太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年04月22日

067 大国主を出雲の神様と考えておられる方に対して。僭越ながらも… 。

067 大国主を出雲の神様と考えておられる方に対して。僭越ながらも… 。

      20150212

「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 共通掲載


久留米地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久


「出雲神話」と言えば日本の古代史を考える上の原点であり、「大国主命は天照大神に出雲の国を譲った(国譲りをさせられた)」と考えておられる方しかいないものと考えています。

 九州王朝論の延長と言っても、少数派たる九州王朝論者でも全く異を呈する方のいない領域に踏み込む事になるわけで、私達が考えている非常に未成熟な古代史観が、まず、世間一般に対して全く通用しない話である事ことは重々承知して少し考えて見たいと思います。

 西日本全域のフィールド・ワークを進めていると通説の古代史観に抵触する事象に多々遭遇し続けます。

このため、どのように考えても通常の「古事記神話」の延長上の世界観を破壊することなく古代を見通すことができないという考えに追い込まれて行くことになったのです。

 まず、大国主(オオナムチ)を祀る神社が九州にもかなり存在する事を知ったのが一つの切っ掛けでした。

当然ながら、福岡県の現筑前町(旧三輪町)に式内社 筑前國夜湏郡於保奈牟智=オオナムチ神社(旧県社)があることは承知していました。


式内社 筑前國夜湏郡於保奈牟智神社(旧県社)
御祭神:大己貴命天照皇大神春日大神


 無題.png朝倉郡筑前町(旧三輪町)にあり大神神宮とも云われる。鳥居の扁額には「大神大明神」とあり、「三輪大明神」とも呼ばれる。近隣では「おんがさま」と親しまれている。

神功皇后の新羅征伐に際して、兵が集まらなかったため、大三輪社を建てた所、集まったという。また、大三輪神の祟りによって、兵が逃げ、死亡していたが、これを祀ったことにより、無事、新羅平定がかなったとも。奈良・大神神社参拝時に、「福岡から」と告げると、神職から、当社の事を聞かれた。有名なのか?境内は静かで広く末社も幾つか。神紋の三つ巴は拝殿・石柱などによって左右あり、どちらが本当かわからないようだ。


しかし十数年前に同名の神社 大汝牟遅(オオナムチ)神社が鹿児島県日置市吹上町中原に、また、熊本市北区(西里 硯川町)にも川東大己貴神社として存在する事を知るに至るや、九州王朝論の立場からは、出雲神話の舞台ももしかしたら九州だったのではないかと考える様になったのです。

特に衝撃的に思えたのは、山鹿市の志々岐神社(実態は北部九州に多い志々伎神社が阿蘇系に覆いかぶさられた志々伎阿蘇神社)境内に隣坐する諏訪神社と八坂神社の裏にあまりにも大きな大国主命の石塔を見た時でした。


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出雲に疑問を抱いたのは何故かと言われれば、まず、一般的に出雲系と言われる神社(祇園神社、諏訪神社、熊野神社、八坂神社、南方神社…)があまりにも多過ぎるからでした。

少なくとも、人口比を考えてもこの種の神社が当の出雲以上に多い事だけは間違いないでしょう。

ただ、この事実については、各々の神社の実態が分かるに従って、「出雲系」神社という概念自体がとんでもない勘違いでしかないと気付いたことから、結果的には切っ掛けでしかなかったのかも知れません。

つまり、仮に国譲りをさせられたのがオオナムチだったとしても、譲らされた国(葦原中国)が実際にはどこだったのかが全く分からないのです。

大国主が国譲りの代りに神の御殿のように立派な住居を求めたことから、それを承諾した天照大御神は出雲大社を建ててそこへ移した…とするのですが、それが譲った国(葦原中国)だったのではなく、移された場所でしかなかったのではないかと言う事に漸く気付いたからでした。

尤も、「神代史」を全く架空として退ける学者風の方々には、利権構造に胡坐をかいておられれば良いとだけ申上げておきたいと思います。

その後、百嶋先生の説が多少とも理解できるようになるに従い、宗像大社の本来の祭神が大国主命だった事が分かってきたのです。

これについては、太宰府地名研究会の伊藤正子女史が、大伴坂上郎女の歌から、八世紀初頭まで宗像大社にはおおなむち すくなひこなの かみこそは」が祀られていた事を教えてくれたのでした(以下当時のパワーポイントから)。


