太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年06月02日

080 金凝彦=贈)綏靖天皇を確認 “遅れ馳せながらも阿蘇神社に金凝彦を認識した”

080 金凝彦=贈)綏靖天皇を確認 “遅れ馳せながらも阿蘇神社に金凝彦を認識した”


「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院共通掲載       201500304

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

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久留米大学の公開講座で講演して頂く方向でお願いしている南阿蘇村八坂神社の田尻盛永宮司による仮称“阿蘇山 炎のピラミッド”のパワー・ポイント作成のために熊本県下を走り回っています。

その道すがら、阿蘇市の阿蘇神社(皆さんが良くご存じの阿蘇神社の事です)の境内にも足を踏み入れたところ、当然と言えば当然ですが、第二代綏靖天皇として扱われている、贈)綏靖天皇=金凝彦を確認したことから、画像をお見せすることにしました(神職にお尋ねすると神殿最奥に祀られているとのこと)。

最近、非常に忙しい事から、今回は、通常目にしない珍しい神様をご紹介するのみに留めます。

阿蘇と言えば、健磐龍命や草部吉見神にしか目が行かないのですが、丹念に意識して見れば見掛けるものである事が解った一例でした。


既に、055 金凝神社“日田市天ケ瀬町五馬市の古社” 056 神沼河耳(綏靖天皇)から阿蘇氏を考える“草部吉見を神武の皇子とする訳”で以下のように書いていました(再掲)。


055 金凝神社 “日田市天ケ瀬町五馬市の古社”


地名研究会、日田天ケ瀬温泉研修所の準備からオープンにかけて、頻繁に現地(大分県日田市天ケ瀬町五馬市)に通っていますが、直ぐそばに金凝神社というあまり見かけない神社がある事に気付き調べてみました。

 以前、山鹿市(旧鹿北町)芋生で一社見掛けたことがありますが、まず、類型の少ない珍しい神社です。

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単純過ぎますが、金凝神社の「金凝」から直ちに、製鉄、冶金に関係がある神であることを考えてしまいます。

「凝」は、恐らく「日本書紀」のイシコリトメ、イシコリトベの「コリ」と同じでしょうし、金属を造ることに精通した(凝り性のコリ)製鉄神、カグツチ、韓鍛治(カラカヌチ)の仲間でしょう。

旧天ケ瀬町教育委員会(S49)の解説文によると和同三年以前の(変わった表現ですが?)創建、綏靖天皇、健磐龍命を祀る…とされています。

百嶋神社考古学の立場からは、綏靖天皇は正当皇統の天皇ではなく贈)天皇でしかありませんが、通説では、和風諡号カミ(ン)ヌナカワミミ 神渟名川耳天皇(日本書紀)神沼河耳命(古事記)を持つ堂々たる第2代天皇とされています。

 当初は故百嶋先生が「初期九州王朝親衛隊長…」と言われていた(イン)一族( 054 秦の始皇帝と市杵島姫 参照)の金山彦=金鑚大神と考えていましたが、ようやく、百嶋神代系譜(阿蘇ご一家)に登場する 贈)綏靖天皇=神沼河耳命=金凝彦=高龗神 であることに気付きました。

 それならば、綏靖天皇、健磐龍命が合わせて祀られていることにも納得がいきます。

綏靖天皇の妃は神俣姫=闇龗神であり、その間に生まれた贈)孝昭天皇こと草部吉見の娘婿が健磐龍命だからです。


056 神沼河耳(綏靖天皇)から阿蘇氏を考える“草部吉見を神武の皇子とする訳”


055 金凝神社 “日田市天ケ瀬町五馬市の古社”を書いていてようやく近年の疑問の一つが解決したような気がしています。

百嶋神代系譜は複雑怪奇で直ぐには頭に入ってこないのですが、繰り返し疑問を持ちながら見ていくと謎が解けて行くことが多々あります。

今回もその例の一つですが、ご紹介しましょう。考えれば極めて単純なことだったのです。

阿蘇神社の主祭神健磐龍(タケイワタツ)命が初代神武天皇の 孫であるとか、一部に子である…といった話や、草部吉見神社の祭神も神武天皇と事代主命の娘である比売多々良伊須気余理比売の間に生まれた三皇子、長男日 子八井命、次男神八井命、三男神沼河命であるといった話(「草部吉見神社」御由緒)も、格上げのための宣伝といった理解をしていました。

勿論、格上げのための宣伝であることは間違いないのですが、全くの偽装かというとそうではないという事に確信が持てるようになったという一種複雑な思いです。

百嶋神社考古学の中でも最も重要な点の一つは、天照大御神=卑弥呼の(腹違いの)弟が神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)であり、その正妃であるアイラツ姫(蒲池姫)の実子が第4懿徳皇(大倭彦)となり、孝霊天皇(第7代)、孝元天皇(第8代)、開化天皇(第9代=高良玉垂命)…と続く正当皇統の九州王朝系天皇となっていった…(最後は第14代仁徳天皇)。

