太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「百嶋神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログを継続しています。


これにはプロバイダーを含め何時情報封殺が行われるかも知れないため、最低でも複数の発信媒体を準備しておくべきではないかと考えているからでもあります。


今後ともかなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史によるblogひもろぎ逍遥に対抗しようという意図はないのですが、華麗なひもろぎ逍遥に対して、緋色のボロ着で、神籬=ひもろぎ(ひぼろぎ)を逍遥=彷徨い歩き、神社を探るというほどの意味で、「ひぼろぎ逍遥」を随時書いて行くことにしたものです。ただし、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象なども認められます。


 さて、現在、ひぼろぎ逍遥とひぼろぎ逍遥(跡宮)との合計のアクセス数は日量10001200件(年間4045万件)まで上がっています。


 同時に、連携する研究者によるblog20近くまで数を増やしており、全体では最低でも年間100150万件近いアクセス数を持っているものと思われます。


 当blogには九州王朝論から百嶋神社考古学へと向かわんとする多くの研究者、記録者、bloger…が参集されています。


 年に10回、10年でも高々100回程度の研究会でも大半は教育委員会関係者から学芸員といった利権まみれの方々通説を拝聴し心服するような、研究者亡き研究会は全く何の価値もないものと考えており、そのようなどこにでもあるような話を好まれる方々は、そこら辺りの既存の郷土史会、史談会に行かれ、村興し、町興し、世界遺産登録に拍手を送り、思いっきり尾を振られれば良いでしょう。


しかし私達は後ろ指を刺される様な探究に踏みとどまり、これまでの歴代の行政権力が隠し続けた真実の歴史の探求へと向かう人々への道標と成ろうと思うものです。




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2018年02月05日

ビアヘロ032 山田論文のご紹介 “「お稲荷さま」を考察する”

ビアヘロ032 山田論文のご紹介 “「お稲荷さま」を考察する”

20180106

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


ひぼろぎ逍遥とひぼろぎ逍遥(跡宮)には多くの研究者のblogがリンクされていますが、その一つに愛知県安城市の山田 裕さんの「百嶋神社考古学」から見る古代があります。以下…

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正月早々に、某神社の氏子総代の立場に忙殺されながらも、稲荷に関する詳細な検討が加えられた論稿が送られてきました。

 ここに全文を掲載させて頂きますが、当方の手により画像とか地図等を加え読みやすくかつ分かり易く編集を加えさせていただきます。

 山田さんは九州王朝論の立場から古代史を探究する研究者ですが、今回も文献史学の観点から「お稲荷さま」に精緻なメスを入れておられます。

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お国自慢風に私の出身県である佐賀県に鎮座する巨大神社祐徳稲荷(鹿島市)をご紹介しましょう


「お稲荷さま」を考察する

安城市 山田 裕

はじめに

 全国の神社の中で最も多いといわれているのが稲荷神社である。総本社は京都の伏見稲荷大社で、ご祭神は宇迦之(うかの)御魂(みたまの)(かみ)で、大宜津比売(おおげつひめ)、保食(うけもちの)(かみ)とも称されている。

 本来は、一坐の神のはずだが、総本社の伏見稲荷大社では、以下の五坐の神が祀られている。

 本殿

下社 宇迦之御魂神

中社 佐田彦大神

上社 大宮能売(おおみやのめ)大神

  摂社

 田中社(田中(たなかの)大神)・四(しの)大神

 どのような経緯で一坐から五坐に至ったかを同社に関わる文献史料から辿ってみるとともに五坐の神々についても検証を試みたい。

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1.      文献史料


1)奈良時代以前 

〇『山城國風土記』逸文

 「“伊奈利”と称する所以は、秦(はた)中家忌(なかつけい)(むき)などの遠い祖先の秦氏族“伊侶具”は稲作で裕福であった。餅を的にして、矢を射ったところ、餅が白鳥に変貌して飛び立ち、この山(稲荷山)に降りて稲が成ったことから、社名とした。」

