太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2017年09月19日

377 六所神社の衝撃 “飛形山山上に隠された屋敷神”

377 六所神社の衝撃 “飛形山山上に隠された屋敷神”

20170330

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久


 これも325日のトレッキングで廻った一社です。

 一般的に地域性に根差した地名+神社という地名を冠した神社は地域名の大小だけからだけでもその神社の性格が見て取れますし、○○神社と神名を正面に出した神社はより強い主張を見せています。

これに対して三柱神社とか五所神社といった表記の神社は、祭神を確認するまでは一体如何なる神社なのかを確認できるまではそれだけでロマンを掻き立てますが、何の由緒もない場合は顔のない神社として不気味さを受け取ってしまいます。

このため、後者の場合は敬遠したいと思う事も多々あります。

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社務所の駐車場に置かれた同社縁起前でたまたまおいでになった宮司からお話をお聴きしました


六所宮の祭神について、宮司は“行数が不足していて遺漏がある”と言われていました。

由緒書では忍穂耳命、健磐龍命、大国主命、伊邪那美尊、大山咋命、軒隅突命の6柱とされています。

しかし、「福岡県神社誌」中巻(294p)によれば、罔象女(ミズハノメ)、菅原神、崇徳天皇の3柱が加わえられています。

これは明治以降合祀されたもので、由緒は元の祭神に戻したものと考えられます。

ただ、境内には稲荷神社と祇園神社が摂社として置かれており、本来の6社としてもバランスが悪く、元々はスサノウ系、大幡主系の神社であったもところに忍穂耳命、健磐龍命が加えられたと言った印象を持ちます。

そう考える理由は、本当の親神と思われる山上の飛形神宮 六所宮世襲神主 宮司が筆頭に書かれ、以下、とんでもないことが書かれているからでした。

まず、玉垂宮が高皇産霊大神=高木大神ではないことは明らかですが、住吉宮は初代住吉=ウガヤフキアエズが反映されている可能性があり、春日宮も本来の春日様=草部吉見を入婿としたアメノウヅメこと豊受大神の母君つまり罔象女(スサノウのお妃でもある)が反映されている可能性があり、どうも九州王朝成立前後の古層の神々が閉じ込められていたように見えるのです。


表ノ神  玉垂宮(高皇産霊大神)、住吉宮、春日宮

裏ノ神  久麻大神、筑紫の君磐井とその祖神一系、八女津媛命


今のところ只のカンのようなものですが、どうもこの神社は、山上の神体山と思われる飛形に本来の神々を宮司家の屋敷神として守ってきた形跡があり、じっくり調べてみる価値がありそうです。

最低でも、この飛形神社の解析ができれば、これまで謎であった磐井の一族というものがどのような氏族であったのかについての見当が付けられそうな気がするのです。

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実は、「福岡県神社誌」に飛形神宮は一切出て来ません。これが、山上に置かれた秘密の屋敷神=禁じられ、隠された宮司家一族の神社(屋敷神)と考えた理由です。

 このためこの神社の解読は時間を掛けて行わなければなりません。

 ここでは、社殿を見て頂くだけにして、以後、宮司にもっと詳しいお話をお聴きするなり、他資料に当たるなりして調査を行い判断する必要があると思います。

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どうも神殿内の神体は11柱のようで、合祀された3柱に神社誌に沿えば稲荷と祇園で数は合うのですが

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 11:31| Comment(0) | 日記
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