太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2017年09月28日

380 北岡神社について “新幹線熊本駅北の古社”

380 北岡神社について “新幹線熊本駅北の古社”

20170401

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久


 これほど熊本に深く関わりながら、これまで阿蘇系神社の解明に集中していたため、重要な市内の古社、大社にふれてきませんでした。

 それほど熊本の神社と言えば阿蘇系神社といったイメージが強く、自らも拂拭できなかったのでした。

 ところが、実際には肥後3500社中1300社が菅原神社であり、熊本の中心部にもこの北岡神社のようなスサノウ系の古社が鎮座しその周りにスサノウ系、クシナダヒメ系の氏族を抱え込んでいる事を改めて認識すべきと考えているところです。

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 まず、祇園神社とも言うべき北岡神社が祇園町ではなく春日町にある事からして、阿蘇系氏族の力が如何に強かったかが見て取れそうです。

 何故ならば、春日神社とは表面的には藤原氏が自らの一族を守るために必要だとして常陸の鹿島から武甕槌=鹿島大神(その実体は阿蘇の草部吉見=ヒコヤイミミ)を勧請したものであるからです。

 ただ、始めから本質に踏み込みますが、春日神社の奥に隠された本来の祭神は、ヒコヤイミミ=海幸彦のお妃となった豊受大神の母君である神太市姫=罔象女神(ミズハノメ)=スサノウのお妃で大山祗命のお妃でありスサノウのお妃のお一人でもあることから、あながち無関係という事でもないのです。

 このためか、クシナダヒメは神殿内におられるようですが、境内摂社としてお稲荷様(その実体は伊勢の外宮の豊受大神)も置かれているのです(もちろん外ですが)。

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稲荷神社


次に目が向いたのは、これも境内の端にひっそりと置かれていた蘇民将来

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境内摂社として八坂神社の末社を勧請したもの蘇民の霊との表記の意味が知りたいですね


 宮崎県五ヶ瀬町鞍岡の祇園神社を中心に、蘇民将来、巨胆将来伝承に関してblog五本を書いていますので関心をお持ちの方は、ひぼろぎ逍遥、同(跡宮)から蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 他をお読みください。

 百嶋神社考古学では、蘇民将来とは阿蘇系の神でも貧しくとも快くスサノウを受入れ一夜の宿を提供したた神八井耳であり、裕福でも受け入れなかった神沼河耳(阿蘇神社の最奥部の神殿に鎮座する金凝彦)=第2代綏靖天皇が巨胆将来になります。

 この神沼河耳=巨胆将来とスサノウの姉にあたるクラオカミとの間に産れたのが草部吉見=ヒコヤイミミであることから、スサノウを祀る北岡神社が蘇民を祀る事は、厚遇してくれた蘇民の娘の一族だけを残して全てをも抹殺したという茅の輪潜りの故事に通じる話であり、尚も、巨胆将来の一族への恨みは解けていない事になるようです。

 注目したいのは、「蘇民の霊」と書いている事で、結局、蘇民の娘の一族以外は全て抹殺したとの話は蘇民そのものも殺されたのか、それとも殺されなかったかは未だ分からずにいます。

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始めから末社、摂社の話に入ってしまいましたので、一応、本来の祭神にも触れなくてはなりません。

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同社由緒書


健速須盞嗚尊 奇稲田姫命 八柱御子神


社伝によれば、934年(承平4年)、藤原保昌が肥後守として下向したおり、京都の祇園社(八坂神社)の分霊を、国府(現熊本市西区二本木周辺)の湯ノ原(現二本木5丁目)に鎮護のため勧請したのが創祀であるという。ただし、藤原保昌は958年(天徳2年)の生まれで肥後守の任期もかなり後のことなので、そのまま史実とすることはできない。

はじめ祇園宮と称した。937(承平7)には車屋敷(現二本木2丁目)に遷座され、さらに979年(天元2年)に朝日山へ遷宮した。同山は祇園山と呼ばれるようになったが、明治に至り花岡山に改められた。


ウィキペディア(20170401による


健速須盞嗚尊 奇稲田姫命は当然として、八柱御子神とは、誓約(ウケイ)などと言う妙な話の結果生まれた神々が以下になります。


天照大神

男三女神(アマテラスとスサノオの誓約の際に生じた神:男神がスサノオが口から生んだ子、女神がアマテラスが口から生んだ子とされる) 男神 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命

男神 天之菩卑能命

男神 天津日子根命

男神 活津日子根命

男神 熊野久須毘命

女神 多紀理毘売命 - 別名:奥津島比売命(おきつしまひめ)

女神 市寸島比売命 - 別名:狭依毘売命(さよりびめ)

女神 多岐都比売命

ウィキペディア(20170401 14:24による


宗像三女神は良いとして、百嶋神社考古学では天之菩卑能命はヤタガラスとしますし、天津日子根命もぶどう寺絡みでこの間三枝氏の祖としてかなり詳しく調べて来たものです。活津日子根命も今後調査に入る事になるでしょう。

最後に熊野久須毘命が男神とされている事に関しては、百嶋神社考古学ではそれを認めません。

この辺りが、藤原が偽装した最も重要な部分で、実はイザナギと別れた後のイザナミこそが熊野久須毘命(クマノフスミ)なのです。

その事をご存じなのか、「熊本県神社誌」にもこの北岡神社には新宮神社として伊弉冊イザナミ尊が単独で祀られていると書かれています。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 06:19| Comment(0) | 日記
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