〇「稲荷神鮭神主家大西(秦)氏系図」

 「秦公、賀茂建角身命二十四世賀茂県主、久治良ノ末子、和銅四年(704)二月壬午。稲荷明神鎮座ノ時禰宜トナル。天平神護元年(765)八月八日卒」

 上記二史料からは、秦氏と「稲荷神」との因果関係はうかがえない。確実なのは、秦氏が天平神護元年から稲荷社の社家として禰宜職に就いたことだけである。


2)平安時代

〇「延喜式」神名帳頭註

 延喜五年(924年)にまとめられた「延喜式」神名帳頭註に、「稲荷」山城國紀伊郡

 本社 倉稻魂神也 此神素戔嗚の女也、  

 母大山祇神女大市(おち)姫也

 ご祭神は大市姫神の一座で倉稻魂神=大市姫と認識されていたようである。

 根拠は、『日本書紀(以下、『紀』と略す)−神代上』第五段一書第七に

「倉稻魂、此れを宇介能美佗磨と云う」と記されているが、「倉稻魂」を「ウカノミタマ」と読むには無理があり、『紀』編纂者の意図が盛り込まれていると考えられる。

博多の「櫛田神社」の元宮とされる佐賀県神埼市神埼の「櫛田宮」の摂社櫛森稲荷神社のご祭神は以下の通りである。

倉稻魂命・大宮女命・猿田彦命

倉稻魂命は古代から「稲荷さま」として崇められていたと考えられる。また、倉稻魂命と大宮売命は同体の神ではないことを語っている。

次に、大市姫を検証すると

『古事記(以下、『記』と略す)』の須佐之男命の系譜において登場し、大山祇神の娘で、櫛稻田比売の次に須佐之男命の妻となり、大年神(大歳神とも記される)と宇迦之御魂神を生んだとされ、またの名を大歳(おおとし)御祖(みおやの)(かみ)とも呼ばれている。

 余談だが、卑弥呼の墓とされている箸墓古墳には、宮内庁冶定として「大市墓」の銘がある。通説は倭迹迹日百々襲姫である。

〇「延喜式」大殿(おほとの)(ほかひ)祝詞(忌部氏)

同祝詞は「屋船久()久遅(くちの)(みこと)・屋船豊宇気姫命・大宮賣命」の三神を祀って皇御孫命の住居である宮殿の平安を願い大御身の平安と御代の繁栄を希求する祭りである。

稲荷社と関連する記述は見えないが、 

 忌部氏は稲荷社のご祭神を「屋船久()久遅(くちの)(みこと)・屋船豊宇気姫命・大宮賣命」の三坐と認識していたようである。

屋船豊宇気姫命について、後代の注記では「これ船の霊(みたま)となり、世に宇迦之という。」と説明し、豊宇気姫命=宇迦之御魂神であるとの認識を示しているが、こじつけの類であろう。素直に「屋船」を屋根板が葺かれた船で、両神は船で移動してきたと考えられる。

豊宇気姫は伊勢の下宮のご祭神「豊受大神」と同体の神と認識されている。

豊宇気姫について、『記−神々の生成』では、イザナミが体調を崩して尿から生まれたのが弥都波能売の神、和久産巣日の神。この神の子は豊宇気毗売の神と記しているが、『紀』には記述がない。

トヨウケ姫が尿から派生した神であるにもかかわらず、格式の高い伊勢神宮下宮・広瀬大社のご祭神として祀られているのは、解せない。

したがって、トヨウケ姫に関する『記』の記述は不審と言わざるを得ない。

伊勢神道の渡会氏は下宮の「豊受大神」を内宮の「天照大神」よりも上位に置いていた。 

渡会氏は朝廷が南北朝に分立した際に南朝側についたことにより、室町時代になると吉田兼倶が興した「天照大神」を最高神とする吉田神道が朝廷と幕府に受容され、次第に伊勢神道は吉田神道に圧迫され、その勢力が衰微した経緯がある。

無題.pngトヨウケ姫と一対の神とされる屋船久久遅命との関係について、『記』は一切記述していない。

久久遅命について、『記―神々の生成』では、イザナギとイザナミとの間に生まれた木の神「久久能智の神」と記され、『紀−神代上 第五段一書第六』では、木神等を「句句廻馳」と記しているが、トヨウケ姫と関連する記述はない。

