太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年03月28日

059 後の九州王朝東遷の神社で当方をご存じの場合はご連絡下さい。 “情報をお寄せ下さい!”

059 後の九州王朝東遷の神社で当方をご存じの場合はご連絡下さい。 “情報をお寄せ下さい!”


「ひぼろぎ逍遥」、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 共通掲載       20150123

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


“神武東征はなかったが、神武御巡行はあった”“神武東征を行ったのは贈)崇神天皇だったが、その後の九州王朝東遷は存在した”…が当面の基本認識です。

ただ、百嶋由一郎先生は「奈良に九州王朝が現存しております。九州王朝との約束によって出版しないということを守っています。…」また、「全ての研究データを奈良県のある神社に送り続けています。…」とも語っておられました。

こ れらについては、三次に渡った九州王朝東遷(初代神武による「神武巡行」とは別)によって移動し(主として第二次東遷による)、奈良天理に自ら九州王朝の 末裔とする秘密の神社(自らはご存じと思いますので)があり、もし、そちらの目に留まれば当方へとご連絡頂けるものと考えています。

この神社がどちらかについては、当方もある程度の見当は付けておりますが、百嶋由一郎先生は最後までその神社の宮司様とのお約束を守られ、私達にもその神社がどこかを告げずにお亡くなりになりました。

このメッセージだけで、もしお分かりになれば、先生の残されたデータ(恐らく、60年以上の調査内容の全てを送り続けておられたものと思いますので、当方の手持ちの何十倍もの資料をお持ちの事と思います)の存在を確認させて頂きたいと考えています。

無題.pngそちらがお持ちでないものを当方で持っている場合もありますので、もし、当方のブログをご存じの場合は是非ご連絡頂きたいと思います。

少なくとも、そちらがお持ちでない生の音声データを数十時間分保管していますので、それらを全て寄贈したいと考えています。

勿論、そちらには一切ご迷惑をお掛けするつもりはありません。


今回は保安上の問題からこの嘘つき国家の下では、これ以上の事を書けません(既に戦前の「国体明徴運動」以上の酷い状態にありますので…)。

余白を埋めるためと言っては申し訳ありませんが、代わりに吉田耕一先生のデジタル絵画「本日晴天」をご覧いただきます。画質はネット配信の都合上ある程度落としてありますので悪しからずご容赦。
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不知火海の縁にお住まいの九州王朝論者 吉田耕一(芦北町)の「本日晴天」

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:10| Comment(0) | 日記
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