太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2017年01月21日

287 大宮神社と猿田彦大神 F “山幸彦=ニギハヤヒは博多の櫛田神社の主神の大幡主の子であった”

287 大宮神社と猿田彦大神 F “山幸彦=ニギハヤヒは博多の櫛田神社の主神の大幡主の子であった”

20160723

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 仮説)猿田彦=山幸彦=ニギハヤヒは博多の櫛田神社の主神である大幡主の子であった!これを理解して頂くには、ひぼろぎ逍遥(跡宮)201 宮崎市(日南海岸)のアコウの茂る野島神社 をお読み頂く必要があります。

“お母さんがだれであるのか?山幸彦は誰であるか”ご素性は一切分かりません。と言われたのは、旧菊池至誠会の福岡支部長もされていた故)百嶋由一郎氏でした。

 ただ、この話には含みがあり、分かっていて話されていなかっただけである事がだんだんと分かってきました。切っ掛けは、百嶋神代系譜「阿蘇ご一家」の山幸彦の部分へのメモ書きの意味が分かって来たからでした。ただ、百嶋神社考古学の研究者の内部でもこの部分は見解の差があり私説に留まっています。

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山幸彦について、贈)安寧天皇(玉手看)の子と書かれているのです。


安寧天皇(あんねいてんのう、綏靖天皇5 - 安寧天皇38126日)は、日本の第3代天皇(在位:綏靖天皇33715 - 安寧天皇38126日)。

和風諡号は、『日本書紀』では「磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)」、『古事記』では「師木津日子玉手見命」。

神武天皇(初代天皇)の孫。『日本書紀』『古事記』とも系譜の記載はあるが事績の記述はなく、いわゆる「欠史八代」の1人に数えられる。

ウィキペディア(20160723 13:30による


 確かにご存じだった訳です。

 では、贈)安寧天皇(玉手看)の子とされる山幸彦=猿田彦のお父さんとは誰の事なのでしょうか?

 そうです、玉手看とは竜宮城で玉手箱を見た人物である浦島太郎の事なのです。

 しかるに、この野島神社の由緒には冒頭に浦島太郎を祀る神社とし、実質二神しかない祭神の筆頭に塩筒大神を掲げ、もう御一方として猿田彦大神を掲げておられるのです。

 猿田彦が浦島太郎とは思えないため、塩筒大神(塩土老翁)が浦嶋太郎に当たるはずなのです。

 そうです、山幸が海幸から借りた釣針を失い途方にくれている時に、竜宮(恐らく対馬)に行き竜王に逢うことをアドバイスしたのが塩土老翁でしたね。

 この神様が誰かは普段から百嶋先生との会話の中でその意味で話しておられたので十分に分かるのですが、大幡主(埴安命であり大宮神社の地主神)の事なのです。

 すると、野島神社の二神は大幡主と山幸彦の親子という事になるのです。

 まさに、野島神社は全ての謎を解いてくれたのでした。

 では、整理しましょう。


 大宮神社   推定本来の祭神 地主神社  埴安命外二神(「神社誌」)=大幡主(埴安姫の兄)   

                      二神 金山彦+埴安姫  or 金山彦+櫛稲田姫=同族

 来民の某社  推定本来の祭神 境内摂社  金山彦 埴安姫 櫛稲田姫 =両親と子

 野島神社   浦島太郎を祀る神社     塩筒大神+猿田彦大神(実は大幡主+山幸彦)=親子 

 宇良神社   丹後半島の浦嶋大明神    浦嶋子+月読命(実は大幡主+大山祗)=タノカンサー

  第三代安寧天皇=浦島太郎=大幡主

  猿田彦大神=白髭大明神(野島神社由緒)=山幸彦=ニギハヤヒこの四社を解析すればそう成ります。



再掲載 ひぼろぎ逍遥(跡宮)201


201 宮崎市(日南海岸)のアコウの茂る野島神社

20160219


 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


研修所に楯て籠もりブログを書く毎日が続くと、さすがに遠征に出かけたくなります。

とは言ってもスケジュールに追われる毎日で、その準備や下調べなどが全て整わなければ遠征には出かけられません。

さすがに、10日間で2030人規模の神社トレッキングを三つもやるとくたびれ果て、一人っきりで好きな所に思うように行きたいと思うようになり、215日の朝まだきには研修所を飛び出していました。

