太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年04月10日

063 出雲井神社 初見 

063 出雲井神社 初見 

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「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 共通掲載

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

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062 松江市の高良神社の実見から においてお伝えした松江市の高良神社を実見し、出雲大社からもそう遠くない「出雲井(イズモイ)神社」に向かいました。

付近に着いても、入口が分かりません。

夕暮になり暗くなると撮影もままならないため、誰かに聴かなければと思っていると、地元のお婆さんを見つけました。

それこそ隠された神社であることからご存じかどうか不安でしたが、直ぐにお分かりになり熱心にお教え頂きました。

その言葉が凄まじく、出雲には例外的な飛地としていわゆる「ズーズー弁」が残っていることは知られていますが(雲伯方言)、本格的な同方言を目の当たりに聴くことを得たのは実質的には初めてでした。


雲伯方言

音声・音韻面で隣接する地域とはかなりの違いがあるため、方言区画では中国方言と切り離されて扱われる。鳥取県伯耆地方東部の方言(倉吉弁)は因州弁(鳥取県東部)に近く、島根県西部の石見弁山口弁広島弁に近い。雲伯方言ではイ段とウ段の発音が近く中舌母音になり、エの発音もイに近くなるなど、東北方言と共通する特徴(ズーズー弁、裏日本式発音)があるが、この特徴が雲伯方言に飛地状に分布する理由について明確な結論は出ていない。

方 言区画として、大きく出雲・隠岐・西伯耆の三つに分けられる。この中では出雲が最も雲伯方言らしい特徴を揃え、隠岐には係り結びなどの古い表現が多い。ま た、西伯耆のうち日野郡は雲伯方言的特徴がやや薄い。以下、「出雲」は出雲市ではなく旧出雲国の範囲を指す。     「ウィキペディア」より


以 前からこの「雲伯方言」の存在は、古代には西日本にも広くいわゆる「ズーズー弁」が分布しており、それが稲作民の侵出、渡来人の侵出によって東日本に押し 出されたものの、かなりの密度を持っていたため現在まで残ったのではないかと考えてきました。はからずも出雲大社の東一キロ程度の場所で生きた「雲伯方 言」を話す人にお会いできたことは人生の宝と言うべきかもしれません。

さて、この神社の事は、地名研究会や百嶋神社考古学との関係から遭遇した熊本の神社研究グループの方からお聴きしていたもので、今回はまずは実見と訪問したものでした。

以 前から、“大国主命を皆さん出雲の人とお考えになっているようですが、それは全くの誤りで、実は博多の大幡主(白族)の傘下に入っていたトルコ(匈奴)系 の人であり、姻戚関係から主(ヌシ)という白族(ペイツン)の尊称を使っているんです”という百嶋先生の話が頭に残っていました(天御中主も雲南省からの 亡命者の末裔の白族なのです)。

従って、出雲神話も本来の衝突の舞台は九州であって、国譲りの場所は九州なのであるという事が徐々に見えてきていました。

ただ、余りにも世情と異なるため、保留していたのですが、出雲神話も実は空恐ろしい真実が隠されている事は予感していました。

どうやらその鍵がこの辺りにあるようで、予備知識もない事から、今回、ここではあまり知られていない「出雲井神社」の存在をお知らせするだけに留め、場所だけをお知らせしておきたいと考えます。

敬愛する「玄松子」氏もお困りの様で、非常に短いコメントしかされていません。

なお、島根県雲南市三刀屋町にも出雲井神社があります。


島根県出雲市大社町修理免


出雲大社境外攝社御祭神岐神出雲大社からかなり東。431号線の北の小道にある。出雲大社で、案内をしていた方に場所を聞いた。道路から社の屋根が見えるということで、屋根を探しながら道路を歩くがが見当たらない。かなり歩いたが見当たらないので、裏道へ入り、戻ることにする。と、あった。

