太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年04月13日

064 博多の櫛田神社の祭神とは何か? 

064 博多の櫛田神社の祭神とは何か? 

「ひぼろぎ逍遥」、ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 共通掲載

      20150207

久留米地名研究会 古川 清久


二年前に亡くなられた故百嶋由一郎先生の話の解読作業をフィールド・ワークと併せて進めていますが、その中で避けて通れないのが、博多の櫛田神社の祭神である大幡主(オオハタヌシ)です。

実は、天理教の主祭神でもあるのですが、その話はまたの機会に置くとして、百嶋先生の話を簡略化してご紹介しましょう。

まずは、櫛田神社のHPから確認しておきましょう。

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右殿に素盞嗚大神 中殿に大幡主大神 左殿に天照皇大神

(祇園宮・須賀大神)  (櫛田宮)  (大神宮)

祭神の、大幡主大神は別名大若子命。

越の国(北陸)の賊徒阿彦を討伐することを命ぜられ、大いに旗(幡)を挙げて戦いに勝ったので大幡主と呼ばれる。


ホーム・ページの冒頭中央に掲載されている「大いに旗(幡)を挙げて戦いに勝ったので大幡主と呼ばれる。」をお読みになって分かるように、実は八幡神の大本こそ大幡主なのです(最初の八幡神)。

このことにも百嶋先生は言及されていました。

博 多山笠で有名な現在の櫛田神社は菅原道真公から大山咋神、建御名方神、大物主神、豊受氣比賣神…と多くの神様を取り込み、まるで商売繁盛の神社の様に思わ れていますが(勿論、厳しい現実の中で生き延びるためには仕方がないのであり、それはそれで良いのでしょう…)、この神社を考える際に最も重要な要素はや はり大幡主(熊野速玉大社の祭神)が何かを理解することなのです。

まず、八百万の神様の中に「主」という尊称、称号を使う神様がおられる事に気付かれるでしょう。

「大幡主」「天御中主」「大国主」「事代主」「大物主」「一言主」「経津主」…、これらとは別になりますが「大県主」(オオアガタヌシ)という言葉も後代に派生しています。

これについても故百嶋由一郎氏は語っておられ、「主」とは白川伯王、白山姫(天御中主)の流れを汲む一族が使うものでその一族の重要人物の尊称とされていました。

百嶋最終神代系譜でも大幡主は白川伯王の直系ですし、大国主も天御中主の孫にあたります。

事代主の場合は少し複雑ですが大国主の孫にあたる活玉依姫の夫になるのです。

問題はこの大幡主の父親白川伯王や伯母白山姫(天御中主)の一族が何かなのです。

それについても百嶋先生は言及されていました。

何と驚くことに、現在も中国大陸の奥地の雲南省白族=ペイツー=ペーホ―族と言われていたのです。

中国の少数民族の中でも特に美人や優秀な人が多いとされる民族です。


ペー族


(自称: ペーホー Baipho、ペーツィー Baipzix中国語: 白族 Bái zú英語 Bai)は、中国雲南省大理ペー族自治州を中心に住む民族2000の統計では人口1,858,063人。内、約124万人はシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派ペー語を話し、残りは主に中国語を使用している。雲南省以外では、貴州省畢節地区四川省西昌市湖南省桑植県ミャンマー北部などにも分布している。

無題.png未婚女性が頭に巻き付ける白い羽根飾りが特徴的で、民族名の由来となっている。漢族からは「白人」、「民家」などと呼ばれていたが、1956に大理に自治州を設立する際に、正式に白族の名が定められた。

かつては大理国を作っていたが、漢族との交流の歴史も長く、ペー語を、漢字を借用したり、漢字の構成方法を応用して作った漢字風の文字を組み合わせて記述したり、借用語として多くの漢語をペー語に取り入れている。文法的にも漢語の影響をうけ、基本語順が漢語と同じSVOになっている。

牧畜の歴史が長く、乳製品を作っており、特に中国語で乳扇と呼ばれているチーズは特徴的である。漢族雲南料理同様に、トウガラシで辛く味付けした料理が多い。を主食にしたり、ワサビを食用にするなど、日本人と共通する文化も見られる。

「ウィキペディア」による


こ れまで、何度となく、阿蘇高森の草部吉見神社の「ミミ」の一族、神八井耳(カムヤイミミ)、神沼河耳(カムヌナカワミニ)、彦八井耳(ヒコヤイミミ)=天 忍穂耳(アメノオシホミミ)が、雲南省麗江から海南島を経由し天草苓北〜阿蘇に入って来ているという話をしてきました(「ひぼろぎ逍遥」033 阿蘇高森の「草壁吉見」神社とは何か?「支那」前後 他)。