九州山地の北半分の中心部見たいな所を拠点にしているため、多少の山越えをしさえすれば、延岡だろうが菊池だろうが宇佐だろうが竹田だろうがかなり楽に移動できるのです。

このところ中国地方にばかり足を向けていた事から、今回は南に向かう事にしました。

目的地は宮崎県日南市の油津、「男はつらいよ」(風吹ジュンがマドンナの「男はつらいよ 寅次郎の青春」)の撮影現場でもある吾平津神社です。

古代日向の国(日向、大隅、薩摩)は、霧島、宮崎のインチキ神話が横行する領域である上に、明治維新後に実権を握った島津が、主要な神社をかなりいじっている事から本気で調べようという気にならないのですが、全くインチキとばかりは言えない神社もあるようなのです。

そのいくつかが、高原町の狭野神社であり、日南市油津の吾平神社であり、錦江町の河上神社…なのです。

阿蘇外輪山の東を周り、高千穂から延岡に、そして宮崎市で古田史学の会メンバーのK氏としばらくお話をした後、快晴の空の下、久しぶりに日南海岸を南下しました。

一応は国立公園のため、テトラポッドなどのムカムカするようなコンクリート構造物は漁港の一部を除き放り込まれてはいません(漁港は農水省の利権領域ですから)。

そのうち列島の自然海岸は海洋土木(マリコン)の土建業界によって全てが破壊されてしまうと思っているのですが、思わずセメント業界に影響を持つシャクれた口の方の顔が浮かんできてしまいます。

あこがれの嶋の浦島(延岡市)を除いて宮崎県の海岸には島が少ないのですが、日南海岸の青島を過ぎ、鵜戸神宮の手前に、野島と言う地名があります。

正面には巾着島という名の島ならぬ半島があり、海岸が隆起でもしたのか、野島はどこなのか気になるのですが、ここにアコウの大木が茂る野島神社があります。

目的は吾平神社ですが、道すがら参拝できるのですから見ない手はありません。

亜熱帯性樹木(常緑高木)のアコウの茂る神社というだけでご紹介する価値がある神社ですが、何故かこの神社は浦島太郎を祀る神社とされています。

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2013-5-5 15:58 投稿者office (記事一覧) [ 2563hit ]

文安三年(一四四六)十二月三日、田口久次が創立したその棟札に『白髭大明神の御堂を造り奉る趣旨は、金輪聖皇・天長地久国土泰平、殊には信心願主田口久次のため、武運長久子孫繁昌・領内安全・五穀豊穣・並びに氏子等の無病自在・寿命長遠・家内安穏・福責増長・諸人授楽・よろず心中の祈願悉く皆満足せしむるのみ、よって精誠を致し造立奉る』とある。
 また、旧飫肥藩制中は社領三石一斗が寄進されている。明治五年野島神社と改称、天神山にあった大将軍社、竹下にあった年ノ神社、堀切峠にあった三池神社を合祀し、村社に列せられた。

伝説(縁起)
 野島神社には童話に出てくる浦島太郎のそっくりの伝承民話がある。
 それは、天歴三年(九四九)八月に遡のぼる。野島の浦人橘尊俊という者、この浦辺で長い白髪の老人に出会った。その老人が『私は、丹州の者であるが、久しく蓬莢山に住み、たまたまこの浦に来、この絶景を眺め去るに忍びなくなった。ここに私を祀っていただきた(ママ)くなら幸いである。』と言って消え去った。尊俊は村人と相談の上、社を建てて祀ったのがこの社であると言われている。
 また、浦島子伝及び扶桑略記載には、『浦島翁が古里の丹州与謝郡に祀ってあるのを見聞したことはない』とあり、物語の最後が前記伝説と結びつくのである。


宮巡〜神主さんが作る宮崎県の神社紹介サイト〜 運営:宮崎県神道青年会より

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野島神社 白髭大明神とも書かれていますね(白髭は猿田彦なのです) 


まず、ご祭神は次のとおりです。


浦島太郎を祀る野島神社

御祭神
塩筒大神(塩、造船、生花、料理の神)
猿田大神(商売繁盛、安産、長寿祈願、五穀豊穣、交通安全の神)
住吉三前大神(上筒大神・中筒大神・底筒大神)(漁業の守護神、縁結び、子授けの神)境内由緒書より


野島神社が浦島太郎を祀る神社とすれば、塩筒大神 猿田大神 住吉三前大神 の中に丹後の浦の嶋子=浦島太郎が居られる事になりますが、海の神様である住吉大神にも猿田大神にもそのような話を聞いた事はありません。

普通ならここで話はお終りにするのですが、仮に、浦島太郎が五柱の祭神とは別に祀られているのではないとした場合、この神社にはかなり重要な伝承が残されている様に見えるのです。

