太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2016年06月02日

191 櫛稲田姫(クシナダヒメ)は熊本県山鹿市で産まれた!

191 櫛稲田姫(クシナダヒメ)は熊本県山鹿市で産まれた!

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久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 櫛稲田姫(クシナダヒメ)と言えば、木花之佐久夜姫(コノハナノサクヤヒメ)と並ぶ日本神話の大スター中の大スターですが、このお姫様が“熊本県の菊池市と山鹿市との境界辺りでお生れになっている”などと口にすれば、俄かに目を背けられ話をするのも嫌がられる事になるのは目に浮かんでくるようです。

 そのことを十分に承知した上で、真実を後世に伝えるためにも、敢て、お話しする事に致しました。

 日本版「ダヴィンチ・コード」のような話になりますが、心を静めておつきあいください。

 無視される方はそれで良いでしょうし、多少とも関心をお持ちになる方はご自分でお調べになれば良いでしょう。逆に言えば、これこそが九州王朝の物証の一つであり根幹を支える神話の舞台の実証になるのです。

 ただ、今回はこの神社を公表する事をせず、後世に引き継ぐためにヒントだけを残すに留め、現段階ではカーナビ検索など現地を特定させることは控えておきたいと思います。

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某社正面


 まず、大嘘付きの「古事記」神話から櫛稲田姫を見てみましょう。


クシナダヒメは、日本神話に登場する女神。『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫と表記する。                   …中略…

ヤマタノオロチ退治の説話で登場する。アシナヅチ・テナヅチの8人の娘の中で最後に残った娘。ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたところを、スサノオにより姿を変えられて湯津爪櫛(ゆつつまぐし)になる。スサノオはこの櫛を頭に挿してヤマタノオロチと戦い退治する。

高 天原を追放されて出雲に降り立ったスサノオは、ヤマタノオロチという怪物に毎年娘を食われているアシナヅチ・テナヅチの夫婦と、その娘のクシナダヒメに出 会った。彼らの話によると、もうじき最後に残った末娘のクシナダヒメも食われてしまう時期なのだという。哀れに思うと同時に、美しいクシナダヒメが愛しく なったスサノオは、クシナダヒメとの結婚を条件にヤマタノオロチの退治を申し出た。スサノオの素性を知らないアシナヅチとテナヅチは訝しむが、彼がアマテ ラスの弟と知ると喜んでこれを承諾し、クシナダヒメをスサノオに差し出した。          …中略…

ス サノオとの結婚が決まると、クシナダヒメはすぐにスサノオの神通力によって変形させられ、小さな櫛に変えられた。そして櫛としてスサノオの髪に挿しこま れ、ヤマタノオロチ退治が終わるまでその状態である。ヤマタノオロチ退治の準備はスサノオの指示で、アシナヅチとテナヅチが行った。クシナダヒメを頭に挿 したスサノオは、見事ヤマタノオロチを退治する。 ヤマタノオロチを退治した後、スサノオはクシナダヒメと共に住む場所を探して、須賀の地に宮殿を建てた。      …中略…

稲田の神として信仰されており、廣峯神社(兵庫県姫路市)、氷川神社(さいたま市大宮区)、須佐神社(島根県出雲市)、八重垣神社(島根県松江市)、須我神社(島根県雲南市)、八坂神社(京都市東山区)、櫛田神社(富山県射水市)、櫛田宮(佐賀県神埼市)のほか、各地の氷川神社で祀られている。

多くの神社では、夫のスサノオや子孫(又は子)の大国主などと共に祀られている。しかし、茨城県笠間市にある稲田神社は、唯一クシナダヒメを単独で祀っている。

福岡県福岡市にも櫛田神社があるが、ここの祭神は大幡主大神・天照大神・素戔嗚大神である。ただし、元々はクシナダヒメを祀っていたとする説もある。…

「ウィキペディア」(20160128 20:48による


スサノウ、アシナヅチ、テ(タ)ナヅチ、クシナダヒメ、そして、ヤマタノオロチの話を思い出されたことでしょう。もちろん、空恐ろしい話を単独で発見する事 など到底できないのであって、故)百嶋由一郎氏が、ハッキリ話すことを憚り、仄めかす程度に留めていた話を拠り所として、菊池地名研究会の優秀な講演者の 一人であるY氏のアドバイスを受け、今回、新たに付近を調べてみれば、“先生が言われていた神社はここだったんだ”と分かった事から、躊躇いながらもお知 らせすることにしたものです。

