太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年06月16日

085 刺国若比売 “大国主の母”は大幡主の妹の埴安姫=草野姫か?

085 刺国若比売 “大国主の母”は大幡主の妹の埴安姫=草野姫か?

「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 共通掲載

20150320

久留米地名研究会 古川 清久


「大国主命のお母さんは誰か?」と問われれば、「古事記」に「刺国若比売(サシクニワカヒメ)という奇妙な名前の女性が登場します」と答えられる方がおられるでしょう。

これが本当の産みの母かどうかは通説派の大家の先生方だろうが誰にも分かりませんが、この人物がどのような人かについては多少の見当が付きます。

以下は、2015321日(1110)に検索したウィッキペディアの記事です。まず、ここから始めましょう。ただ、この赤猪岩神社付近は過去何度か傍を通過していますが、まだ、実見には至っていません。


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赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ)は、鳥取県西伯郡南部町に所在する神社で、『古事記』上巻、『先代旧事本紀』第4巻 地祇本紀での因幡の白兎の神話の続きの説話の舞台となった場所にある。大正6年(1917)現在地に創建された久清神社と、南部町内にある要害山山頂にあった赤猪神社が、大正9年(1920)に合祀され現在の赤猪岩神社となった。

その説話のあらすじは、大穴牟遅神(オオナムヂ、後の大国主)のたくさんの兄神たち(八十神)は、白兎の予言通り八上比売(ヤガミヒメ)と結婚した大穴牟遅神を憎み、殺してしまおうと企んで大穴牟遅神を伯耆の 手間山本(手前の山麓)へ連れて行った。そして「珍しい赤い猪を山の上から追い立てるので下で捕まえろ。そうしなければ殺す」と言いつけておいて、山の麓 で待たせている大穴牟遅神へ目掛けて、兄神たちは火で真っ赤に焼いた岩を山の上から落とした。転がり落ちてくる真っ赤な岩を猪として受け止めようとしたた め大穴牟遅神の身体がたちまちその赤く焼けた岩膚にこびりついて、焼き潰されて絶命してしまう。

これを知った大穴牟遅神の母・刺国若比売(サシクニワカヒメ)は嘆き悲しみ、高天原に上り神産巣日之命(カミムスビ)に救いを求めたところ、赤貝の神・𧏛貝比売(キサガヒヒメ)と蛤の神・蛤貝比売(ウムギヒメ)2柱の女神が地上に遣わされた。𧏛貝比売が貝殻で大穴牟遅神の体を岩からはがし、蛤貝比売が母乳と清水井の水で練った薬を大穴牟遅神の体に塗りつけた。すると大穴牟遅神は大火傷が忽ち治り元の麗しい姿となって息を吹き返した。

この神社の前身である赤猪神社の創立年代は不明であるが、この神社の地が話の舞台であるとされており、大穴牟遅神を焼き潰し殺したとされる岩が境内に祀られている。また蛤貝比売が薬を練るために水を汲んだ清水井と言い伝えられている泉が、赤猪岩神社から徒歩30分の所に存在する。


火傷の時に貝を焼いた粉を練って塗ると言う風習は今でも聞きますので、恐らく二人の女神の名はこの二種類の(赤貝、蛤)貝に象徴されているのでしょう。

この母とする母神と二人の女神については、百嶋由一郎氏の「神代系譜」だけからも推定が付きます。

問題は「刺国」です。欠史八代を架空とする学者のお歴々ならいざしらず、多少とも「大国主」の実体に迫ろうとしてきた人々も、「刺国」が何かについて推定する手立てがなかったと思われ、古来、人々の頭を悩ませてきたもののようです。以下、幾つか見て見ましょう。


…もっとも有名なものとしては、本居宣長の『古事記伝』がある。宣長は「刺田」を「刺国」の誤りだとして大国主命の父にあたる刺国彦命を祀る神社と捉えている。(『紀 伊国名所図会』や『紀伊続風土記』はこの説に従っている。)この解釈は、紀伊国に大国主命を祀る神社が多いことによる。しかしながら、神名を間違えて表記 するというのは少し不自然なように思われる。また『延喜式』神名帳のどの伝本をみても異同がなく、『紀伊国神名帳』(成立年は不明)にも「刺田比古神」と あり、他の文書にも別表記がないのも奇妙に思われる。『紀伊国名所図会』でもその点を指摘している。『和歌山県史』(大正3年)引用の刺田比古神社史によ ると、「刺田比古」は「サデヒコ」と読むべきだとしている。祭神の佐弖比古命の表記違いの神名が、次第に本来の読みを失ったことによるのではないかと推測 している。(『明治神社誌料』なども、この説を踏襲したものと考えられる。) 確かに佐弖比古命はさまざまな表記がなされ、「デ」の音が「ダ」の音に変化 するのは自然である。しかし、「刺」の字を用いた表記は見られない。しかも『延喜式』神名帳の訓は、「サスタ」あるいは「サシタ」の異同のみで、「サデ」 とするものは見られない。従って「刺田比古」は刺国彦命や佐氏比古命とは別の神名と考えるべきである。