大伴坂上郎女の歌


名児山の位置(福岡県宗像郡津屋崎町勝浦と玄海町田島との間の山・通称ナチゴ山165m)

冬十一月大伴坂上郎女が帥家を発ち道に上がりて筑前國宗形郡名兒山を超えるとき作れる歌一首

大汝 小彦名能 神社者 名著始鶏目

名耳乎 名兒山跡負而 吾戀之 千重

之一重裳 奈具佐米七國


おおなむち すくなひこなの かみこそは なづけそめけめ なのみを なごやまとおいて あがこふる ちえのひとえも なぐさめなくに


同じく坂上郎女京に向かう海路に濱貝を見て作る歌一首

 

吾背子尓 戀者苦 暇有者 拾而将去 戀忘貝

わがせこに こふればくるし いとまあらば ひりひてゆかむ こひわすれがひ


坂上郎女は京に帰るとき宗像の神(おおなむち・少彦名)に祈りに立ち寄った。


この歌からわかるのは、ここでは宗像神は三女神ではないこと、勝浦まで船で来たこと(道に上がり)、名児山は昔からその名がついていたこと、その名児山と聞いても自分が我子を思う心は深く何の慰めにもならないと歌い上げていること。


大国主命のお妃が、宗像三女神の二人、市杵島姫(スセリ姫)、また、田心姫(豊玉姫)であった事が分かってくると、どのように考えても、大国主命が譲った国(葦原中国)が出雲だったとは考えられなくなったのでした。

さらに言えば、どの時代まで遡れるかは分からないのですが、飯塚市桂川町に出雲という交差点があり、出雲地区が存在している事。

 宗像市から背後地の宮若市を始め筑豊全域の神社に濃厚な大国主を祀る民間風習が残されている事を知るからでした。

 これらは端緒でしかなく、今後とも探求を続けたいと考えていますが、嘘で固めた「古事記」神話で安心し吹聴され続ける誤った神代史には、どのように考えても九州王朝の痕跡を消し去ろうとし続けたという意図が透けて見えてきたのでした。

  出雲大社に足を向ける多くの参拝者、その中に何らかのものを見出そうと新たに神社へのフィールド・ワークに踏み出そうとする一群の若い世代を見るにつけ、 調教される犬のように予め用意された解説書やテキスト・ブック、それに行政機関が用意したガイド・ブックだけで判断するのを避け、自らの頭で考え自らの足 で調べる事をお勧めしたいと思います。

最後になりますが、百嶋由一郎先生が亡くなられる直前に用意されていた20131月新春神社考古学研究会(於:宮地嶽神社)向けの資料に出雲神話に登場する 𧏛貝比売(キサガヒヒメ)蛤貝比売(ウムギヒメ)が宗像三女神の二柱(市杵島姫、田心姫)であることが書かれていたことを確認して頂きたいと思います。


古事記』ではそれぞれ「𧏛[1]貝比売(きさがひひめ)」・「蛤貝比売(うむぎひめ/うむがひ-)」と、『出雲国風土記』ではそれぞれ「支(枳)佐加比売命(きさかひめのみこと)」・「宇武賀比売命(うむかひめ-)」と表記する。

ウィキペディアによる

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久留米大学の大矢野栄次教授も講演で話されていましたが、どうやら久留米出身の青木繁画伯も久留米がそして九州全域が古代史の重要な舞台であったことに気付いておられた様ですね。

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20131月に宮地嶽神社で開催を予定していた百嶋神社考古学研究会に提出予定の資料から

その研究会で講演を行う事なく同年11日、百嶋由一郎先生は永眠されてしまいました。



「百嶋神社考古学」に関心をお持ちの方には、40時間に亘る生前の講演録(音声CD)や手書資料(PDF)を実費程度でお送りできますので、直接、当方にご連絡下さい09062983254

お話をさせていただき真面目に研究される方には、バックアップの意味もありお送りしています。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:27| Comment(0) | 日記
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