この故百嶋由一郎氏以外には誰も語らないとんでもない話に関連して、雲南省でも麗江ではなく、省都 昆明から同時に日本列島に向かった一族がいた事を話しておられました。

勿論、漢族に追われたからですが、阿蘇の草部吉見の一族(ビルマ・タイ系)は、ビルマ・タイ国境に近い麗江からメコン川(瀾滄江)を下りサイゴンから船で海南島(現海南省)へ向かったのですが、この一族は、直接、昆明辺りから、ファンガ(紅河)を降りハノイ沖(ハロン湾)から海南島に上陸し、同じく日本列島(九州本土)に入っていると言うのです。

その一族こそ、白川伯王、白山姫(天御中主)=(白族=白人=ヘブライ系)であり、博多の櫛田神社の祭神の大幡主の事であり、その息子が豊玉彦=ヤタガラスになるのです。

そして、宗像三女神の一人、市杵島姫(瀛津嶋姫)スセリ姫も大幡主(実は思兼命、天穂日命…)の実の子にあたるのです。

さらに驚くことに、イザナギの妃であるイザナミも、勿論、秘密にされていますが、イザナギと別れた後この大幡主と結ばれ、ヤタガラスとスサノウが追いかけたアカル姫を生んでいるのです。


百嶋語録を、神社伝承から見る古代史 百嶋由一郎先生の世界 --- もう一つの神々の系譜 ---から


糸島の細石神社、三雲というところにあります。御祭神はイワナガ媛ですが、その素性がごまかされている。このイワナガ媛の素性は龍・蛇であるが、何十年も蓋をされていたが、文楽の世界で、今、東京丸の内のある劇場でこれを上演している。この方のご出身地は朝鮮半島で、お父さんは博多くしだ神社の神様で大幡主命、お母様はイザナミの 命、イザナミは後後、イザナミではまずいので別の名前に変わっている。それは、くまのふすみのみことに名前を変えていらっしゃる。博多のくしだ神社の神様 ご一統の熊野大社における配置を申し上げておく。これは宇佐以前に知っておかないと都合がよくないので、申し上げて置く。熊野ふすみ神社即ち、熊野那智大 社は(もと、イザナミの みこと)、熊野速玉大社は大幡主命(博多のくしだ神社の神様)、熊野本宮大社はこれは秘密もいいところ、なんとかなんとか美のみことこれはお妃のほうで す。なんとかなんとかのみこと、これは素戔鳴尊です。本当の御祭神は表にひとつも出ていらっしゃらない『美(巳)』すなわちイワナガ媛 です。ご出身は朝鮮半島の一口に申しますと新羅の勢力圏、当時、新羅はけんかが強かったので、ある程度、百済のほうまで入り込んで、加耶はもちろんです。 とにかくあちこち広域に跡形を残しています。そしてこの方が最初、日本に入られる前のお名前はあかる媛です。そして、ダンナの名前は、朝鮮半島から追いか けてきた天の日槍(後に、日本での名前は素戔鳴尊)です。あかる媛のコースを申し上げます。まず、日本に最初に入ってこられた場所は但馬国、現在の兵庫県 です。それから大分県の国東半島の姫島です。そして国東半島に上陸します。そして奥の方にはいられて安心院です。そして表に出てらっしゃたのは神相撲をし ている古表宮です。“古”は“胡”の意味です。そして、いまではイワナガ媛となられたのです。