京都市伏見区深草にある鎌(けん)(たつ)稲荷社は、倉稻魂命と猿田彦の二坐を祀っていることから、ククチノ神は猿田彦神である可能性が高い。

大宮売神については後述する。

〇「伊呂波字類抄」平安時代末期に橘忠謙が著した国語辞典。   

 下宮 田中 中宮 命婦 上宮 小薄

田中・命婦神については後述する。

小薄神の「小薄(をすすき)」は「キツネ」の意と解釈されているが、本当のところは不明である。


3)鎌倉時代

〇『古事類縁―神祇部六十八』

 稲荷神社 山城國紀伊郡深草村稲荷山ノ麓二アリテ倉稻魂命・素戔嗚尊・大市姫命ヲ祀ル

 同書は、倉稻魂命と大市姫命とは別の神としている。

〇「神祇拾遺」稲荷社本縁

本殿 宇迦御魂神父大地主素戔嗚、母大山祇女大市姫 又豊宇気 傳有之 

第二殿 素戔嗚命

 第三殿 大市姫 己上秘秘中甚深事也

 中社 大巳貴命

 四大臣 五十猛命・大屋姫・抓津姫・事八十神

同書「鈴鹿本」は、

本殿 宇迦御魂神父大地主素戔嗚、母大山祇女大市姫 又豊宇気 傳有之

第二殿 素戔嗚命

 第三殿 大市姫亦大宮命婦(みょうぶ)トモ云ウ

 田中社 大巳貴命

 四大神 五十猛命・大屋姫・抓津姫・客人大歳神

 同書には、弘長三年(1263)田中社・四大 神の二坐を加え、五坐とされたとあるが、いかなる経緯で祀られたかは不明である 

 命婦とは、天平宝宇元年(747)に施行された「養老律令−職員令」の中務省条に、五位以上の女性を内命婦、五位以上の官人の妻のことを外(げの)命婦という。但し、命婦は官職ではなく所属官司の職掌に奉仕する地位であった。命婦の奉仕する対象は内侍司の務めで、天皇の儀式或いは神事に限定された。

ところが、古代において命婦は側室の意であった。

 スサノオの正妻は櫛稲田姫とすると、大市姫は二番目の妻であることから、側室の意である「命婦」と呼ばれた可能性もうかがえる。

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伏見稲荷HPによる

 「田中神」については後述する。

「四大神」のうち、五十猛命・大屋姫(またの名大屋津姫)・抓津姫は『紀−神代上第八段一書第四』にいずれもスサノオの御子とし、五十猛命を樹種の神、紀伊国に坐す大神。大屋姫(またの名大屋津姫)・抓津姫は樹種を全国に分布した女神と記している。

『記』には三神の記述はない。

客人(まろうど)神の大年神について、『記』はスサノオと神大市姫との御子神と記しているが、『紀』には記述がない。

『先代旧事本紀−地祁本紀』では、大年神を五十猛命の弟と記しているが、同書の研究家である原田常治・大野七三の両氏は、大年神と饒速日命とは同体の神であると指摘している。

〇「諸社根元記」稲荷

 下社 大宮命婦 田中社

 中社 大宮 四大神

 上社 客神十禅師

〇「神道五部書」

 伊勢神宮で編纂された書。同書には、内宮と下宮の主な社殿と祭神が記されている。同書の一つである「伊勢二所皇大神御鎮座伝記」では内宮について「御倉神」の三坐は、素戔嗚の娘宇迦之御魂神なり。また、専女(とうめ)とも 三狐神(みけつかみ)とも名づく。」と記される。

 専女は、平安時代の紀貫之による紀行文『土佐日記』では、老女として記されている。

 三狐神の「狐」に着目すると、「伊呂波字類抄」で稲荷社下宮のご祭神「小薄神(狐の意)」が、ウカノミタマ神である可能性がうかがえる。

 下宮についても、「調(つきの)御倉(みくらの)(かみ)は、宇迦之御魂神におわす。これ、伊弉諾・伊弉冉二柱の尊の生みし所の神なり。また、大宜都姫とも号す。また、保食神とも名づく。神祇官社内におわす御膳(みけつ)(かみ)とはこれなり。また、神服機殿に祝い祀る三狐神とは同坐の神なり。故にまた専女神」とも名づく。斎王専女とはこの縁なり。また、稲の霊も宇迦之御魂神におわして、西北方に敬いて祭り拝するなり。」と記されている。