HP「刺田比古神社」より

一方本居宣長による説では、刺田比古神を『古事記』の出雲神話における「刺国大神」と推定している。刺国大神は『古事記』によると、大国主神を産んだ刺国若比売の父神で、大国主の外祖父にあたる神である。そして『紀伊続風土記』では、刺国若比売を「若浦(和歌浦)」の地名によるとし、大国主神が八十神による迫害で紀伊に至ったこととの関連を指摘している。そのほか「さすたひこ」の音から、刺田比古神を猿田彦神や狭手彦神と見る説もある。

延喜式内社 Hp刺田比古神社


本居宣長を始祖とする通説派の先生方は、どうしても大和の近くや刺田比古に刺国を求められたかったようですが、あまりお分かりにならなかったようです。

百嶋先生はこれについても明確にご存じのようでした。九州王朝論に立たれていましたから、「古事記」の95パーセント嘘神話に惑わされる事なく、元々、草ケ江神代史研究会に伝わってきた神社関係者による極秘の現地情報と自らの頭と耳を信じて調べておられた様です。

まず、この件に関して、最初に思い出す百嶋語録のフレーズとしては、@「皆さん大国主を出雲の人と勘違いしておられる…(勿論違うのです)」、A「大国主の 命は大山祇の子であり、大幡主の傘下で活躍した方…」B「出雲は元々大幡主の国(領域)であり、多くの出雲の国があった中の一つだった…」、C「刺国」とは大政(サシクニ)大臣の意味で博多の櫛田神社の主祭神である大幡主の父である白川伯王が承っていた。…が浮かんできます。

そして、大国主の命は大山祇=月読命(トルコ系匈奴)と大幡主(ヤタガラスこと豊国主の父で白族)の妹である埴安姫(草野姫)との間に生まれた人、大幡主にとっては甥にあたる人物であり瀛氏への入婿だったのです。

当時の大幡主の中心地(瀛氏の本拠地でもある)は肥後から移動した博多であり、そこへの入婿として入り、宗像の市杵島姫(瀛ツ島姫)=スセリ姫、豊玉姫=タゴリ姫の両者を妃としたのです。

当時の在地豪族(瀛氏、白族)のお姫様を射止めた大国主命が八上姫までも射止めたから八十神の兄達から命を狙われたのでしょう。

その狙われた場所が、仮に出雲国、因幡国だったとしても、その一帯(玄界灘から日本海岸)も元々大幡主(恐らく大きな帆を持つ船団の主の意味)の領域だったのです。

このため、一般的に言われている“出雲系の神々”といった表現が非常に怪しく疑わしい物である事が分かって来ます。

“出雲系の神々”という表現を、事実、自分でもしばらく前まで使っていたのですが、父系、母系に異なる民族が絡む事になり、単純に理解する事はできないのです。


天神(あまつかみ)と国神(くにつかみ)

神話の神々は、大きく天神と国神に分けることができます。本居宣長は、「古事記伝」の中で、天神とは「天に坐(い)ます神、または天より降坐(くだりいませ)る神」、国神は「此国に生坐(うまれいませ)る神」と書いています。
イ ザナキ、イザナミ、アマテラスオオミカミなどは天神で、スサノオノミコトやオオクニヌシノミコトなどは国神となります。つまり、伊勢系の神は天神、出雲系 の神は国神となります。この違いは、神社の造りでわかります。社殿の入口が妻側にあるものが「国神」、棟側にあるものが「天神」です。このように、神社の 構造からも、いろいろなことがわかります。また、出雲大社などの「大社造り」という構造は、日本最古の神社建築様式として有名です。

「パワースポットを巡る旅」から

スサノオは新羅系昔氏のイザナギと瀛氏のイザナミの間に生まれた神話の世界のスーパースター、オオクニヌシは越智族(トルコ系匈奴)と瀛氏で白族の埴安姫と の間に生まれたスーパースター、スサノウの妃となった櫛稲田姫(クシナダヒメ)は瀛氏の金山彦と白族の埴安姫との間に生まれたスーパースター、建御名方 (タケミナカタ)はスサノウ、クシナダヒメの間に生まれたナガスネヒコ(岐神)の姉オキツヨソタラシヒメと阿蘇の草部吉見の間に生まれた強硬派で諏訪大社 の神であり大国主の子ではない。

