太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年05月13日

074 宮地嶽神社と安曇磯羅 F “「高良玉垂宮神秘書」では磯羅を玉垂命と別神扱いしている”

074 宮地嶽神社と安曇磯羅 F “「高良玉垂宮神秘書」では磯羅を玉垂命と別神扱いしている” 

      20150222

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


無題.png玉島川の半証


皇后は針を曲げて釣針をつくり、飯粒を餌にして、裳の糸をとって釣糸にし、河の中の石に登って、釣針を垂れて神意をうかがう占いをして、「私は西の方の財たからの国を求めています。もし事を成すことができるなら、河の魚よ釣針を食え」といわれた。

竿をあげると鮎がかかった。皇后は「珍しい魚だ」といわれた。ときの人はそこを名づけて梅豆羅国めずらのくにという。今、松浦というのはなまったものである。

それでその国の女の人は、四月の上旬になるたびに、針を垂れて年魚あゆをとることが今も絶えない。ただし男は釣っても魚を獲ることができない。

皇后は神の教えがその通りであることを知られて、さらに神祇を祭り、自ら西方を討とうと思われた。そこで神田を定められた。


無題.png全現代語訳『日本書紀』(講談社学術文庫)宇治谷 孟

日本書紀 巻第九(神功皇后 摂政前紀)神功皇后気長足姫尊


安曇磯羅=表筒男尊としたら


神功皇后紀に名高い玉島川での鮎釣りの故事ですが、「高良玉垂宮神秘書」には「玉嶋河ニテ、神功皇后 同高良アユヲツリ玉イシ時、サテ、表筒男尊ヲハシマシツル所ヲカヽミ山トハ申ナリ」とあります。

まず、神功皇后と高良玉垂命が夫婦であることは元より、一緒にアユ釣りをしていたという話も伏せられていますが、そう書かれている以上、普通に考えれば表筒男尊は高良玉垂命=底筒男尊とは同体でもなく、別神(人)であると言えるでしょう。

勿論、百嶋先生は多くの神社伝承を調べ、表筒男尊が安曇磯羅であることを把握されていたのでしょうが、直接的にそう言える証拠のようなものはありません。

「高良玉垂宮神秘書」16pには、安曇磯羅が登場します。

「アントンイソラ ト申ハ、筑前国ニテハ志賀…大明神と申也…」とあります。

「ヒタチノ国ニテハカシマ大明神、ヤマト国ニテ春日大明神ト申也…」は言い過ぎで、海幸彦(草部吉見)の業績を乗っ取ったものでしょうが、一応、志賀は本物の様です。

もう少し分かり易く書いて頂ければと思いますが、これまで生き延びて来た古文書であり、「記」「紀」の暗霧に灯された一筋の光ですから文句は言えません。

志賀大明神ならば、今なお、安曇氏が宮司を務める志賀海神社の祭神としての表筒男尊でも一向におかしくないのですから。

 最後に、「高良玉垂宮神秘書」では、安曇磯羅をアントンイソラと書いています。安曇はまさにアントンと読めますが、ここにはこの一族が遠く中近東から流れて来た海神族であることを伝えている様にも思えます。ローマの皇帝もアントン、アントニーでしたね。

倭の五王ならぬ大秦国=ローマの五賢帝は、ネルバ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニウスピウス、マルクスアウレリウス・アントニウスでしたね!

ここから先は「ひもろぎ逍遥」にお任せしておきます。

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中身が非常に濃くなっていますので、ここで留めておきますので、「古事記」が描く古代史とは全く異なる古代を見せてくれる貴重極まりない「高良玉垂宮神秘書」に可能な限り目を向けて下さい。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 09:12| Comment(0) | 日記
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