太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



無題.png

無題.png

無題.png

o0198005613264565002.png o0199005613260936971.png 無題.png

2017年09月16日

376 続)二田物部のルーツを久留米市田主丸に見出したら、さらに南の八女市星野の仁田にも…

376 続)二田物部のルーツを久留米市田主丸に見出したら、さらに南の八女市星野の仁田にも…

20170329

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久

 十年ほど前になりますが、久留米大学において谷川健一による講演会が180人規模で行われています。その内容は筑後から筑豊に展開した物部25部族にかかわる話でした。

 この物部25部族の筆頭二田物部氏の筑後側の故地(久留米市田主丸町石垣二田一帯)を宮原誠一氏が明らかにしたことから、太宰府地名研究会は2016年末来この二田の調査を進めて来ました。

すると、事務局の中島 茂氏は自らの出身地でもあることから“八女にも仁田があり、ニギハヤヒを祀る神社もある…”との情報を寄せて来ました。

更に、元々の発端であった宮原氏の口からも“星野は古くから仁田(ニタ)とも呼ばれていた”との話が跳び出してきた事から、俄かに筑後川流域から久留米市の奥懐(オクフトコロ)とも言っても良い八女市の最深部である星野村一帯に目を向ける事になったのでした。

このような事から、20173月という年度末の忙しい時期ながら星野のトレッキングに取り組むことにしたのでした。

 六所神社、谷川寺(百嶋由一郎先生から谷川健一の御先祖の故地との話を聴いた旧谷川村の古刹)、五社神(神社ではない)、金山神社(星野村仁田)…他数社と盛沢山でしたが、今般、最も驚いたのが、冒頭の六所神社と金山神社でした。

六所神社の解析は容易ではない事から後に回しますが、中島 茂氏から案内された金山神社のロケーションに驚かされたため、こちらの方からリポートを書かざるを得なくなったのでした。

無題.png

既に、仁田に入る手前で、「オダケ」と呼んでいるようですが「小竹」というバス停を見つけ、「仁田」(ニタ)と「小竹」の複合を見出し、二田物部のルーツが筑後川から耳納山を越えた南の奥地にあったのではないかという可能性が見えてきました。筑豊の小竹町は新多物部が居た場所ですね。

 勿論このベクトルが、筑後川流域から南の山岳地帯に入ってきた可能性もあるのですが、いずれにせよ、物部氏の故地を探る狙いに間違いがない事を再認識していました。

 ベクトルがどちらを向いているのかは今後の課題としても、既に、熊本県熊本市の旧植木町田底に二田という地名があり、二田神社が存在している事も確認している事から、さらに南の狗奴国の領域に物部氏の故地を探る価値があるものと考えています。

無題.png

弘安7(1284)に金山が開発され、産金がつづけられてきましたが、寛永元年(1624)から明暦現年(1655)までの間が金山の隆盛な時で、三坂に金山町が出来、黄金山正念寺が建立されました。

金山神社は正保2(1645)池田興兵衛の手によって建立されました。金山で働く人々の安全と産金の増大を祈願されたものと思われます。祭神は大山祇命と金山彦神の二神であります。

久留米藩主有馬公の崇敬も厚く、「金山大明神」の額の文字は、亨保7(1722)壬寅之歳に崎水巴陵禅師の書、瀬渡將捷彫之と篇額裏面に陰刻されています。

八女市HPによる


 「星野村史」によれば、同村の小室谷付近に鎌倉期に遡る星野金山の記述があり、更に古くからの採鉱の可能性もあり金山彦が祀られている事に理を感じています。

 さて、「福岡県神社誌」中巻には、星野村の金山神社の記述が無く、ようやく下巻巻末の無格社一覧に金山神社として大山祇命、金山彦命(星野村大字字ワクナシ420p)を祀る神社として出て来ます。

無題.png

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 神社の傍には宮司家と思われる住居があり、道を挟んだ反対側には代々の宮司家の墓地と思われるものがありました。

無題.png

無格社ながら立派な社殿があり、隣には注連縄が垂らされた宮司家と思われる家がありました

 お名前は「氷室」です。

 氷室は夏季に高級公家などに届けられる氷の氷室の意味で解釈される事が多いのですが(実際、九州王朝の大王への氷の氷室の意味も考えられない事はないのですが)、直ぐに頭に浮かんだのは、金山の溶鉱炉(土穴)であり、火室(ヒムロ)でした。

無題.png

累代宮司家の墓地


 金山故に隠されたのか、物部氏に関係していた事により無格社扱いになったかは不明ですが、手入れの行き届いた立派な社殿でありしばし感激を覚えていました。

 さて、当方が関心を持つのは、「仁田」地名と二田物部氏との関係であり、その中枢領域の神社の祭神からこの物部氏がいかなる氏族であったかを見通す事でした。

 結果は、金山彦命と大山祇命とを祀っている事から、宮原研究で明らかとなった久留米市田主丸町二田〜石垣の月読神社が月読命を祭神としている事から、我々、百嶋神社考古学では大山祇命=月読命とすることから対応しており、小竹町に対応する「小竹(オダケ)」地名とも併せ考えれば、当方の想定は十分に達成されたと考えています。

無題.png

参拝殿                   境内には稲荷社も

では、二田物部のニギハヤヒはとお考えの方も多いと思います。

 この事を同行の中島さんに話すと、“次に案内しますから”と安請け合いされました。

 それは、数分ほど下って移動したところにある天照太神宮でした。

 中島さんの説明では、祭神は天照ではなくニギハヤヒだと言うのです。

無題.png

場所は中心地の池の山を過ぎた辺りの長尾地区でしたが、筑豊に限らず久留米周辺でも天照大御神とされた天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)(「先代旧事本紀」)とされるものがあることから十分にあり得る事なのですが、裏取りのために「福岡県神社誌」を見ても、無格社一覧だけでは地名と祭神名が不明瞭で別資料に当たらざるを得ません。

 今のところ中島 茂氏に旧星野村史の確認と、伊予○○女史という研究会周辺の神社探訪者がおられる事から別途確認をお願いしているところです。

当面、これ以上は確認できないところから詳細については別稿とします。

 当日は年度末でもあり十数名と参加者が少なかったのですが、車3〜4台の方が動きやすく、実際には都合が良いものです。

 320日には、熊本のメンバーを対象に、雨の中、車10台代による2030人規模のトレッキングを行いましたが、宮崎〜熊本県境の空いた所だったことからなんとかやれました。

 福岡、熊本、大分の三県で定期的にトレッキングを行う事はかなりの労力を費やしますが、右から聴いて左に貫けるだけの、使命感も無く無責任なお話をお聴きする人の会では研究者は一切育ちませんし何の業績もなく費え去って行くだけにしかなりません。

 自らの足で調べようとする人の中からは、将来、ブロガーとなり、発表する人、記録を後世に伝えようとする人が現れます。

 また、熊本から新たな若きブロガーが出て来そうです。

無題.png

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 研究のために百嶋由一郎氏の手書きデータ、神代系譜、音声CDを必要とされる方は、随時、09062983254までご連絡下さい。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:44| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: