太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年06月17日

086 驚愕の“炎のピラミッド” 001 阿蘇小国両神社と阿蘇南郷谷八坂神社の境内地の不思議な対応

086 驚愕の“炎のピラミッド” 001 阿蘇小国両神社と阿蘇南郷谷八坂神社の境内地の不思議な対応

「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 単独掲載

20150329

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


久留米大学の3月特別枠の公開講座で講演を調整していた南阿蘇村 八坂神社の田尻盛永宮司の講演は、神社の行事と、公開講座の日程が合わずに秋以降に延期となりましたが、先行して411日の久留米、玄海合同地名研究会として田尻宮司の講演を取り組むことに致しました。


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一度のお話で直ぐに理解できるものではありませんが、この驚愕の内容を少しずつお知らせして行こうと考えています。

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阿蘇五岳を中心に据えて、まるで映画ピラミッドさながらの法則に基づいて、多くの神社が配置されていると言う驚愕の事実が発見されていました。

全てが見通せるような盆地状の平坦な土地ならばいざしらず、平面どころか九州の高峰阿蘇五岳を挟んだ五十キロはあるエリアにおいて、大きなアンジュレーションの上に阿蘇系ばかりではない11社が正確無比に配置されているという研究が南阿蘇(南郷谷)の小神社の宮司によって行われていたのです。

既に、その骨子は1997年地理情報システム学会(東京大学)において講演されていますが、20081月にさらに深められた研究内容で『古代「火の国」の象徴「炎のピラミッドの発見」』が出版されているのです。

私自身も、学会発表から18年、出版からも7年が経過し、ようやく八坂神社を訪問して知る事となったのですが、これほど重要な発見が一般には全く知られていないという日本の異常さを改めて知らされたところです。

宮司は熊本の名門済々黌から伊勢の神学皇学館を卒業後、国語の高校教師と神職を兼務されながらこの研究を行われたのですが、一目、これほどの研究が何故全く取り上げられないのか理解できません。

これは学説とか仮説とかいった類のものではなく、神社の配置とその社殿や境内地の面積や形状が全て正確に計算されて配置されていると言う、極めて具体的で検証可能な事実そのものであり、無視することの許されない一大発見だからです。

著書の一部でも読めば、直ぐにこの研究内容の凄まじさ、衝撃の大きさに大半の方が驚かれるはずですが、どうやら、この研究を表ざたにしたくない…、そのような事を大っぴらにしてもらっては困る…といった大家の先生方がおられるようなのです。

 宮司は1500年 前を想定されているようですが、そのような時代に、π、Φ、フィボナッチ数列、ひいてはメートル法といったものが、近畿大和朝廷が成立する数百年前の阿蘇 に存在しており、実際にそれに基づいて多くの神社群が配置され、建設されているという事を認める事が、これまでの、七、八世紀の奈良飛鳥を中央として全国 に権力が及んで行ったとする幻想から余りにもかけ離れた物証になるからに外なりません。

まず、速瓶玉命こと大山咋命を主祭神とする国造神社(阿蘇北宮)線を挟んで、阿蘇神社、八坂神社、霜神社、龍王社が正確に平行四辺形を形成しています。

 そして、その四社の間には巨大な阿蘇小五岳が横たわっているのです。

 さらには、阿蘇神社から延ばされた夏至線が熊本市内の健軍神社へ、小国両神社と阿蘇神社を結ぶ線上に阿蘇高森の草部吉見神社が配置され、その健軍神社と草部吉見神社とが、巨大な阿蘇外輪山の外周を越えて正確な東西線上に並んでいるのです。

 さらには、国造社線に並行に、両神社、甲佐神社線が配置され、甲佐神社の位置が決定されている事が見えてくるのです。

 このように、単に神社が配置されているだけではなく、前述のように境内地や社殿の面積さらには参道

の面積、形状までもが計算され施工されているのですから再び驚かされます。

 宮司の研究を傷つけてはなりませんが、まず、百嶋神社考古学の立場から言えば、日本列島には5000年前から古々代フェブライ系氏族が入り、呉の太伯の一族、さらには白族、瀛族、トルコ系匈奴、百済、高句麗、新羅と多くの亡命民族(氏族)が雪崩れ込んだとするのですから、この奇跡の神社配置は、その事実を証明する物証である可能性があるのです。

 このテクノロジーが途絶えたのか根絶させられたのか、現在の阿蘇宮司家を始めとして、神社庁も忘れてしまったのか、ひた隠しに隠しているのか、無視する方向で動いているようです。

 今後、当方の思惑は抑え、田尻研究を広く知って頂く事だけを主眼に、誤解が生じない様に、原文そのものを少しずつ公開したいと考えています。

 トップページから始めても良いのですが、できるだけ皆さんが関心を持たれることを考え個人的趣味で思いつくままに公開して行こうと思います。

 幸いにも、残部がある程度残されており、関心をお持ちの方にはお送りする事は可能のようです。

 当然、送料は必要になるでしょうが、必要な方は、限りがありますので、宮司に直接連絡を取られてはいかがでしょうか(八坂神社: 0967-62-9611)。定価4500とかなり高額ですが、その価値は十分あるはずです。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 11:14| Comment(0) | 日記
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