太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2017年10月05日

383 国東半島の殷の鳥居(瀛の鳥居) “国東市国東町来浦の八坂神社”

383 国東半島の殷の鳥居(瀛の鳥居) “国東市国東町来浦の八坂神社”

20170407

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川  清久


百嶋神社考古学の研究仲間である「常陸の国ふしぎ探検隊」からの依頼で国東半島の両子寺の撮影に来ている事は申し上げましたが、ついでに普通は入らない領域の神社を訪れこれまで十回は入っていますので、何とか主な神社を見たことになりそうです。

国東と言えば「六郷満山」と言われる天台系の名刹古刹が集中する寺参りの場所です。

その国東でただひたすら神社を廻り続ける人間もあまりないでしょう。

逆に言えば、だからこそ普通の人間が気付かない事に気付く事になるのです。

 国東半島の東部国東市来(クノ)浦に八坂神社があります。


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参道を少し進むと直ぐに立葵の神紋が抜かれた石灯篭が目に入りました


参道を少し進むと直ぐに立葵の神紋が抜かれた石灯篭が目に入りました。このことから、この神社を立てた人々が博多の櫛田神社の大幡主の一族、豊玉彦=ヤタガラスの一族である事が分かりました。

従って、来浦の「来」も紀氏の置換えの可能性が高くなりました。始めは右離れ立葵か左離れ立葵かの判別が付きませんでしたが、山門の瓦を見ると右離れ立葵である事が分かりました。

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八坂神社ですから祭神は、一応、スサノウで良いでしょう。ただ特定には、なお、情報が不足です。

 それは、境内に残された古い神額の存在からも裏付けられます(つまり、明治期に追加されたようなものではない)。

 また、参拝殿の手前には天満宮の鳥居が置かれ奥にも天満宮としての神殿がありました。

 神社神明帳が無い事から、その写しが手に入るまで今のところ祭神の特定はできません(大分県には「大分県神社誌」なるものがありません)。


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亀蛇(ギダ)の水盤は珍しいですが、妙見宮=天御中主命を祀っているのでしょうか


 境内を見て回っていると、神殿に向かって右手に驚くべきものを発見しました。殷の鳥居です。

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佐賀県嬉野市の八天神社、福岡県吉富町の古表神社(実は中国の胡表)などに認められる殷の鳥居


 この鳥居があることは単にスサノウを祀る神社という評価は単純過ぎており、イスラエル系金山彦の後裔氏族がいたとしか考えようがありません。

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これについては、ひぼろぎ逍遥 363 八幡古表神社(吉富町)の殷の鳥居 他をお読みください。

 再度、大分神代史研究会のメンバーと調査に入りたいと考えています。

犬も歩けば棒に当たるではないですが、どうやら凄い鳥居に当たったようです。

 国東には中国の要、表の胡人が入っているのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 03:55| Comment(0) | 日記
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