従って、スサノウは八坂神社、祇園神社、スサノウ神社…。大国主は一応、出雲大社、大国主神社。

クシナダヒメは佐賀県神崎市の櫛田神社、建御名方は諏訪神社、南方神社、ナガスネヒコ(岐神)は出雲井神社、そして、あまり表に出てこられない大幡主は博多 櫛田神社、豊国主(ヤタガラス)熊野の熊野速玉大社始め一族が紀州の熊野系神社に、天御中主命の夫であった伽耶のウマシアシカビヒコヂの神は出雲大社の客 人間(マロウドの間)に鎮座しているのです。

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さて、ここまで見てくると、白川伯王=刺国(大政大臣)の子が大幡主(オオハタヌシ)であり刺国若彦であることが分かるのです。

この大幡主は姉として神(カム)玉依姫がいますが、この女神こそ本物の初代神武天皇(第10代崇神天皇は贈る天皇でしかなく本物の天皇ではない)の母親であるため埴安姫以外はありえません。

無題.png埴安姫は瀛氏の金山彦と通婚していることから恐らくその後でしょうが、越智族(トルコ系匈奴)の大山祇の妃となり、大国主=大己貴を産んだのです。

では、埴安姫が神皇産霊に頼んで介護のために送り込んだ蛤貝比売(ウムガヒヒメ)𧏛貝比売(キサガヒヒメ)とは誰だったのでしょうか?

百嶋神代系譜では、大幡主の子である白族の豊玉彦(ヤタガラス)と高木大神の娘である許氏の萬幡豊秋ツ姫の間に生まれた田心姫(多紀理毘売)=豊玉姫が蛤貝比売として、同じく大幡主の子である白族の豊玉彦の姉のアカルヒメとスサノウとの(妃であったが半島から日本へ移動したのは良く知られる)娘である瀛氏の市杵島姫が𧏛貝比売として各々大国主のお妃となっているのです。

従って天才画家 青木繁が描いた「大穴牟知命」の女神の正体が分かるのです。



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これで、雲を掴むような、「古事記」の「刺国若比売(サシクニワカヒメ)」の見当があらかた付いたのではないでしょうか。

仮に現場が出雲、因幡であったとしても、相談した刺国こと白川伯王も、その子で神産巣日之命(カミムスビ)とされる大幡主(博多の櫛田神社の主神)刺国若彦も、その妃である「大穴牟知命」の母の刺国若比売も、看護のために派遣されたウムガイヒメもキサガイヒメも全て北部九州に実在する神(人)だったのです。

宗像大社の三女神の二人、市杵島姫、田心姫は良く知られていますが、宗像大社の本当の神様が大国主命であることがより鮮明になってきたと思います。

これが、出雲神話の舞台が実は九州から日本海側に広がる一帯で起こった事であるとお分かりになってきたかと思います。

高給の大家の先生方は、奈良、大和に無理やり結び付けようと和歌山県に話を持って行かれたいでしょうがそれは誤りの様なのです。

ただし、大幡主の一族は後に阿波(徳島県)を経由し、紀国(和歌山県)に移動しておられます。

それが、「熊野」であり、熊野大社、熊野本宮大社、熊野速玉大社…なのです。

このこともあり、奈良、大和に話を持って行かれたかったのかも知れませんが、舞台が日本海岸であるため何でも畿内大和できなかったのが「出雲神話」なのです。

最後に、刺国こと「白川伯王」について秘密の話をしておきます。

実は今もこの直系の御子孫と考えられる方が福岡県飯塚市内の某所、某神社におられます。

名は「○○」から「●●」と変えられていますが、千数百年来「伯王」を名乗られてきたのです。

ただ、明治期に神社庁の前身からか、圧力が掛けられ栄えある「伯王」の名を消されているのです。

復活できるような自由な社会になれば良いのでしょうが、またもやデタラメナ方向に向かっています。

是非とも生きている間にこの国を無茶苦茶にした連中と共に日本と言う国が共倒れし滅び去るのを見てから死にたいものです。クタバレ「日本」!! 賢い人、善人は揃って「日本」を棄て逃散しようではありませんか!!越の宰相范蠡(ハンレイ)がそうしたように!古来、日本は大陸、半島を逃れた善者の国!!


posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:11| Comment(0) | 日記
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