4)室町時代

〇「吉田家神道書」

 神祇次官吉田兼倶が著した「神名帳頭註」伏見稲荷条では、「本社。宇迦之御魂神也。

この神は素戔嗚の娘なり。母は大市比売なり。宇迦之御魂神は百穀を播きし神なり。故に稲荷と名づくか。伊弉諾の御娘にこの名これあり。」と記している。

 イザナギの御娘について、『記』は、「石巣比売の神・水の神速秋津比売の神・鹿屋野比売、亦の名を野椎・大宜都比売の神」の四神と記している。

他方、『紀』は、「大日靈(おおひるめ)(むち)・土神埴山姫・水神罔象女・水戸神等速秋津日命」の四神と記しているが、倉稻魂命は、軻遇突智神から派生したものであり、イザナギの子ではない。

したがって、吉田兼倶がウカノミタマ神をイザナギの御娘とする根拠は奈辺にあるのか不明である。

  〇「二十二社註式−伏見稲荷条」神祇次官吉田兼(かね)(みぎ)が著した書。

下社 大宮女命 伊弉冉の娘罔(みず)象女(はのめ)

中社 稻倉魂命神 一名豊宇気姫命、広瀬大明神・伊勢下宮 

上社 猿田彦命

吉田兼右は大宮女命=罔象女命とし、同様に稻倉魂命神(倉稻魂命の誤記かもしれない)=豊宇気姫命としている。

 大宮女は大宮売・大宮能賣神・大宮比売命等と表記され、大同二年(807)に成立した斎部広成による『古語拾遺』では、天太玉命の御子神としている。 

 「玄松子」のブログでは、大宮売命を天細女命とし、同体の神と紹介している。

天太玉命について、『記』は「布刀玉命」、『紀』は「太玉命」と記されるが、出自は不明である。両書では、「アマテラスの岩戸隠れ」と「ニニギノミコトの天孫降臨」に登場するが、大宮女命との関係については記されていない。

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2.「百嶋神社考古学」

文献史料を検証すると、「倉稻魂神(ウカノミタマ)・大市姫・大宮売」の解釈が錯綜を極めている。また、田中神・四大神についての解釈も曖昧模糊となっている。

「稲荷さま」の解釈を巡っては、「神社考古学」に60年を捧げた故百嶋由一郎氏が作成された「神々の系図−平成12年考」と同氏の講演で採録されたDVDに重要な示唆が含まれていると考えられるため検証を試みたい。

1)大市姫

 大山祇神(またの名月読命)と草野(かやの)(ひめ)との間の御子神で、またの名を水神罔象女・龍神姫・伊和野姫とも表記される。 

スサノオの二番目の后となり、御子神に辛国息長大姫(またの名を志那津姫・大目姫・天細女命等)がある。

大市姫のまたの名、罔象女神は全国各地の神社で祀られている。

『記紀』は、罔象女をイザナミが体調を崩した際に尿から生まれた神として描かれているのとは対照的である。

多くの名を持つ理由は、当時の女神は血筋・格式が尊く、結婚や移動の都度名を改められたと百嶋氏は指摘している。

スサノオとの間に生まれた御子神は辛国息長大姫(志那津姫)こと天細女としている。

2)倉稻魂神 

 故百嶋氏は「倉稻魂神は大市姫」であり、またの名を罔象女・龍神姫と呼ばれていたとしている。 

 スサノオとの間に誕生したのが、辛国息長姫、またの名を支那津姫・大目(うず)(ひめ)・天細女・女鍛冶神と呼ばれたとしている。

女鍛冶神と呼ばれた所以は確かではないが、稲作増産に寄与した農業鉄器生産の熟練者であったと推測される。

女鍛冶神の母、大市姫もそのような側面を有していた可能性がある。

大市姫の活躍時期は、弥生時代末期に急速に発展した稲作文化時期に符合する。民は稲作増産による備蓄米・余剰米を貯蔵するための「倉」を建設した。「倉」から搬出された余剰米は、市で「物々交換」で売買された。この市が「交易の中心地」として発展し、「大きな市」を形成していったと考えられる。

すなわち、市場経済の萌芽である。

大市姫の「大市」は「大きな市」を意味し、現代的に言えば「市場経済」を齎した。

その証左が全国に残されている「大市」の地名に残っている

大市姫は、稲作文化発展の功労者として、後に民から「倉稻魂神」として崇められたと推測される。

「倉稻魂神」の訓みは、「ソウトウタマ神」或いは「ゾウドウ玉神」とよばれていたかもしれない。

3)大年神(大歳神とも表記される)

