太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年11月06日

132 二つ葵の神紋はヤタガラスの古社 @ “福岡県うきは市 賀茂神社から”

132 二つ葵の神紋はヤタガラスの古社 @ “福岡県うきは市 賀茂神社から”

20150623

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


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うきは市 賀茂神社


多少、遅れ馳せの感がありますが、本物の豊玉彦(ヤタガラス)を主神とする神社をご覧に入れます。

久留米市を流れる筑後川を遡ると、左岸にうきは市があり、日田市に至ります。

このうきは市から日田市にかけては物部氏、大幡主(賀茂族)、ウガヤフキアエズの匂いがするエリアです。ついでに言えば、日田市に玉川地区があるのも関係なしとしないのです。

この大幡主、その子豊玉彦(ヤタガラス)のエリアには「隈」地名があることは何回か書いていますが、ここも同様で、東隈、西隈があり、隈上川が流れ、上流には笹の隈があり、隈地名が直ぐに拾えます。

「隈」地名は、熊本から大幡主の一族が地名を持って筑後川流域、博多周辺に展開した痕跡なのです。

カーナビ検索 うきは市浮羽町山北1

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まず、この神社は“美しい”の一言に尽きます。

殷の鳥居の変形(要するに殷の鳥居に瓦屋根を載せた)ではないかとも思える荘厳な門と立派な参拝殿、水路を巡らした庭園風の庭、神社の性格とか祭神云々の話に入る前に、その荘厳、神秘性に圧倒されてしまいます。

また、羅針盤状の暦盤が天井に置かれているのも印象的です。

この一族が、星(天文)を観測し航海を行い、暦を創り司る人々であった事が分かります。

博多の櫛田神社(大幡主の本拠地=熊野の出戻り本山)にも暦盤が置かれていますね。

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これが京都の下賀茂神社のルーツではないかとお考えになる方がおられると思いますが、その方向で考えられて構いません。間違いないと思います。

まず、友好blogの「ひもろぎ逍遥」(もっとも、先方はこちらを「迷惑biog」とされていますが)の綾杉女史のコメントから見ましょう。なお、文中のくじらさんは久留米地名研究会の事務局次長のO氏です。


「山北」は福岡県浮羽市にあります。まずは、くじらさんのコメントの概要。これは神武天皇 伝承の宮々(1)でいただいたコメントです。ところで、すでにご承 知かもしれませんが、加茂大神がこの国に最初に光臨したといわれる神社が浮羽市にあります。山北の加茂神社といいます。(http://ja.wikipedia.org/wiki/賀茂神社_(うきは市))境 内摂社の三次神社は浮羽でも最も古い神社とのこと。アジスキタカヒコネの伝承とあわせて考えるとおもしろいですね。境内には非常に古い古墳があり、かつて はこの付近が筑後川の河口だった時代があったと思われます。物部郷も近くにあり、大陸からの渡来系氏族の重要な拠点のひとつと考えられます。

くじらさん、こんばんは。「山北」ですね。それなら知ってるかも (^−^)物部氏はかなり古いですね。想像以上。あれほど福岡の広いエリアに分布するに は、100年200年じゃないような。何々、アジスキタカヒコネですか。この神は、大国主命と宗像三女神のタギリ姫の間に生まれた神ですよ。高良山の麓に も祀られていて、気になる神です。うきは市の賀茂神社は加茂大神が最初に降臨?興味津津。早速ウィキペディアを引用してみましょう。


縁起 当社の行直大宮司が慶安4年(1651年) に誌した旧記には、「賀茂大神は最初にこの地に天降り鎮座され、神武天皇が日向から大和へ御東遷のみぎり、宇佐から山北へ来られ賀茂大神は八咫烏(やたが らす)となって御東幸を助け奉られたので、今も神武天皇と賀茂大神を奉祀する」と述べている。境内では縄文土器、石器、群集石棺群などが出土している事か ら鑑みこの旧記が有る真実を伝えているものと考えられる。賀茂神社社家の初代は、武内宿禰(たけうちのすくね)(孝元天皇の曾孫)19世 波多臣広庭(はたのおみひろにわ)の後裔、波多次郎救家の嫡男 久家和州 としている。(熊懐氏参照)

祭神 神 日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)(神武天皇)賀茂下上大神(賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)、 賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと))う〜む。宇佐から山北へ。そして八咫烏となった。これは奥深い伝承ですね。いつかチャレンジしたい…。


そもそも、このうきは市一帯には、千束、千足(チツカ、センゾク…)、姫治(ヒメハル:紀氏が治めるの意味かも)、内ケ原(ウチノシコオ?)、白土(もちろん白川伯王=の系統の方々が住む土地の意味ですね)という物部氏、白族系統の地名が拾えます。

さらに言えば、日田市にも隈地名(星隈など3隈地名が…)があり、豊玉彦を意味する玉川地名まで存在しており、この古代筑後湾の湾奥好地が、大幡主と豊玉彦の支配下にあった事が分かるのです。

注目して頂きたいのは、この二つ葵の神紋です。重要なので次回以降に廻すことにして、まずは、この秀麗かつ気品に溢れた本物中の本物のヤタガラスの神社の画像をお見せします。

ただし、前述1651年の旧記による「賀茂大神は最初にこの地に天降り鎮座され、神武天皇が日向から大和へ御東遷のみぎり、宇佐から山北へ来られ賀茂大神は八咫烏(やたがらす)となって御東幸を助け奉られたので、今も神武天皇と賀茂大神を奉祀する」とあるのはそのままでは受け容れられません。

日向から東征したのは、藤原が第10代とする贈)崇神(ハツクニシラススメラミコト)の事であり、もしも、ここが降臨した地であるのならば、賀茂大神ことヤタガラスは肥後からうきはに入り、後に博多に入ったのかも知れません。

 ただ、神武とヤタガラスとは同時期に活躍していますが、宇佐を基盤にした崇神が本物の神武やヤタガラスに出あうはずはないのです。

少なくとも、本物の神武(カムヤマトイワレヒコ)とヤタガラスに関係のある重要な神社であるとまでは言えると思います。 

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 10:29| Comment(0) | 日記
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