太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年03月07日

052 阿蘇国造神社と甲佐神社の祭神 A

052 阿蘇国造神社と甲佐神社の祭神 A

「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院共通掲載

20150115

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


以前、ひぼろぎ逍遥 092 阿蘇の神社群とピラミッド “南阿蘇村の八坂神社を訪ねてみよう において、阿蘇周辺の神社が如何に規則正しく配置されているかをご紹介しました。

  この正確極まりない図面を作成され、十年ほど前に東京大学でも講演されている八坂神社の田尻宮司に今年の久留米大学でご講演願いたいと考えているところで すが、この八坂神社参拝殿の壁面にも掲示されている図面に国造神社と甲佐神社が描かれていることから、多少考えて見たいと思います。

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ピラミッド底辺の左端には宇城市三角町の郡浦神社があります。

この神社は十年以上前に一度訪問したきりで、以後、全く気にもかけずに、誰が祀られているか分からないという印象だけが残っていました。ウィキペディアによれば、


蒲智比当ス(カマチヒメノミコト)、健磐龍命(タケイワタツノミコト、阿蘇神社主祭神)、速瓶玉命(ハヤミカタマノミコト、国造神社主祭神)、神武天皇(ジンムテンノウ)の四柱。

蒲智比当スは、国造神社の主祭神速瓶玉命の妃神。海神の女神、雨宮媛命(あまみやひめのみこと) (諸説有)。


と、あります。神武天皇が筆頭に掲げられていないことから(格下の第10代自称神武こと贈崇神天皇の可能性もありますが)、主祭神は蒲智比当スであろうと思われます。この百嶋神代系譜で蒲池姫とする人のイメージが全く湧かなかったため誰が祀られているかが分からなかったとしたのですが、実は、本物の神武天皇のお妃であるアイラツヒメ(久留米地名研究会HPから「吾平」をお読み下さい)の別名だったのです。してみると、山鹿市菊鹿町相良(旧吾平)は当時いただけの地で、郡浦の地は初代神武天皇正妃の出身地なのかもしれません。

ウィキペディア氏は、蒲智比当スは国造神社の主祭神速瓶玉命の妃神。海神の女神、雨宮媛命(あまみやひめのみこと)諸説有)。とされていますが、それは誤りで、蒲智比当スは本物の神武天皇の本物のお妃アイラツ姫の別名で、速瓶玉命の妃神は鴨玉依姫=神直日のことなのです。

ウィキペディア氏も(諸説有)とされているように、この混乱には理由があるのです。

それは、初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)の実の子である(4代懿徳天皇)の妃となったのが、高木大神の娘である拷幡千々姫と阿蘇高森の草部吉見神との間にもうけた天豊ツ姫なのです(有力者であった阿蘇高森の草部吉見神は市杵島姫ともオキツヨソ足姫とも通婚しているのです)。

ところがこの天豊ツ姫は、略奪か愛の逃避行か不明ですが(その皇后陛下カッパライの舞台が前回の甲佐神社なのです)、阿蘇の健磐龍命の妃になられているのです(戦前の神社資料にはそれが書かれているので現在確認作業中)。

そして、その間に生まれた雨宮姫が阿蘇国造神社の速瓶玉命=大山咋の妃となるのです。

甲佐神社の赤星宮司には大変お世話になっておりご迷惑かも知れませんが、この話を残す必要性があることから、敢えて書くことにしました。

懿徳天皇の正妃と健磐龍命正妃との属性を詳しく調べられれば同一神であることが分かり、この混乱の糸口が見えてくるはずです。蒲池姫命健磐龍命、速瓶玉命、神武天皇の四柱という配神は、結局、この神武天皇初代神武(カムヤマト…)と考えるか、第10代崇神(ハツクニ…)と考えるかにより、どちらを中心に据えたものかが決まる、従って、郡浦神社の性格が分かるような気がします。

さて、田尻宮司の炎のピラミッドを冒頭に掲載しておきながら、皇后陛下略奪といったとんでもない方向に流れ全く別の話になりましたが、ピラミッドの底辺の左端に郡浦神社が置かれ、そこからダイヤモンド下の頂点に繋ぐ場所にその延長上に、小国町の両神社からの22.7度線(宮司は言われていませんが、恐らくミランコビッチ・サイクルが関係か)が引かれ甲佐神社が置かれていることは、郡浦神社、両神社が甲佐神社より古いということが言えそうです。

 同じ意味で、国造神社が一番古い神社であろう事は言えそうですから(阿蘇北半の蹴破り伝承から最初に陸化した場所ですから)、そこと両神社を結ぶ線上に草部吉見神社が置かれている可能性を見てとれるのです。また、国造神社と甲佐神社に同一の神、速瓶玉=大山咋が祀られていることは、小国両神社(阿蘇郡小国町宮原1670)非常に興味深いことです。当然、両神社にも速瓶玉=大山咋関係が祀られている事が分かりますが、熊本県の「地域発 ふるさとの自然と文化」は両神社をこのように描いています。


小国郷の総鎮守とされる両神社は高橋宮火宮の二神を祀るのでこの名が付けられたと言います。この二神とはどのような神様でしょうか。阿蘇に伝わる神話ではこの二神は兄弟で、国造神社に祀られる速瓶玉命(はやみかたまのみこと)と雨宮神の子供とされています。祖父に当たる阿蘇を開拓した健磐龍命(たけいわたつのみこと)から小国郷開拓の命を受け小国に来たとされています。この神社には二神の母に当たる雨宮神も祀られています。実は雨宮神は小国に住む神様で、手野の速瓶玉命と結婚したとも言われます。

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高橋宮は百嶋神代系譜では単に高橋と書かれていますが、母の雨宮姫は瓶玉命の前妃であり鴨玉依姫は後妃なのです(前ブログの系譜参照)。

右の系譜系図は百嶋第2系図と呼ぶものですが、大倭彦=懿徳天皇の正妃が天豊ツ姫=杉山大神=寒川ヒメであり、後に健磐龍命の妃になっているのです。ブログ156157の系譜をじっくり見比べて下さい。天豊ツ姫が第4代天皇と、健磐龍命の両方のお妃となっている事が分かると思います。
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 01:17| Comment(0) | 日記
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