太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2016年12月22日

278 梅雨明け直前 日南市にアイラツヒメを探るたった四人のトレッキング

278 梅雨明け直前 日南市にアイラツヒメを探るたった四人のトレッキング

20160716

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


ひぼろぎ逍遥(跡宮)276 海幸彦を祀る神社を見に行こう “宮崎県北郷町潮嶽神社初見” で、梅雨明け間近の日南市へのトレッキングを決行しました。

今回は天気予報見なくてもそろそろ雨が上がる時期で、前日までの鹿児島、宮崎の大雨は上がり低気圧通過後の高気圧=下降気流と海風により清々しい条件となりました。


@  野島神社        宮崎県宮崎市内海野島6227

A  吾平津神社(乙姫神社)  宮崎県日南市材木町910

B  潮嶽神社        宮崎県日南市北郷町北河内8901


目的地は宮崎県日南市ですが、朝6時に大分と熊本から熊本市内の某所に集合し、一路、向かったのは日南海岸の一角、鵜戸神宮にもほど近い宮崎市内の海野島の野島神社でした。

通常は高速道路など一切利用しないのですが、同行者、随行者の都合もあり、熊本空港ICから宮崎ICまで一気に走りました(勿論、徹底した安全運転ですが)。

6:10スタート、途中休憩を入れても8:50には野島神社境内に車を駐め、鹿児島からのもう一人の参加者を待ちました。

この野島神社については、既に、ひぼろぎ逍遥(跡宮)201 宮崎市(日南海岸)のアコウの茂る野島神社 で概略を書いていますので、画像一枚で済ませます。

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ここで、野島神社の意味を再確認しておきたいと思います。

まず、浦島太郎をまつる神社 として、塩筒大神と猿田彦神が住吉の神と共に祀られています。

塩筒大神が塩土(槌)翁…であることは間違いないでしょうし(杯状ではなく筒方の製塩土器の一つか)、猿田彦とは考えられないことから、浦島太郎が塩土であろうことは一目です。

海幸からの釣針を失い途方に暮れる山幸に竜王に逢いに行くようにとアドバイスしたのが塩土ですね…。


シオツチノオジ


シオツチノオジ(シホツチノヲヂ)は、日本神話に登場する神であり塩竈明神とも言う。『古事記』では塩椎神(しおつちのかみ)、『日本書紀』では塩土老翁・塩筒老翁、『先代旧事本紀』では塩土老翁と表記する。別名、事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさ)。         …中略…

名前の「シホツチ」は「潮つ霊」「潮つ路」であり、潮流を司る神、航海の神と解釈する説もある。『記紀』神話におけるシオツチノオジは、登場人物に情報を提供し、とるべき行動を示すという重要な役割を持っている。海辺に現れた神が知恵を授けるという説話には、ギリシア神話などに登場する「海の老人」との類似が見られる。また、シオツチノオジは製塩の神としても信仰されている。シオツチノオジを祀る神社の総本宮である鹽竈神社(宮城県塩竈市)の社伝では、武甕槌神と経津主神は、塩土老翁の先導で諸国を平定した後に塩竈にやってきたとする。武甕槌神と経津主神はすぐに去って行くが塩土老翁はこの地にとどまり、人々に漁業や製塩法を教えたという。白鬚神社の祭神とされていることもある。

ウィキペディア(20160716 16:30より


ここで、第3代安寧天皇を頭に浮かべて下さい!

 安寧の和風諡号は磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)と「玉手箱を見た」天皇とされているのです。


安寧天皇(あんねいてんのう、綏靖天皇5 - 安寧天皇38126日)は、日本の第3代天皇(在位:綏靖天皇33715 - 安寧天皇38126日)。

和風諡号は、『日本書紀』では「磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)」、『古事記』では「師木津日子玉手見命」。

神武天皇(初代天皇)の孫。『日本書紀』『古事記』とも系譜の記載はあるが事績の記述はなく、いわゆる「欠史八代」の1人に数えられる。

ウィキペディア(20160716 16:30より


欠史8代を架空とする愚かな学会通説は無視するとして、以前から、第3代の安寧だけは見当が着かないでいました。

 所詮、藤原がでっちあげ、実力者ではあっても天皇でもない 第2代綏靖(神沼河耳=金擬彦=高龗神)、第5代孝昭(海幸彦=草部吉見=武甕槌=春日大神)、第6代孝安(御年神=玉名疋野神社の主祭神=春日若宮)、九州王朝系の神武、懿徳、(孝霊)、孝元、開化……仁徳の間に挿入しているのであって第3代安寧が誰かなどどうでも良いようなのですが、相当な実力者であっただろうとは考えていました。

 そして、百嶋由一郎神代系譜(阿蘇ご一家)を注意深く見ると、

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贈)安寧天皇の子と書き安寧の横に玉手看と書かれているのです。

 百嶋先生は何度か塩土翁を大幡主の事として話しておられましたし、“山幸彦は父も母も分かっていない(書かれていない)”とも言われていました。

 しかし、先生は相手のレベルに合わせて話す範囲を変えておられるようで、分かっていても全部は話されていない事が分かります。

無題.png しかし、山幸彦が贈)安寧天皇の子とされている事、そして、この野島神社の縁起で浦島太郎を塩筒(塩土翁)としているようである事、当の浦島太郎を祀る丹後の浦嶋神社(宇良神社)に大幡主の擬神体である大山祗を祀っている事などを併せ考えると、藤原が第3代安寧天皇と仕立てた人物とは博多の櫛田神社の大幡主と考えられそうなのです。


 詳しくは、ひぼろぎ逍遥(跡宮)201宮崎市(日南海岸)のアコウの茂る野島神社と併せ読んで下さい。

 してみると、安寧(玉手看)の子とされる山幸彦については、絶えず猿田彦としている事、そして白髭、白髪、白木神社の主神でもある事、さらには、大幡主の配下で動いておられた事を書いていますが、どうもそれについても裏付けられたようなのです。次の写真をご覧ください。猿田彦=ニギハヤヒ=山幸彦=猿田彦……を祀る神社が白髭大明神とされているのです。

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勿論、普段から宮崎のインチキ神話と言っているのですから、神社縁起も神社伝承も、そのまま鵜呑みにするつもりはありません。しかし、このような貴重なヒントが、何故、藤原の魔の手を逃れ、神社庁に掻き消されること無く残されていたのか不思議でなりません。それは、辺境故の事なのか?それともこの事に気付かれた社家の情念によるものなのか?…今後も探索は続きます。

 鹿児島からのメンバーと2台の車に二人ずつ便乗し、鵜戸神宮など目もくれず、一路、日南市の中心部を目指しましたが、途中で気になる神社を見たことから、同乗のF女史が訪問したいとのことで、直ちに2台で引き換えし真新しい社殿の海宮神社を参拝する事になりました。

 彼女たちとの調査旅行はいつもこのようなパターンで、3社を予定しても実際には56社になるのは想定の範囲なのです。

最後に、ご覧の通り野島神社は野島(巾着島)から付されたものですね。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 13:20| Comment(0) | 日記
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