太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年06月12日

084 栲(タク)“ミツマタの花咲く頃に栲幡千千姫命(タクハタチチヒメ)を考える” 

084栲(タク)“ミツマタの花咲く頃に栲幡千千姫命(タクハタチチヒメ)を考える” 

「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 共通掲載

20150319

久留米地名研究会 古川 清久

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菊池(川流域)地名研究会の主力講演者であり(元穴掘り考古学の学芸員)、神職でもある吉田氏と福岡県田川郡の某所に調査に行った帰路、ミツマタの花が咲いているのを見て、思わず車を戻して写真を撮りました。

吉 田宮司は「彦山周辺に非常に多いし、かつての栽培のなごりかも知れない…」(肥後弁でですが)、「紙幣の原料でもある事から偽札を製造されているかも知れ ない…」(これは私でしたか?)などと話ながら、しばし、この上品なジンチョウゲ科の落葉低木の美しさに見とれていました。

植物には関心が薄い事からコウゾとミツマタの区別もつかず、紙の原料と言っても高級和紙から落とし紙まである訳で、実際にはどの時代のどの種類の紙なのかとか言った事まで考えれば、全く知識が無いに等しい事に気付かされます。


たく【栲コウゾの古名。「常にの皮を取りて木綿(ゆふ)を造る」〈豊後国風土記〉Goo辞書」より


たえ たへ 【栲

@

カジノキ・麻などからとった繊維。また,それで織った布。 「臣の子は−の袴を七重をし/日本書紀雄略

A

布類の総称。 「御服(みぞ)は明る−・照る−・にぎ−・荒−に/祝詞祈年祭

たく 【栲

コウまたはカジノキ古名。 「此の郷の中に−の多(さわ)に生ひたり/豊後風土記「栲」に似た言葉

三省堂大辞林無題.png」より


ミツマタ三椏、学名:Edgeworthia chrysantha)は、ジンチョウゲ科ミツマタ属の落葉低木。中国中南部、ヒマラヤ地方原産。皮は和紙原料として用いられる。

目次

ミツマタは、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分岐する特徴があるため、この名があり、三枝三又とも書く。中国語では「結香」(ジエシアン)と称している。

春の訪れを、待ちかねたように咲く花の一つがミツマタである。春を告げるように一足先に、淡い黄色の花を一斉に開くので、サキサクと万葉歌人はよんだ(またはサキクサ:三枝[さいぐさ、さえぐさ]という姓の語源とされる)。

園芸種では、オレンジ色から朱色の花を付けるものもあり、赤花三椏(あかばなみつまた)と称する。

利用[編集]

和紙の原料として重要である。ミツマタが和紙の原料として登場するのは、16世紀戦国時代)になってからであるとするのが一般的である。しかし、万葉集』にも度々登場する良く知られたミツマタが、和紙の原料として使われなかったはずがないという説がある。

平安時代の貴族たちに詠草料紙として愛用された斐紙(美紙ともいう)の原料であるガンピも、ミツマタと同じジンチョウゲ科に属する。古い時代には、植物の明確な識別が曖昧混同することも多かったために、ガンピもミツマタを原料としたものも、斐紙と総称されて、近世まで文献に紙の原料としてのミツマタという名がなかった。後に植物の知識も増え、製紙技術の高度化により、ガンピとミツマタを識別するようになったとも考えられる。        

ウィキペディアによる


私 達にとっては、このような専門的知識がない上に、何が本物のミツマタかなどと突き詰めている訳ではないため、単にネット上から最低限の知識を拾っただけで すが、古代の事を考える者にとって、このコウゾとかミツマタとか言ったものがどの地域でどの種類のものを言っていたかも判別は難しく、仮に漢字表記が一致 していたからと言って、時代や地域が違えばそのまま信じられない…事になるため、今のところ、ある程度推定ができる程度の話をしているものです。

 このため、前置きだけが非常に長くなりましたが、ことさらこのコウゾ、ミツマタやガンピョウの類いに目を向けたのは、「栲幡千千姫」が何か念頭にあったからでした。

 既に「ひぼろぎ逍遥」049「何故か感涙を禁じえぬあまりに立派な高木神社」“大任町の高木神社”として、大任町の高木神社に付いて書いていますが、吉田宮司にもその神社を見てもらった帰路でしたから、思いもひとしおだったのです。

そうです、栲幡千千姫(タクハタチチヒメ)の「栲」とはこの類いの木であった可能性が高いのです。

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栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)は、日本神話に登場する女神である。『古事記』では萬幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)、『日本書紀』本文では栲幡千千姫命、一書では栲幡千千媛萬媛命(たくはたちぢひめよろづひめのみこと)、天萬栲幡媛命(あめのよろづたくはたひめのみこと)、栲幡千幡姫命(たくはたちはたひめのみこと)と表記される。      ウィキペディアによる


栲幡千千姫命とは、コウゾ、ミツマタ、ガンピョウ…の類いをもって作られた多くの御幣で飾られた姫か、多くの幟を立てて称えられた姫か、多くの繊維を作った(持った)姫か…とにかくこの「栲」に因んだ名を持つ神であったと考えるのです。

ここでも百嶋神代系譜を見て頂きますが、この栲幡千千姫は高木大神(高皇産霊神)の次女であり、第4懿徳天皇のお妃となった豊天ツ姫の母(父は草部吉見)なのです。

 これまた隠された話ですが、この皇后陛下は阿蘇の健磐龍命(阿蘇神社主祭神)のお妃となっているのです(百嶋先生からのお話)。略奪なのか、離縁によるものなのか不明で確信が持てないため、現在、紀元2600年当時の阿蘇神社関係の資料を探しているのですが、それはそれとして、百嶋系譜では、栲幡千千姫命は次女で、長女の萬幡豊秋ツ姫とは別人とされているのですが、ウィキペディア氏においても古事記』の萬幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)と書いている様に、『古事記』では同神を同一視し混乱(意図的改竄?)しているように見えます。

面白いのは、萬幡豊秋津師比売と、その名に「豊」が付されているように、高木大神の拠点が恐らく後には豊の国にあったことを思わせることです。

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百嶋極秘系譜による

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 10:44| Comment(0) | 日記
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