太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2016年12月24日

279 とって返したワダツミ神社 “宮崎県日南市の海宮神社初見”

279 とって返したワダツミ神社 “宮崎県日南市の海宮神社初見”

20160717

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川清久


宮崎市の野島神社を出て日南市の吾平津(乙姫)神社に向かう道すがら、急遽訪問したのが海宮神社でした。

 四人がそれぞれ二台の車に二人ずつ分乗し移動中に二人が急遽見なければならないと言い始めたのですから驚きますが、訪問すると真新しい社殿が建っていました。

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海宮神社は移転したのではないかと思います。

地番からも多少の違和感を覚えますし、どこかにこの神社の元宮があるのかも知れません。

現在の立地も災害復旧地か別荘か住宅地開発による団地の一角のような印象を受け、一目新しい神社と思ったのですが神社しかないため気付かない方は多いと思います。

 それはさておき、個人的には見るつもりのなかった神社であるため、特別の関心を持っていない上に元より下調べも全く行っていません。文字通りの初見の神社になります。

さて、海宮神社とは海宮であり、山宮に対応する概念です。海宮と言えば、直ぐに思い当たるものがあります。それは対馬の和多都美神社以外にはありません。対馬のワダツミ神社と言えば、


和多都見美神社(長崎県対馬市豊玉町仁位字和宮55

御祭神 彦火火出見尊 豊玉姫命 渡海大明神 or彦火火出見尊 鵜茅葺不合尊


海神神社(長崎県対馬市峰町木坂247

御祭神 豊玉姫命 配祀 彦火火出見命 宗像神 道主貴神 鵜茅草葺不合命

敬愛するHP「玄松子」による

の二社が直ぐに頭に浮かびます(延喜式内社としては対馬には四社が…)。

この二社に参詣したのはかれこれ十数年前になるでしょうか?

永留久恵氏の名著「海神と天神」対馬の風土と神々(白水社)を手に携えての四日ほどの探訪でした。

今回、「海神と天神」の和多都美神社〜海神神社(同書290p〜)の部分を改めて読み直し、龍王が誰であり、山幸彦が誰の子であるかについておぼろげながら推測が可能になりました。ただ、山幸彦と豊玉彦が同一神とまでは言えないように思うのですが今後の課題です。 

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この日南の地に対馬の神社が展開しているとは思っても見なかったのですが、同社由緒をご覧ください。

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不思議なことに(百嶋神社考古学の立場から言えばですが)、ここには正しい事と間違ったことが書かれています。

 普通は、全部間違いと言わざるを得ない神社だらけなのですが、たまに本当の事が書かれていると反って驚いてしまいます。

 宮崎神宮が神武天皇を祀っているなどという話にはコメントする気にもなりませんが、まず、通説でも豊玉彦と山幸彦は同一神ではないはずです。

ただ、そう見做してか?近くにある鵜戸神宮のウガヤフキアエズの両親神を祀る神社とされたいのかも知れません。

「日本書紀」の一書には海神の名を豊玉彦とするものもありますが、豊玉彦は博多の櫛田神社の大幡主の子であるヤタガラスその人であり、豊秋ツ姫との間に産まれたのが豊玉姫=タゴリミホで、山幸彦=ニギハヤヒ=ヒコホホデミの間に産まれたのがウガヤフキアエズ=アジスキタカヒコネになるのです。

 一般的に、海幸彦、山幸彦と神話は、火照命とも火須勢理命ともいう海幸彦から預った釣り針を失い、途方に暮れている火遠理命とされる山幸彦が塩土老翁(実は大幡主)のアドバイスを受け綿津見大神=豊玉彦(実は大幡主の子であるヤタガラス)を訪ね、綿津見大神の娘である豊玉姫をお妃しているのです。

二神の間の子であるウガヤフキアエズはトヨタマヒメの妹である玉依姫に育てられ、後に結婚して神日本磐余彦尊(神倭伊波礼琵古命=カムヤマトイワレヒコ)を産んでいるとします(勿論大嘘ですが…)。

この部分が一番の問題で、神武僭称 贈)崇神系統から成立した近畿大和朝廷は、贈)崇神が大山咋=佐田大神=松尾大神=日吉=日枝と鴨玉依姫との間に産まれていることから、同じく、鴨玉姫とウガヤフキアエズの間に産まれた安曇磯良=表筒男を排除し、無理やり神武(カムヤマトイワレヒコ)僭称贈)崇神(ハツクニシラススメラミコト)に接続しているのです。

要するに、山幸彦(物部主流の表筒男)系を排除し、海幸彦(中筒男)系のカムヤマト神武僭称贈)崇神に皇統を偽装しているのです。

勿論、本物の皇統である周王朝→呉の太伯の流れを汲む神武、懿徳、孝霊(?)、孝元、開化、仁徳…は九州王朝の滅亡と共に衰亡しているのです。

この、山幸系と海幸系の間を取り持った博多の櫛田神社の大幡主〜豊玉彦(ヤタガラス)の系統は現在も隠然たる力を保っているようですが、それ以上の事は想像しかできません。

しかし、この海幸、山幸のヤジロベイの中心となった鴨玉依姫は始め山幸系を受入れ、後に海幸系に切り替えているのです。

一方、伊勢の外宮の豊受大神=伏見稲荷様は、始めの夫であった海幸彦を捨て、山幸彦を生涯の伴侶としているのですが、それ故にか、アメノウズメとして貶められ、山幸彦も猿田彦として貶められているのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 この神社では、改めて大海神(オオワダツミ)が誰であるか、最低でも、対馬の四つのワダツミ神社の祭神が誰であるか(大幡主〜豊玉彦)を再認識させて頂きました。

 以下は、その豊玉彦(ヤタガラス)が天御中主命の流れを汲むものである事を確認して頂くためのものです。

 この神社の主神大龍神が豊玉彦、豊玉姫であるのならば、それは天御中主命の流れを汲む白族の本流を表す親子=ヤタガラス、豊玉姫(宗像大社の一女神)を表していると思うのですが、そこからカムヤマトイワレヒコが産まれたのではない事だけは強く申し上げておかなければならないようです。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 10:00| Comment(0) | 日記
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