『記』では、ウカノミタマ神の弟神として、皇統や支配神でもない神だが、神裔が記される珍しい神である。この点について故百嶋氏は、阿蘇の統領多(おほ)氏の庶流であった阿蘇氏の末裔につながる藤原氏によって『紀』に挿入されたと述べられている。

同神を祀る神社は「平成祭データ」で検索すると全国に734社あり、最周密地域は兵庫県で448社ある。同神社の由来については神亀年間(724729)に伊勢の伊雑宮から勧請されたとする神社が多い。

故百嶋氏は、大年神はまたの名を海幸彦・天児屋根命・天忍穂耳命・志那津彦・饒速日命・五十猛神など多くの名で呼ばれていたとしている。

大年神の妻、志那津姫はまたの名を出勢稲荷・女鍛冶神・豊受大神・猿女・天細女命などと呼ばれていた。

両神の御子神に御年神があり、またの名を拝跪(はいきの)(かみ)と表記される。

 大年神こと海幸彦は『記紀―海幸彦・山幸彦神話』では、後に山幸彦の従僕となるなど散々の態であるが、多くの神名を持つ偉大な神として日本各地の神社で篤く崇拝されている。

 一例を挙げれば、またの名である天児屋根命は、全国の春日社で祀られている。

ところが、妻の天細女命は名を秘されて「比賣神」とされている。同様な例が下総国一宮の香取神宮でも、海幸彦のまたの名「經津主命」とともに「比賣神」が祀られている。

なお、吉田神道の吉田家は「天児屋根命」を祖神としている。

また、中臣神道の中臣氏は海幸彦のまたの名「武甕槌命」を祖神としている。

海幸彦を貶める『記紀』の編集姿勢は、奈辺にあったのか疑問である。

4)屋船久久遅命と屋船豊宇気姫 

 故百嶋氏は豊宇気姫をアメノウズメ命と指摘されている。

三重県伊勢市宇治の猿田彦神社の主祭神は猿田彦大神と天宇受賣命である。

同社境内には、天宇受賣命を祀る佐留女(=猨女)神社が本殿に向かい合うように建っている。

この配置から、猿田彦と佐留女ことアメノウズメは夫婦神として祀られていることは確実である。

屋船久久遅命=猿田彦について検証すると、『記』は、九州から大八州国を青山に被われるようになった功労者を「五十猛命」と記している。また、『記紀』はクグチノミコトを「木の神」として記述している。

したがって、「木の神=クグチノミコト=五十猛神」とする仮説を提起することが出来る。

故百嶋氏は、五十猛命を山幸彦こと猿田彦・ヒコホホデミノミコトと指摘されている。

以上から、屋船久久遅命は猿田彦と同体対の神と考えられる。

また、屋船豊宇気姫は猿田彦の妻である天細女命と考えられる。

〇大宮女命(大宮売命とも表記される)

故百嶋氏は大宮女命を豊玉姫とし、またの名に美保津姫・若狭姫・田心姫と指摘され、さらに最初の夫が山幸彦ことヒコホホデミノミコトで、二人の間にはウガヤフキアエズ(またの名を天稚彦・アジスキタカヒコネ・迦毛大神)が生まれた。山幸彦と別れた後は、事代主(少年期の名はスクナヒコ)を連れ子に、  

