2018年04月03日

442 トレッキングで訪れた馬敷の大山祗神社 “福岡県飯塚市馬敷”

442 トレッキングで訪れた馬敷の大山祗神社 “福岡県飯塚市馬敷”

20170530

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


今回は、スポット103 太宰府地名研究会4月期トレッキングで獲得した細やかな成果 で取り上げた飯塚市馬敷の大山祗神社をご紹介したいと思います。

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飯塚市馬敷の大山祗神社カーナビ検索 飯塚市馬敷…

現地は上馬敷公民館辺りですがかなり分かり辛い為地元の方に尋ねるしかありません

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→方向の山の中に入って行くのですが距離はさほどではありません


道が狭く舗装も完全ではなく傾斜もきつい為、2t車までは入りそうですが、普通車では、まあ、踏み込まれない方が無難でしょう。

結局、上馬敷の公民館辺りに車を止めて歩く方が良いのですが、山沿いの道を少し歩けば、突然、森の中に社殿が見えて来ます。

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大山祗神社参拝殿神殿


今回のトレッキングは、古代の筑紫と筑豊(太宰府と飯塚)を繋ぐ要路の米の山峠越えルートの途上に如何なる神社が並んでいるかを考えて頂く事でした。

勿論、大山祗神社が並んでいる事に気付いてトレッキングを組んだのですが、この奥まった山蔭にも大山祗神社が鎮座している事を見た参加者も驚いておられたようで、それなりの成果はあったようです。

森の中の神社はそれなりの神秘性を感じさせるものであり、それだけでもトレッキング参加者も満足されたようでしたが、まずは、石柱の桜の紋章と瓦の破片の桜の文様が大山祗の娘の木花咲耶姫を表す事を理解して貰えたようです。

この点、「福岡県神社誌」とも整合し問題はないようです。さて、大山祗神社が鎮座する「馬敷」ですが、実際には馬敷でも上馬敷にあり、隣には下馬敷があります。

この「馬敷」という地名が、熊本地震で全国的にも知られる事になった「益城」(熊本県上益城郡益城町)の置換え、民族移動による古地名の持ち込みによるものとの話は過去何度か行っています。

そして、その中間に存在するのが甘木(現朝倉市)であり、故)百嶋由一郎氏からは“甘木は、アマギと読んではいけません、甘シ木(ウマシキ)とお読みなさい”と聴いています。

宇摩志阿斯訶備比古遅(記) 可美葦牙彦舅尊(紀)…のウマシのはずなのですが、味師内宿禰(ウマシウチノスクネ)のウマシは「味」、「甘」で置き換えられるのです。

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この大山祗神社への参道の途中には別の麻敷神社があります。

無格社扱いなのか「福岡県神社誌」でも確認できません。

奥にある大山祗神社の元宮なのか不明ですが、同じく大山祗木花佐久屋姫を祀っているようです。

勿論、単なる地名の付合ではなく、神社、祭神、伝承…の対応を追求すべきなのですが、熊本はどころか、鹿児島+宮崎(古代日向国)に大山祗祭祀が色濃い広がりを見せている事は、神社に詳しい方ならば良くご存じの事と思います。

ちなみに、大山祗の墓と言われるものが宮崎県西都市の西都原第2古墳群にあり、大山祗を主神として祀る石貫神社(宮崎県西都市三宅4615−ロ)がその正面に鎮座しています。

娘の木花咲耶姫(コノハナノサクヤヒメ)を祀る神社が宮崎県西都市妻1に鎮座する都萬神社なのです。

当然にもこの一帯から北に向かって展開したのが、大山祗、木花咲耶姫祭祀であり、祭祀だけが独り歩きしたとは考え難く、当然、奉斎する民族、氏族も一緒に移動しているのです。

百嶋神社考古学では、宇摩志阿斯訶備比古遅と天御中主命との間に産れたのが大山祗であり、姉の越知姫であり、その大山祗と埴安姫との間に産れたのが神太市姫、大国主命、木花咲耶姫となるのです。

また、前述の石貫神社(宮崎県西都市三宅4615−ロ)の石貫の地名移動が熊本県玉名市の石貫であり、そこからそう遠くない和水町には、江田船山古墳が鎮座しているのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


研究目的で、百嶋由一郎氏の講演音声CD、手書きスキャニング・データ、神代系譜スキャニング・データを必要とされる方は、09062983254 まで直接ご連絡下さい。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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