は明らかで、それは日枝神社や日枝という地名からも分かります。

面白いのは縁起にある“鎌倉期の橋口又太郎が白川宇治野に御神体を安置した”という部分であり、白川とは市杵島姫系統の象徴的な地名であり、宇治は阿蘇氏、それも阿蘇を健磐龍に任せ東に進出した本当の阿蘇氏を意味する多氏、宇治氏を意味する地名である事から、この時点までは、市杵島姫と草部吉見の共同祭祀は残っていたものと思います。

今後この地区の調査は心掛けますが、最早、痕跡は辿れないのではないかと思うばかりです。

多分、山幸彦=猿田彦祭祀に変えたのは島津か明治維新以降の人々だろうと思うものです。

少なくとも、白川、日枝、宇治、出水(泉)という地名がセットで在る事が脅威的で、二番目の地図の端に高良地名があり、ここにも高良神社がある事は既に書いています。

泉も初期の九州王朝を暗示します。九州王朝の初期の形態が辿れる重要な場所である事は明らかです。

元々加世田とは地名からも分かりますが、干拓地としての地名であり、本来、古代に人が住み着いていたのは微高地の阿多や安全で水の豊かな白川などであったはずなのです。

殊更、日枝という地名があり日枝神社として残っている事はもしかしたら大山咋はこの地で産まれたのではないかとまで思うのですが、無論、思考の冒険、暴走である事は否定しません。

しかし、水の豊かな古代の一等地です。

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大山咋=日吉=日枝こそお二人の神様の子神なのです

研究目的で百嶋由一郎神代系譜を必要とされる方は直接09062983254までご連絡下さい


posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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