太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2017年08月26日

369 宮脇淳子先生をご存知ですか? 

369 宮脇淳子先生をご存知ですか? 

20170310

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


最近、熱心に著書を読んだり、ユーチューブなどの講演を頻繁に聴いているのが東洋史の(こういう風に説明して良いかはあるのですが…)宮脇淳子先生です。

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初心者向けの入門書といったスタイルの本ですが、多くの著書をお持ちですので、自分でお調べになれば良いと思います。

 朝鮮史、中国史、モンゴル史、チベット史…といったものに対して新たな側面に光を当て、ちゃっめけ溢れる軽快なメッセジを流し続けておられます。

 これについては、頻繁に連絡を取り合っている関東の「常陸の国ふしぎ探検隊」氏から、“宮脇淳子を勉強しなければ、多くの民族が雪崩れ込んでいる列島の神社研究はできませんよ…”と言ったアドバイスを受けたからでした。

 この話についてはいずれせざるを得ないのですがその話には踏み入らず、ここではこの本の136pに挿入されていた地図が面白かったのでご紹介します。

 出典は、以下の様なものですが、1981年時点での少数民族の分布性向を書き留めているのです。

これが古代の分布状況と対応しているかどうかは分からないのですが、一応、参考にはなるものと考えています。

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 百嶋由一郎先生は、中国で400回飛行機に乗り8000万円遣ったと言われていたほどのフィールド・ワーカーでしたからさぞかし多くの地を実際に踏み多くの民族と接触されていたようです。

 その一つに@シボ族がありました。

 当時は口頭だけの話でしたので、実際にはどの地域かは分からなかったのですが、シボ族が辺境警護のために民族移動を強要されていたと言った話だったのです。

 そのシボ族の移動後の地がこの地図にも書き込まれており、まずは百嶋先生が如何に辺境まで足を延ばしておられたかをまじまじと思い巡らされたところでした。

 始めに@シボ族を取り上げますが、この人々が列島に進入したと申し上げているのではないのでお間違いがないように。

 次にA彝(イ)族を取り上げます。この民族については、百嶋由一郎氏ではなく、宇佐神宮の福岡出張所長をされていた禰宜と言うよりも研究者であった馬場紀美史によって2002年に公刊された「柴刺」(葦書房) という大著の最終章に取り上げられた民族であり、多く儀礼の存在から確実に列島に入っているとお考えだったようです。

「ひぼろぎ逍遥」スポット068「柴刺」(シバサシ)で取り上げた民族ですので覚えておられる方もおられるかも知れません。

 次にB土家(トゥチャ)族を取り上げます。これも「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)265 熊本県玉名市(旧玉名村)は「土車(トゥチャ)の里」だった!で取り上げた民族ですので覚えておられる方もおられるかも知れません。 

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無題.png@  シボ族

2008 03 30

シボ族の西遷 -瀋陽からイリへNHKスペシャル 新シルクロード2(NHK出版 2005)より(筆者:矢部裕一):旅の終わりに

シボ(錫伯)(1)という少数民族が、新疆のカザフスタン国境近くのチャプチャル・シボ族自治県に住んでいます。

草原の道の旅の終わりに、私たちはこのシボ族を訪ねることにしました。彼らは遊牧民ではなく、元々は遊牧民であった古代拓跋鮮卑(たくばつせんぴ)族の末裔ではありますが、数百年前から遊牧は行わず、半農半猟の生活を送っています。なぜ、最後に遊牧民でないシボ族を訪ねるのか? それは、彼らの存在が、遊牧民の近代国家の中での遇され方を象徴しているように思えたからです。

828日、チャプチャル・シボ族自治県では、西遷節というお祭りが行われていました。

西遷節とはその名の通り、シボ族が西へ向かって移動した時のことを記念するお祭りで、シボ族とは18世紀、清朝皇帝の命により故郷である中国・東北地方の瀋陽(しんよう)から苦難に満ちた5000キロの道のりを19か月の月日をかけて大移動し、この地に住み着いた人々なのです。