今 日のお話の順番は、鳥の子様をお話して、次はここは久留米ですので、その話をして、そしてその次に高良の話をちょっとします。まず、鳥というのは博多、那 の国の国王の王子様です。三足霊鳥ヤタノカラスです。那の国の国王様の写真を皆様に回します。昔から今までずっと、日本の天皇家を支えている。昭和3年、昭和天皇のご即位の大典の祭、福岡県よりお米及び俵を献上した。お米は現在、福岡市の脇山、俵は筑紫野市山口より献上しました。三足霊鳥ヤタノカラスは、お名前を200くらい持っています。豊玉彦= 豊国主、とにかく、日本一のお仕事をされて、沢山の名前をお持ちの方が、このヤタノカラス=豊玉彦です。そして、このヤタノカラスのお子様が鳥の子様で す。鳥の子様には系統があります。鳥の子を称されている二つの系統がありますが、どちらもイスラエル系統です。でもそのどちらも、イスラエルじゃ都合が悪 いと、アーリア系にすり替えている。アーリアはイラン人、インド地区の一部のアーリア系の人々(代表、お釈迦様)、現在、西のほうに移り、ヨーロッパに住 んでいるアーリア人の代表はオーストリア、ドイツ人です。そして日本では、筑後黒木一族、これは間違いなくアーリア人です。とにかく黒木一族の守護神は那 の国の国王様(ヤタノカラスの親父様)です。黒木に行かれると津江神社という大きな楠木のあるお宮がありますが、このご祭神がこの方です。この方は日本人 が東に異動した後、民族東遷の後、一番安全な落ち着き方をなさっている場所は熊野(三重県と和歌山県)です。熊の意味は隈、隈の根本となるの熊本県の人々 のことです。隈とは集落という意味です。この隈を使う人々が、九州王朝の招きで、こちらのこの地区に異動してきた人々で、この地区とは筑後川流域を連想し てください。日の隈、なんなんの隈が沢山ある。小郡市にもなんなんの隈が沢山ある。今、写真をお回ししている那の国の王様の置き土産です。そして、そのお 子様がこのヤタノカラス、そしてその後をお次になった、那の国の嫡男ならぬ嫡女が豊玉姫です。宗像大社の三姫を連想なさったら○です。宗像は宗像以前に古い神社があった、その根源は中津市の薦神社、そして、現在は宇佐市に入っている安心院の佐田大神(母親はいちきしまひめ=弁財天様、父親は支那津彦=草部吉見=春日大社)です。そして、佐田大神が福岡の筑後川の方に移動して、朝倉市佐田町、今は民族の大移動で、忘れ去られてしまっているが、現在は日枝大社又は松尾大社にご祭神として祭られている。


無題.pngそもそも2000年昔を連想なさったら、公用語は中国語、話している言葉は、イスラエル語、ユダヤ語、アーリア語、コーカソイド語、黒海、カスピ海、マルマラ海、エーゲ海、地中海、そういう人々が、結論として日本に流れ込んだ。

1)朝鮮半島経由(いわゆる北方経由)  図のB

・神農様(4750歳):ヘブライ系

・除福: イザナギ、イザナミの祖先

2)上海からストレートにやってきた。  図の@

但し、上海は当時なかった、海だった。従って、正確に言えば、呉の国からやってきた。それを手っ取り早く説明するのに都合の良いのは八代の河童です。

自分たちの先祖は、『オーレイ、オーレイ、ティエ、ライタ(タオライ)』、呉の国からやってきた。

オーレイ、オーレイ、は自分です。ティエは頭領(指導者)の意味、ライタ(タオライ)はやってきたの意味。上海、呉の国の言葉と日本語は発音も語も意味も同じです(中国語とは違います)。この祭りは春にやられています。

・天皇家の先祖、泰伯王(3200歳)の子孫

3)海南島経由(南方経由)   図のA・大幡主の先祖・支那津彦の先祖

百嶋由一郎先生の提示された日本列島へやって来た人々の移住経路Immigration routes of the modern Japanese ancestors, which proposed by Mr. Yuichiro Momoshima.

@  周王朝系呉国末裔渡来経路: 呉国(現在、上海付近)→日本列島

紀元前12世紀、句呉(勾)国:中国周王朝祖古公亶父、長子太伯(泰伯)、次弟虞仲(,仲雍)、千余家共建国。虞仲(,仲雍)子孫寿夢改国名呉()。 紀元前473年、夫差王、越王勾践滅呉()国。 国姓姫。 夫差王子孫渡来日本列島。

☆句呉,(こうご、くご)は、中国の周王朝の祖、古公亶父の長子の太伯(泰伯)が、次弟の虞仲(,仲雍)と千余家の人々と共に建てた国である。虞仲(,仲雍)の子孫である寿夢が国名を句呉,から呉,に改める。 紀元前12世紀から紀元前473年夫差王まで続き、越王の勾践により滅ぼされた。 国姓は姫(き)。 夫差王の子孫が列島に渡来した。

A  雲南省黎族(紀元前10世紀頃)→海南島(紀元前後)→台湾→日本列島(紀元前後)

(1)支那:雲南省 楚雄市 永仁県 支那http://goo.gl/maps/5hdQs

(2)支那郷:雲南省 徳宏徳宏傣族景頗族自治州 盈江県 支那郷

http://goo.gl/maps/qJIdJ    http://goo.gl/maps/gwjyN

B 朝鮮半島→日本列島(紀元前〜紀元後7世紀)(1)百済(2)高句麗(3)新羅(4)金海伽耶

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:17| Comment(0) | 日記
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