出雲へ移動した大己貴命こと大国主に嫁ぎ、名を美保津姫に改められ、その後は大己貴命と共に各地へ移動し、若狭姫・田心姫・大宮売などの名に改められたと指摘している。

これらの指摘について、各地の神社から検証してみたい。

トヨタマヒメを祀る神社には、以下のパターンがある。

@  豊玉姫

山幸彦ことヒコホホデミノミコトと一緒に祀られている。

益救(やく)神社(屋久島)・海神神社(対馬市)・鹿児島神宮(南九州市)・豊玉姫神社(南九州市)など

海神神社では、御子神ウガヤフキアエズが共に祀られている。

A  美保津姫

大己貴神こと大国主神と一緒に祀られている。

美保神社(松江市)・氷川女體神社(さいたま市)など

美保神社では御子神事代主が共に祀られている。

B   田心姫

大己貴神こと大国主神と一緒に祀られている。

 日光二荒神社(日光市)・一宮神社(神戸市)・厳島神社など

 日光二荒神社では御子神アジスキタカヒコネ(=ウガヤフキアエズ)と共に祀られている。

C 大宮売

 大己貴神こと大国主が主祭神あるいは配祀神として祀られている。

 常陸國総社(茨城県石岡市)・大目神社(佐渡市)など

以上の検証から、故百嶋氏の指摘には頷けるものがある。

5)田中神

故百嶋氏は「開花天皇」と指摘している。理由として「祇園祭」を初めて行われた方だとしているが、「稲荷祭」の記憶違いではないだろうか。

また、同氏が提示された「神々の系図−平成12年考」によると開化天皇と命婦神との関連が認められない。

私のも一つ…申し訳ない。

4)で述べたように「田中神は大己貴命」である蓋然性が高い。また、「大宮売は大己貴命の正妻豊玉姫」である蓋然性が高い。

したがって、大己貴命の正妻である大宮売を命婦とすることはできない。命婦は、スサノオの二番目の妻大市姫とするのが妥当ではないだろうか。

6   四大神

故百嶋氏は「四大神は猿田彦」とし、四大神の四とは「四公六民の四」である。従来の収税方

針「五公五民」から「四公六民」へ改めたのが猿田彦である。

新たな収税方針による税負担の軽減がもたらす効用は絶大であった。民は一層稲作の増産に尽力し、もって民の生活は一段と豊かになった。民はこれを讃えて猿田彦を「四大神」として崇めたようである。

7)小薄神

同神は「老狐=老女」と考えられ、大宮売より年長の女神、「大市姫」である蓋然性が高い。

8   豊受気姫

故百嶋氏が指摘されるように猿田彦の妻天細女命である蓋然性が高い。


3.まとめ

現在、伏見稲荷大社で祀られている五坐の神々は、

 本殿

 下社 宇迦之御魂神=大市姫

 中社 佐田彦大神=猿田彦

 上社 大宮能売大神=豊玉姫

 摂社 田中大神=大己貴命

 四大神=猿田彦

 故百嶋氏は多くの神々が様々な名を持った理由として、移動・結婚の都度名を改められ、また移動地の人々から新たな神として崇められたことを指摘されている。同社で猿田彦が重複して祀られているのもこのような理由があったと考えられる。

その証左が多くの神社に同様な例がみられる。

伏見稲荷大社のご祭神の変遷史をながめると、そこには時代を反映した各神道家とのかかわりが垣間見える。


おわりに

私の住む安城市に「三河三白山」と呼ばれる「大岡白山神社・上条白山媛神社・桜井神社」の三社がある。いずれも案内板には「イザナギ・イザナミ」をご祭神としている。

この三社のうち、大岡白山神社のご祭神は「白山媛」であり、もとは「大市(おち)社」と呼ばれる大市郷の鎮守神であったと言い伝えられている。

「大市」という地名は、大山祇の娘「大市姫」に因むとする説が有力である。

したがって、「大市姫」のご神格はその名が示すとおり、「大きな市」であったと考えられる。

「市」は古代における交易の中核を成すものであり、人々の往来は殷賑をきわめていたであろう。

「稲荷さま」は、現代でも「商売繁盛の神」として崇められている。

その原点が、「稲荷さまこと大市姫」であったと考えられる。


<参考文献>

 『古事類苑−神祇部』

 『日本書紀上』岩波書店

 『古事記』角川書店

 国会図書館デジタルコレクション


 神社研究に於いて、どこにでもあって、いったい何なのかさっぱり分からないと言われるように、非常に難いのがお稲荷さんです。

 今回、山田 裕氏によって多少とも解明が進んだように思います。

 今後とも山田氏のblogに注目して頂きたいと思います。

 ひぼろぎ逍遥もひぼろぎ逍遥(跡宮)も近畿大和朝廷と繋がった通説派の大嘘を暴露し、一般の方に分かり易く、大嘘つき共が好い加減な事を言えない環境を創るためのプロパガンダ=扇動と先導の文書として公開しています。

 私を制御し、宣伝のための研究論文が幾つも登場する事をせつに希望します。


以下、百嶋神代系譜でも最も難解な金神系譜をご覧ください。

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研究目的で百嶋由一郎氏の資料を希望される方は09062983254までご連絡ください

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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