太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2017年09月23日

378 伊佐市で「柴刺」(シバサシ)に遭遇した

378 伊佐市で「柴刺」(シバサシ)に遭遇した

20170330

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


以前、スポット68 「柴刺」(シバサシ)を書きましたが、これまで何度か遭遇した柴刺神事らしきものを鹿児島県伊佐市の一角で見掛けましたので報告したいと思います。

これについては、百嶋神代史研究会(仮称)グループの一員でもある スピリチュアルヒーラー宮古の縁側日記 の宮古女史によっても「柴刺(しばさし)古代の祭儀」として小論を公開されています。

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そうした中、鹿児島県伊佐市の外延部で柴刺神事の痕跡と思えるものを見掛けましたので、記憶に留めておきたいと書き留める事にしました。

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詳しい住所は分かりませんが、「布計」(フケ)集落への入口と言った伊佐市大口山野です


憧れの「布計」(フケ)集落を見たいと雨上がりの野辺の道を進んでいると、左手に手入れの行き届いた神社に遭遇しました。

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無格社八幡神社との事ですが、八幡の神は片鱗もありません


 国玉神という神様は数も少なくあまりはっきりしていませんが、恐らく大国主命か大幡主もしくはヤタガラスのいずれかで、彦火火出見尊、豊玉比売命は明治期に追加改変されたものと想像してしまいます。

「八幡の神は片鱗もありません」とはしましたが、実は、詳しく読んで頂くと三十六歌仙扁額についての記述に山野村の「正八幡」が出て来ます。

「正八幡」とは宇佐八幡宮以前の本当の八幡の意味であり、表向きはどうであれ、実際には博多の櫛田神社の大幡主を祀る神社であり、その大幡主の子が豊玉彦(ヤタガラス)となる訳です。だから「玉」が付されているのです。

大体、宇佐神宮から最も遠い場所に無格社として八幡宮が置かれている事がおかしいのです。

 この際、今回のテーマは祭神ではないためどうでも良いとして、この神社の一角に「柴刺」神事の名残と思えるものに遭遇しました。

 馬場紀美史(宇佐神宮福岡出張所長)が書かれた「柴刺」の販促用襷には、以下のように書かれていました。


 …「柴刺」「柱立」は律令国家の誕生後、大きく変化していく。「柴刺」に限って言えば、祭場を修祓するための、或いは禁足境界を標示するための、つまり柳田國男が指摘する「忌刺」(斎刺)として変化していったのである。従ってこのような基本的誤謬が現在、「柴刺」イコール「注連張」の通念を生み出すに至ったものと考えられる。

 しかし何度も言うように「柴刺」は霊を虚空へ送りあげるための祭儀であり、決して注連を張るのと同義ではなかったものである。神―すなわち祖霊の還天と来臨が柴刺そのものであった事を理解する必要があるであろう。(本文より)


 一応、入門者の当方としては、「注連縄」による結界以前の聖域の表現と理解しておきます。

 この柴刺との遭遇については、熊本県芦北町を始めとして、これまでにも過去何回かありました。

 やはり、その多くが古い集落といった場所で、後しばらくの間はこの古い儀礼に遭遇する機会はあるものと考えています。以下はスポット68 「柴刺」(シバサシ)の一部です。


では、「柴刺」とは何でしょうか? 実は中国の少数民族の一つ彝(イ)族の儀礼でもあるのです。

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勿論、祭礼、葬礼などに於いて、色々な枝を刺すという儀礼、神礼の事なのです。

今でも茨城県では一部に残っているとも聴きますし、これに似たものを熊本県の葦北郡でも見たことがあり、列島にはどのような人々が入ってきたかを考える上で、重要な示唆を与えてくれるものとなっています。

…最後になりますが、“倭人とは何か“を考える時、「ワ」人と読むのではなく、「ウィ」もしくは「イ」=「ヰ」であるとすれば、この民族も列島に入って来ていたのではないかと思うのです。

それが「常陸国風土記」に出てくる武甕槌=鹿島大神による“同族だまし討ち”征服を思わせるのです。

その意味で同書の458pも我田引水的ですがご紹介しておきます。

雲南省麗江からの新興亡命者であった阿蘇氏に征服された先住者も広義の九黎族の一つだったはずなのです。だからこそ常陸の国の先住者は、歌や音色に魅かれて油断した所をだまし討ちされたのです。


彝(イ)族の儀礼が残っているから伊佐という地名になっているのではとまでは思いませんが、彝(イ)族と混住していた黎族が鹿児島に入っている事には疑いを持ってはいません。

 指宿に「今給黎」姓が集中し「喜入町」があり「嘉例川」といった地名があることは大陸から黎族(分かり易く言えば阿蘇氏のこと)が入って来ている痕跡と考えている事はこれまでにも何度か触れています。

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無題.pngこれは馬場先生が「柴刺」の409pに挿入されていた雲南省の地図で、  が彝(イ)族の居住領域です。

これを見ると、雲南省麗江を主要な居住地としていた黎族(阿蘇氏)とも白族(豊玉彦=ヤタガラス、大幡主の御先祖)の領域であった昆明とも重なる事から、大口辺りに彝(イ)族が入っていても一向におかしくはないと思うのです。

 写真は神社の正面の風景ですが、古代には雲南省のような山上楽園だったように思えるのです。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:30| Comment(0) | 日記
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