326 阿波と土佐の国境に鎮座する若宮神社と境外摂社高良神社
20161009
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
国道56号線で阿波から土佐に入ると、甲浦(カンノウラ)と呼ばれる天然の良港があります。直接太平洋に晒されるも正面に島を持つ天恵の地が甲浦であることは地図をご覧になればお分かりになるでしょう。

この高知県現東洋町の甲浦駅のそばに八幡神社があります。


同社由緒書
この八幡宮は宇佐八幡成立当時(応神単独)の一社一殿一神をそのまま表現しているのではないのか?と思われるほどの贈)応神天皇一神が祭神とされており、境内摂社には若宮神社が配されていたのです。
この甲浦八幡宮自体に興味は尽きないのですが、ただちに東洋町役場の教育委員会を調べるも「東洋町合併50年記念・べんり帳」程度のものしかなく、成果は全く上がらず、まずは、自力で周辺の神社を全て見ようと廻ってみる事にしました。
すると八幡宮の正面200メートルのところに高良神社が置かれていたのです。
高良の神が甲浦八幡宮の正面に置かれているとなると、考えられることは一つです。
それは、本来、甲浦八幡宮とは高良玉垂命と若宮神社(高良玉垂命と神功皇后との間に産れた嫡子=斯礼賀志命/シレカシノミコト=仁徳天皇=大雀命)を祀る神社だったものが、贈)応神天皇(こんなものは天皇でも何でもなくホンダワケと別王なのです)と入れ替えられ、はじき出された高良玉垂命を摂社として祀った可能性があり、その時期は高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書」によれば、九州の宗廟を宇佐八幡に渡す749年の段階ではなかったかと考えられそうです。
これはあくまで推測でしかないのですが、一目、その印象を持ちます。

甲浦八幡宮正面に置かれた境外摂社高良神社
この神社が境外摂社であることは、「東洋町合併50年記念・べんり帳」の神社一覧にも掲載されていない事から明らかです。
してみると、甲浦港、旧甲浦村の甲浦とはこの高良神社から付されている可能性があり、そもそも高良玉垂命を祀る神社があったからこそ高良の浦と呼ばれ高良村と呼ばれていたものの表記が変えさせられたものであることまでもが見えてきたのでした。
そこまで分ってくると、古代九州王朝の神威が室戸岬の手前まで及んでいた事に戦慄を覚えるのでした。

高良玉垂宮神秘書