ただ、その間に遥かに格下の臣下でしかない贈)綏靖天皇、贈)安寧、贈)孝安天皇、贈)孝昭天皇…などが改竄挿入されてやたら古く見せ掛けられているという事にあります。

ただ、アイラツ姫(蒲池姫)が正妃であるとの思いが強く、第2代贈)綏靖天皇=神沼河(耳)命==金凝彦=高龗神とも通婚(神武との間が先と思われる)していた事を系譜(百嶋神代系譜)の上では知りつつも、それほど強く認識していなかったのです。

ところが、正妃のアイラツ姫から見れば、贈)綏靖天皇=神沼河(耳)命とも通婚していることから、その夫であった神沼河(耳)命と神俣姫との腹違いの子であった草部吉見の神=日子八井(耳)命も連子(実は神武が連れ子かも)のような義理の子であることから、厭くまでも無理すれば神武の皇子であったと言えない事はないのです。

ましてや、健磐龍(実は手研(耳)命)に至っては神沼河(耳)命との実子であることから、神武の子との意味はより強かったはずなのです。

結 局、正当皇統との言い方では、周王朝の血筋を引く「姫」氏の流れが最上級としても、天照大御神は姫氏と高神皇産霊神(高木大神)系=許氏との間の子であ り、神武天皇は姫氏と神皇産霊神(大幡主)系=白族との間の子になり、また、神八井(耳)、神沼河(耳)がビルマ・タイ系の黎族としても、草部吉見神はそ の黎族とイザナギ(新羅系昔氏)、イザナミ(瀛氏=秦始皇帝と姻戚関係の白族)の間に生まれた神俣姫の間に生まれた子となり、結局は、政略結婚の背後にあ る有力民族、氏族の影響力の大きさによって古代も政治が動いていた事が見えて来るのです。

そして、当のアイラツ姫も、瀛氏=秦始皇帝と姻戚関係の白族の金山彦(事解男)とトルコ系(列島亡命匈奴)の流れを汲む(不明)妃との間に生まれた有力民族間の子女だったのです。

してみると、海士族、海神族と言われる海の民を巻き込んで、その民族同士の遭遇、衝突、通婚、共存の舞台となった有明海東岸の玉名、山鹿、菊池から、阿蘇、高千穂に掛けての一帯こそ、列島の民族が衝突から融合へと向かう熱い古代史の舞台であったのです。

決して、片田舎の奈良、大阪、京都…などで日本人が自生したのではなかったのです。

なお、手研(耳)命は通常タギシミミと読みますが、百嶋先生の振り仮名の通りタケシミミ(耳は黎族の首領の意味の尊称)と読むべきで、健磐龍の磐龍は巌を蹴破り多くの農耕地を生み出したという意味で良いでしょう。ウイキペディアでも以下のように書いていますが、


手研耳命(たぎしみみのみこと、生年不詳 - 己卯11月)は、記紀に伝わる古代日本皇族

日本書紀』では「手研耳命」、『古事記』では「多芸志美美命(たぎしみみのみこと)」と表記される。

初代神武天皇皇子で、第2綏靖天皇の庶兄である。神八井耳命・綏靖天皇兄弟に対する反逆伝承で知られる。

百嶋先生も、皇后陛下略奪を含め「健磐龍は悪いことばっかりやっている…」と言われていましたが、

この手研耳には神武天皇が崩御した後、皇位に就こうと画策したタギシミミをカムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)らが討ったという話もあり、以前「草部吉見が阿蘇の一族から閉門蟄居された…」と書いたのはこの事が背景にあったからです。まだ、良く分からないのですが阿蘇神社の宮司家は怒られるでしょうね。

大変有難い事に、百嶋神社考古学は必ず解決の糸口を残してくれています。

なかなか分からなかったのですが、なんとか突破口ができた思いがしています。

 始めは、日田の山奥の辺鄙なところに阿蘇系の神が祀られているとは考えられませんでしたが、この五馬高原一帯の神社を見て回ると、数キロほどのところの塚田に立派な塚田阿蘇神社がありますし、阿蘇小国にも三十分で移動できます。

逆に久留米経由で菊池に行けば120130もあるのですが、山越えのコースで移動すれば、50キロ足らずで菊池まで移動できる所だったのです。

 五馬市の金凝神社を見た時、「豊後国風土記」に登場する土蜘蛛の首長五馬姫が、実は金山彦系の人だったのではないかと早とちりしたのですが、どうやら、この金凝神社は鎮圧した側の神社だったようです。

 やはり、五馬姫は玉来神社に関係しているのです。升田幸三の錯覚いけないよく見るよろし」が蘇ってきました。20151月の太宰府、玄海合同地名研究会主催日田三社詣りトレッキングに引き続き、春早々にも金凝神社を含めた仮題「五馬高原神社トレッキング」(玉来、老松、塚田阿蘇、元宮神社…)を行いたいと考えています。 

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 12:44| Comment(0) | 日記
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