まず、瀛氏の金山彦と白族で博多の櫛田神社の主祭神である大幡主の妹の埴安姫との間に産まれたのが、櫛稲田姫です。

彼女はスサノウのお妃になり、長脛彦とオキツヨソタラシ姫をお産みになりますが、後には豊玉彦=ヤタガラスのお妃となられ鴨玉依姫を産むことになります。そして、その背景には長脛彦の乱があると思われます。

百 嶋神社考古学の凄さは、「高良玉垂宮神秘書」の解析と九州の優秀な宮司などの研究組織(草ケ江神代史研究会以前にも連綿と存在していた…)によって培われ てきた九州の主要な神社の本当の祭神に対する情報の蓄積から、まず、「記」「紀」神話の九割が嘘であるという事(実はこれこそが本当の九州王朝論なのです が)を前提に、徹底したフィールド・ワークを行われていたところにあります。

最低でも戦前まで、百嶋先生の御一族は、熊本県北部でも最有力家系の一つだったようです。

このため、地元の重要な神社仏閣の本当の情報が容易に収集できる立場にあり、そのことが大きな意味を持っていたと思われるのです。

この点の理解がなければ、全く荒唐無稽な話として扱われてしまうことに成りかねないでしょう。

ともあれ、そろそろ本題に戻りましょう。良く、“クシナダヒメの櫛(クシ)は何でしょう?”などと言われる事がありましたが、神話でアシナヅチ、テナヅチの子とされるクシナダヒメは、百嶋最終神代系譜でも父神が白族の金山彦(瀛氏)、母神が博多の櫛田神社の大幡主の娘である埴安姫(白族)とされている事から母親の出身地である櫛田神社の「クシ」である事が容易に想像できそうです。では、「イナダ」とは何でしょうか?

「古事記」では櫛名田比売、「日本書紀」では奇稲田姫とされています。

「古事記」の櫛名田比売は、ただの音韻転化でしかないため、「日本書紀」の奇稲田姫の稲田で良いでしょう。また、「櫛」が「奇」であり、尊い、貴重な…という意味であることも自然に受け入れることができそうです。

この「稲田」が、また、神社探査のキー・ワードになりそうですので頭に入れておいて下さい。

クシナダヒメ(櫛名田比売)に関して、百嶋先生は、凡そこのように話しておられました。

菊池市との市の境に近い“山鹿の清浦 奎吾記念館に近いところにある”秘密の神社の辺りでお生まれになっています。“

“お父さんが金山彦で、お母さんが埴安姫で、旧稲田村の地名はそこしか有りません…。”

“その奥は本当の神武天皇の本当のお妃の吾平津姫(アイラツヒメ)が居られた”
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清浦 奎吾(きようら けいご、1850327日(嘉永3214日) - 1942年(昭和17年)115日)は、日本の司法官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。爵位は伯爵。幼名は普寂(ふじゃく)。旧姓は大久保(おおくぼ)。

貴族院議員、司法大臣、農商務大臣、内務大臣、枢密顧問官、枢密院副議長、枢密院議長、内閣総理大臣などを歴任した。


清浦 奎吾記念館 カーナビ検索  熊本県山鹿市鹿本町来民1000−2


元々、それだけのヒントを与えただけの話でしたので、当時から思い当たる神社はあるにはありましたが、きっと知らない小さな祠程度のもので、どうせ特定する事など出来ないであろうと思っていたのでした。

そのため、気にはなっていたのですが、正直言ってそれっきりにしていたのでした。

ところが、少しずつでも百嶋先生の言われていたことが分かってくると、ようやく本気で考えてみようと思うようになったのでした。

そこで、講演当時も数日後にその神社と考えられる神社に行ってきたと話しておられた菊池(川流域)地名研究会のY氏にお尋ねすると、さすがに現地に詳しい (というより何でも知っている)彼らしく、「百嶋先生が山鹿で話された神社は…」とはっきりとした口調で話し始められたのでした。