まず、塩筒大神は浦島太郎の条件を持ち合わせている様に思えるのです。

「海幸山幸神話」は比較的知られていますが、釣り針を失い途方に暮れている山幸にアドバイスをするのが塩筒大神(塩土老翁)ですが、この正(実)体が誰であるかは百嶋翁から聴き及んでいます。

「塩土老翁」とは博多の櫛田神社の大幡主(豊玉彦=ヤタガラスの父)です。

大幡主とは正八幡宮の主祭神であり、大船に多くの大きな幡をたなびかせ渡海し交易を行っていた神様なのです。

出雲だろうが丹後だろうが遠洋航海を行うことができるのです。

さて、前掲の、「天神山にあった大将軍社、竹下にあった年ノ神社、堀切峠にあった三池神社を合祀し、村社に列せられた。」という記述には関係者が出てきます。

百嶋神社考古学に触れた人には分かると思います。

大将軍社は宮崎県では良く見掛ける神社ですが、どうも大幡主の配下であった大国主命を祀る神社であり、年ノ神は文句なく大歳神(その子の御年の神かも)の事であり、阿蘇の草部吉見こと海幸彦の事です。

また、百嶋神社考古学では中筒男命を第10代贈)崇神天皇としており、「堀切峠にあった三池神社」(神武僭称崇神は三毛入野命でもあるのです)がそのまま該当しそうです。

これまで当ブログをお読みの方はお分かりのように、猿田彦神は山幸彦=ニギハヤヒですね。

最低でも、塩鎚、海幸、山幸は、大幡主、年ノ神、猿田彦として揃っており、浦島太郎に該当するのは大幡主しかない様に見えるのです。

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野島神社縁起


今回は、たまたま浦島太郎にスポット・ライトを当てましたが、最近気になっている事に第三代安寧天皇とは誰かという問題があります。


安寧天皇(あんねいてんのう、綏靖天皇5 - 安寧天皇3812月6)は、日本の第3天皇(在位:綏靖天皇337月15 - 安寧天皇3812月6)。

和風諡号は、『日本書紀』では「磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)」、『古事記』では「師木津日子玉手見命」。

神武天皇(初代天皇)の孫にあたる。『日本書紀』『古事記』とも系譜の記載はあるが事績の記述はなく、いわゆる「欠史八代」の1人に数えられる。

父は第2綏靖天皇。母の記載は記紀で異なり、『日本書紀』では事代主神の娘の五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)、『古事記』では師木県主の祖の河俣毘売(かわまたびめ)とする。

兄弟に関する記載は『日本書紀』『古事記』ともにない。

妻子は次の通り。

皇后:渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめのみこと、渟名襲媛)

『日本書紀』本文による。鴨王事代主神の孫)の娘。

ただし、同書第1の一書では磯城県主葉江の娘の川津媛、第2の一書では大間宿禰の娘の糸井媛とし、『古事記』では師木県主波延(河俣毘売の兄)の娘の阿久斗比売(あくとひめ)とする。


ウィキペディア(20160219 1430による


お分かりでしょうか?第三代安寧天皇とは、日本書紀』では「磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)」、『古事記』では「師木津日子玉手見命」とあり、安寧天皇とは玉手箱を見た人(開けて見た?)の可能性があるのです。

逆に言えば、第3代安寧天皇とは誰かをこの神社が証言している様にも見えるのです。

今のところ、ここまでしか言えませんが、思えば、丹後の浦島太郎を祀る神社を訪れたのは十五年も前になるでしょうか?

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浦嶋神社(宇良神社)京都府伊根町本庄浜191    アコウは汀線に生える植物です


淳和(じゅんな)天皇は浦嶋子の話を聞き,小野篁を勅使として天長2年(825年)に浦嶋神社を創建し「筒川大明神」として嶋子を祀っています。

別名 宇良神社 浦島大明神 筒川大明神 主祭神 浦嶋子 相殿神 月読命  HP「古代史の情報」より


  百嶋神社考古学では、鹿児島の田の神様が大幡主+月読命(大山祗命)による擬神体を成している事を知っていますが、ここにも、その組合せが認められることから、浦島太郎=大幡主である事を裏付けている様に見えるのです。実は丹後ではありませんが田の神様(鹿児島のタノカンサー=大幡主+大山祗命による擬神体)は石川県の能登半島一帯にも分布している事を申し添えておきます。

 百嶋神社考古学勉強会内部では第3代安寧天皇に関しては神沼河耳(草部吉見の父)説があり検討中です。


研究のため百嶋由一郎講演録(音声CD)、手書きデータと神代系譜を必要とされる方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:40| Comment(0) | 日記
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