シボ族を大移動させた清朝の目的は、少数民族であるシボ族を用い、騎馬遊牧民ジュンガルの残党による反乱を制圧し、対ロシアの国境線を守ることにありました。シボ族はこの命令に従い、大移動の末チャプチャルに住み着き、戦争の時は銃をとって前線で戦い、平時にも軍備を怠ることなく、辺境の荒れ地を開墾して生きてきました。彼らの存在で、ほぼ現在あるような国境線が確定することになりました。

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A無題.png  彝(イ)族

彼ら自身は「ノス」と呼ぶ。もとは「夷族」と表記されたが、清朝時代に、自らも漢民族ではない支配階層の満州人が蛮族を意味する呼称を嫌い、同じ音に「彝」の字をあてた。彝は「祭器」転じて「道徳」などを意味する雅字。「ロロ族」という呼称もあり、かつては自称であったが現在は蔑称。「ロロ」とは、イ族自身が先祖崇拝のために持つ小さな竹編み。当て字の「玀猓」では、部首にけものへんを付け加えるなど、多分に蔑視的な要素を含んでいる。

歴史 イ族は中国西部の古羌の子孫である。古羌は、チベット族、納西族、羌族の先祖でもあるといわれる。イ族は南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきており、現在では雲南に最も多く居住している。南詔王国を建国した烏蛮族が先祖だと言われている。精霊信仰を行い、ビモという司祭が先導する。道教や仏教の影響も多く受けている。雲南省にはイスラム教を信仰するイ族の集団もある。ただしそれらは、イスラム教を信仰するイ族なのか、イ語を話しイ族の文化に属する回族なのかは、明確には分別できない。

雲南北西部と四川に住むイ族の多くは複雑な奴隷制度をもっており、人は黒イ(貴族)と白イ(平民)に分けられていた。白イと他民族(主に漢民族)は奴隷として扱われたが、白イは自分の土地を耕すことを許され、自分の奴隷を所有し、時には自由を買い取ることもあった。

ウィキペディア(20170310 1040による

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B無題.png  土家(トゥチャ)族

トゥチャ族(中国語:土家族 ビジ語:ビジカ)は中華人民共和国が公認した55の少数民族のひとつで、主に湖南省、湖北省、重慶直轄市(旧四川省)の交界地帯に住む。

人口約600万人、中国の民族の中で8番目多い。言語はシナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派に属する。長く漢族と交わって暮らしてきたため、現在ではトゥチャ語(ビジ語とモンズ語)を母語とする者は10万人未満程度とされ、ほとんどが中国語を母語としている。このように、民族の総人口と比較して母語人口が極端に少ない民族として、他に満州族(1000万人超えの民族であり、満州語を話せるのは5人以下)とシェ族(総人口約80万人、シェ語を話せるのは1000人程度)が挙げられる。湖南省湘西土家族苗族自治州、湖北省恩施土家族苗族自治州が設置されている。なお、例えば、彝族の事を彝家などと呼ぶ事もある事から分かるように、「家」には「族」の意味も含まれている。そのため本来、土家でトゥチャ族の意味をなしており、これに族を加えるのは重複した表現である。しかし、西北に住むモンゴル系民族である土族と区別するためにも、重複した表現ではあるが土族ではなく、土家族を正式な民族名としている。

ウィキペディア(20170310 2345による


 最後に、列島の民族形成において最も重要なC黎族とD白族について取り上げます。

 まず、C黎(リー)族については雲南省麗江から瀾滄江(メコン川)を下り、海南島の南西部の黎族自治県を経由し天草の苓北を経由し阿蘇に侵入した民族であり、阿蘇氏、多氏、宇治族…と呼ばれ列島の支配的民族となった大陸からの避退者ということはこれまで草部吉見神社の神々として多くを書いています。