そこで、雪の降る中、一人で神社を訪問すると、先生が話されていたものが全て残されていたのでした。

現段階ではこれ以上の事は申し上げませんが、古代史の重要な舞台は間違いなくこの一帯で起こっていた事が浮き上がって来たのでした。

勿論、はっきりお示ししても良いのですが、百嶋先生の話されている内容を自らの頭で考え、自らの足で探そうとする人だけにその真実が得られるようにしなけれ ば、結論だけが独り歩きし、既存の権威にふんぞり返る神社関係者、文化関係者から排斥され攻撃されてしまう事が火を見るより明らかだからです。

このため、ここでは百嶋先生が把握されていたクシナダヒメの出自、つまり、父、金山彦と母、埴安姫との間に生れ事が推定できるもの、また、その権威=秦の始 皇帝と姻戚関係を結んだ一族のシンボルとしての紋章が残されている事、旧稲田村であった事…などをお知らせするだけとし、後はご自分でお考え頂きたいと思います。

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今回のキー・ワードは、金山彦と埴安姫を祀る摂社があり、極秘中の極秘のモーセの十字剣神紋があり、付近に稲田地名が存在している事、さらには、その先にも アイラツヒメを祀る神社吾平神社があること、何よりも、この神社には極秘の伝承が残されていた様で、百嶋先生も、直接、先々代辺りの宮司からお話を聴かれ ていたのだと思います。

戦前の宰相清浦 奎吾や松野鶴平を生み出し、その後も松野頼三、松野頼久を輩出する山鹿〜菊池に掛けての一帯は、神代から何らかの力が送り込まれているのではないでしょうか?

では、先に百嶋最終神代系譜をご覧いただきましょう。

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百嶋最終神代系譜(部分)


さて、金山彦の娘(腹違い)で、本当の神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)のお妃であるアイラツ姫(後の名は蒲池姫)も、この一帯にいたことが想像できるのです。

勿論、現在横行している「阿蘇神話」では、速瓶玉命(阿蘇国造)の妃の蒲智比当ス(カマチヒメ)=郡浦神社の主祭神としています。

 この奥に相良(アイラ)観音がありますが、この地も明治の吾平(アイラ)村なのです。

 これらについては、久留米地名研究会のHPから「吾平」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)128130そして、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)082 神武天皇の正妃アイラツヒメ(蒲池姫)を祀る神社 “郡浦神社(熊本県宇城市三角町)”をお読みください。

 なお、この「十字剣」神紋は、現在でも福岡市内の数ケ所に残されていますが、東の方の某(N)神社の奥深くにも隠されています。

 これこそが、金山彦が秦の始皇帝と姻戚関係を持った証拠であり、各所でひた隠しにされているものです。

 神社庁もこの事実は把握していたはずですが、ひた隠しにして教育を疎かにしてしまえば、いつの間にか嘘がまかり通り、それが権威者といった振る舞いに変わり、本当の話をすればあしらわれてしまう事になるのです。

 否定される方否定されて構いませんが、そうであれば、何故、この神社にはこの十字剣神紋があるのかを説明して頂きたいと思うものです。

 この一帯には鎌倉期に宇佐神宮の神威が広がり、天皇などでは全くない贈)応神が幅を利かせ八幡神が覆い被さっています。当然にも、金山彦、埴安姫は境内摂社に秘かに祀られています。

 まあ、大体に於いて正面に出ている大社、縁起式内社の神様は本来の神様でも格式の高い神様でも無い事が大半なのです。

 この神社の宮司家にしても本当は嫌々受け容れ、面従腹背のうちに秘かに本当の神様を残そうとされている事と思うものです。

 皆さんも本当の神社にお賽銭を振る舞われて、下剋上で伸上った成り上がり者の神様(応神など)を無視して頂く様にして頂きたいものです。

 この一帯の東には松尾神社があり、その左隣に松野鶴平氏の生家があります。

 北には相良観音があり(勿論、二世紀の神代にはありませんが)、吾平阿蘇神社があります。


百嶋神代神社考古学神代系譜に関心をお持ちの方は、ケイタイ0906298325424時間対応)までご連絡下さい

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:13| Comment(0) | 日記
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