「玄松子」より

古代出雲の秘密6/出雲井神社 - ひーさんの散歩道 - Gooブログ

古代出雲の秘密6/出雲井神社

2010年09月26日 18時33分42 | みちのく文化研究&歴史

富家の伝承には「大和や紀伊は出雲の分国」とある。出雲王朝は北九州から新潟にいたる地域を領有していたのである。
オオクニヌシは古代出雲において重要な存在ではなかった。
出雲大社が杵築(きつき)へ移ったのは、霊亀二年(716)のことで、それまでは熊野にありクナトノ大神を祀っていた。
クナトノ大神は、岐神(ふなと)、来名戸之祖神(くなとさえのかみ)、衡立船戸神(つきたてふなとかみ)、八衢神(やちまた)、久那斗神などと書く。
天孫族も、この神は畏敬しており、常磐国などの東国は、この神が開拓したもので、香取神宮の主祭神(普都大神)ともなっている。
富家の伝承に「女の神」はあるが、アマテラスは無い。
天皇家でも古くは祀ってはいなかった。
「延喜神名式」によると、タカミムスビ・カミムスビ・タマツムスビ・イクムスビ・タルムスビ・オホミヤノメ・ミケツカミ・コトシロヌシである。
天皇家の氏神、守護神は所謂ムスビ系の神のようだ。
アマテラスに当てはまる神社は、いくつかあるがいずれも男性神で、女神のアマテラスは存在しなかった。
「大和国城下郡:鏡作坐天照御魂神社」・「城上郡:他田坐天照御魂神社」
「山城国葛野郡木島坐天照御魂神社」・「久世郡:水主神社十座の中に水主坐天照御魂神社」
「摂津国嶋下郡:新屋坐天照御魂神社」・「丹波国天田郡:天照玉神社」・「播磨国:揖保坐天照神社」
「対馬国下県郡:阿麻氏留(あまてる)神社」
これらは男性神で伊勢の女神アマテラスとは関係ない。
対馬のアマテル神社(祭神:アメノヒタマノ命)を除き、ほとんどが尾張氏およびその同族とされる丹波氏の祖神を祀っている。
祭神は、アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノ命です。
ニギハヤヒは出雲神族のナガスネ彦の妹トミヤ姫を妻とし、物部氏の祖ウマシマジをもうけたことになっているが、富家の伝承には登場しない。
ニギハヤヒは尾張氏の祖神で、物部氏とは無関係なのだ。
物部神社の主祭神もニギハヤヒではなく、ウマシマジである。
つまり、ここではアマテラスなどという女神は存在しないとしている。
四千年前の戦いが今も続く
出雲の旧家で国ゆずりを単なる伝説とか、作り上げられたものと考える家は一軒もない。
出雲神族の富家はアメノホヒノ命の後裔の国造家(北島、千家)、神魂神社宮司の秋上家とは婚姻関係を結び、形の上では、同族になっている。
しかし、秋上氏の口から千家氏に対する怨念の言葉が洩れるなど、いまだに対抗意識をもっている。
一般の人にはわからない血の争いが今でもあるのでしょうね。
この本の著者がクナト大神をを祀る出雲井神社に行こうと大社の社務所で道を尋ねたそうです。
ところが、なかなか教えてくれなく、うさん臭そうにこちらの顔を眺めながら「なぜ、そんなところに行くんですか? 小さな社がポツンと立っているだけで、なんにもありませんよ。」と言われたそうだ。
道順を聞きだすのに五、六分も押し問答をしたそうだ。 (今は、この本を読んでるでしょうからそれは無いかも知れませんね。)
社家では出雲井神社(土地ではサイの神さんと呼ぶ)と聞いただけで神経をピリピリさせるという。
社家にとって出雲井神社を訪れる者は危険人物なのであろう。と云ってる。
言い換えれば、クナトノ大神が出雲神族の大祖神であった証明なのかも知れない。
※アメノホヒノ命=天孫族の先発隊
「出雲国風土記」にヤマタノ大蛇や国ゆずりの話がないことに関しても、富氏は明解を与えてくれた。
「敗れた記録を残した者はいない、それらは怨念の歴史として口から口へと語り継がれるものだ。
風土記はアメノホヒの後裔の出雲臣広嶋がまとめたのだが、われわれの祖先が敗残の記は載せさせないように圧力をかけたのだ。
日本の歴史学は風土記に神宝事件も記されていないのにこれを問題にする人はいない。


古代出雲の秘密6/出雲井神社 - ひーさんの散歩道 - Gooブログ」より


あとは、ご自分でお調べ下さい。

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現地は非常に分かりにくいため、出雲大社大鳥居から国道431号線を東に5600メートルほど移動し、入り組んだ旧道(古道)に入り、付近でお尋ねになって下さい。

  出雲大社の最上階に設えられた客人(マロウド)の間に天御中主の夫であるウマシアシカビヒコチ(朝鮮半島の神、金 越智)が祀られているとかいった話もさ ることながら、出雲大社にとっても、あまり知られたくない秘密にかかわる事であるから、天皇家との結婚とかで浮かれる出雲大社の社務所でお聴きになって も、不審人物扱いされるのが落ちですので、現地の方にお尋ねになるのが賢明でしょう。

 間違っても、95パーセント嘘の「古事記」神話などに惑わされてはならないのです。最後になりますが、百嶋神社考古学では、この「岐神」(クナトノカミ)を「長脛彦」(ナガスネヒコ)と考えています。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:29| Comment(0) | 日記
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