 続くD白(ペー)族も雲南省昆明から一旦北上したものの紅河を下り、海南島から隈本に入り九州北部に移動した民族であり、白族、大幡主系、ヤタガラス系、忌部…と呼び、これまた列島の支配的民族となった大陸からの避退者ということも、これまで博多の櫛田神社の主神や天理教の主神として書いています。

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無題.pngC黎族

黎族(リー族)は中国少数民族のひとつ。その約90%以上が海南島に住む。

現在は人口124.8万。黎語を話し、1957年に黎語ラテン文字化方案が考案された。古くより漢族との交流があり、中国語に通ずる者も多い。

百越の分枝駱越(中国語版)が秦・漢以前の時代に移住したことに始まるという。同じく駱越に起源を持つ民族に水族がある。

民族としての自称は賽、孝、岐、美孚、本地など。11世紀宋の時代より史書にその名が見えるといい、紡織に秀でていたとされる。その技術は「黎錦」と呼ばれ、現在も伝えられているという。

ウィキペディア(20170311 0045による


Dペー族

無題.pngペー族(自称: ペーホー Baipho、ペーツィー Baipzix中国語: 白族 Bái zú英語 Bai)は、中国雲南省大理ペー族自治州を中心に住む2000の統計では人口1,858,063人。内、約124万人はシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派ペー語を話し、残りは主に中国語を使用している。雲南以外では、貴州省畢節地区四川省西昌市湖南省桑植県ミャンマー北部などにも分布している。

未婚女性が頭に巻き付ける白い羽根飾りが特徴的で、民族名の由来となっている。漢族からは「白人」、「民家」などと呼ばれていたが、1956に大理に自治州を設立する際に、正式に白族の名が定められた。

かつては大理国を作っていたが、漢族との交流の歴史も長く、ペー語を、漢字を借用したり、漢字の構成方法を応用して作った漢字風の文字を組み合わせて記述したり、借用語として多くの漢語をペー語に取り入れている。文法的にも漢語の影響をうけ、基本語順が漢語と同じSVOになっている。

牧畜の歴史が長く、乳製品を作っており、特に中国語で乳扇と呼ばれているチーズは特徴的である。漢族雲南料理同様に、トウガラシで辛く味付けした料理が多い。を主食にしたり、ワサビを食用にするなど、日本人と共通する文化も見られる。

ウィキペディア(20170311 0050による


 無題.png勿論、宮脇先生は、大陸、半島の民族の多くが列島に進入していることは承知されているはずですが、百嶋先生もシボ族は別として、土家族、黎族、白族は確実に入っているとお考えでした。

残る彝(イ)族については百嶋先生からは聞き及んでいないものの、福岡市の唐人町にお住まいだった事から馬場先生との親交がなかったとは考えられないため、この4民族に関しては列島人の一部のかなりの部分を形成しているとお考えだったと思います。

 各民族の写真については、トップ・クラスの美人だけを選び過ぎましたが、列島人と言っても全く違和感を覚えないもので、むしろ、現在の中原を占拠している鮮卑系の人々よりは、遥かに列島人に近いのではないかと言う印象をすら覚えるのです。

 最後に、これも以前お知らせした事ですが、中国に対して「支那」という表記、表現はすべきではないと言う中国共産党の宣伝とそれに迎合するマスコミの自己規制、また、石○慎○郎などの似非右翼によって逆に「シナ」(支那)を蔑称として多用する傾向が存在している事は皆残も十分ご存じだと思います。

 ただ、「支那」は蔑称どころか、黎族が大陸から列島(九州)に移動した阿蘇系氏族が自らの故地を愛情を込めて「支那」と呼んでいたものと考えています。

 石原何某という朝鮮系の男からネット右翼はどうしようもない連中でしょうが、少しはまともな民族派の方々には右の記事でも読んで考えて頂きたいと思うものです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 17:48| Comment(0) | 日記
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