太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年02月25日

048 四国に高良神社を探る E “伊予、讃岐は物部のエリア” 石槌神社は誰を祀るか?

048 四国に高良神社を探る E “伊予、讃岐は物部のエリア” 石槌神社は誰を祀るか?

20150105

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


西条市では高良神社だけではなくその他にもいくつかの神社を廻りました。

その一つが石槌神社ですが、四国のと言うより西日本の最高峰である石槌山と同名の神社とは何なのか、観音寺市への移動の道すがら寄り道をして見せて頂きました。

山口県の防府市にも同名の神社(山口県防府市桑山2丁目1-2があることから、少なくとも瀬戸内海を挟んで同一系統の氏族(民族=古族)が展開している事がそれだけからも見て取れます。

この山岳修験(小角=エンノオズノ)の濃厚な教団は、明治期の神仏分離令を生き延び、今日まで教線を維持拡大させている事に驚きを感じますが、恐らく教派神道系ではなく神社神道系の教団なのでしょう。

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同神社のHPには

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石土毘古命(いわつちひこのみこと)、また石鎚大神(いしづちおおかみ)とも申し上げ、天照大御神をお産みになった伊邪那岐命・伊邪那美命の第二の御子にあたられます。


と ありますので、一般的には、カグツチはともかくとして、石土毘古命とは、アマテラスの兄弟とされる(勿論、実は民族も異なり、血縁もないのですが…)アマ テラス、ツキヨミ、スサノオ兄弟でイザナギ、イザナミ(勿論、この二人も民族が異なるのです)の第二子なら月読命なのだろうかなどと考えてしまいそうで す。

敬愛する「玄松子」氏も

石土毘古神いわつちびこのかみ

その名の通り岩や土の神で、男神とされている。

『古事記』において、伊邪那岐命伊邪那美命が国生みを終えた後、 神々を生んだ。

まず、大事忍男神(おおことおしおのかみ)を生んだ。

次に建物関連の神として、石土毘古神(石神)、石巣比売神(石砂神)、大戸日別神(家屋の戸の神)、 天之吹男神(家屋の屋根を葺く神)、大屋毘古神(家屋の神、屋根の神)、風木津別之忍男神(風除けの神か?)を生んだ。


と、正確に「記」を擬えておられます。

しかし、問題はその属性であり、如何なる系統の神であるのかが全く分からないのです。

  この石槌神社は石岡神社の東3〜4キロといったところにあるのですが、この東予に入って以来、今治、矢田、朝倉、桜井、玉川、徳久、鳥生、加茂川、頓田、 日吉、松尾、吉井、多賀、氷見、橘、加茂、天皇、天皇、新居浜…と北部九州と対応する地名や神社考古学的に気になる地名に悩まされてきました。

最低でも北部九州の人々が大量に展開していることだけは確かで、その中心的な民族、氏族が見え隠れしていたのです。

 普通は全く見当も付かないのですが、この石槌神社の祭神とは、恐らく、博多の櫛田神社の祭神である大幡主(オオハタヌシ)もしくは、大幡主と伊邪那美命との間に誕生したヤタガラスこと豊玉彦だろうと思うのです。

勿論、伊邪那岐命伊邪那美命が夫婦であり、それ以外はあり得ないと考える方はそれで結構なのですが(それが神社庁の許す範囲でしょうから)、それこそが、現在なおタブーであり、そのために祭神を伊邪那岐命・伊邪那美命の第二の御子とされているのだろうと思うのです。

「矢田」「加茂」「鳥生」といった地名があり、加茂川が流れ、周辺を物部氏、紀氏、橘一族を思わせる地名や神社が取り囲んでいるのですから自ずとそう判断せざるを得ないのです。

 百嶋神社考古学の神代系譜では、瀛(イン)氏一族のイザナミは、確かにイザナギ=新羅系昔(ソク)氏と通婚しスサノウを産むのですが、後には白(ペイ)族の大幡主との間にヤタガラス=豊玉彦=鴨建角身=秩父大神=寒川彦=思兼命…を産むのです(これも誰も知らない秘密です)。

伊予から讃岐に掛けての足早の調査旅行でしたが、そういった地域であったからこそ高良玉垂命が鎮座しておられたのだと言う事が良く分かりました。

 百聞は一見に如かず…の言いの如く、今回のフィールド・ワークは多くを与えてくれました。

阿波=徳島への捷二号作戦が待たれます。

再び、敬愛する「玄松子」氏の知恵をお借りしたいと思います。


賀茂建角身命 かものたけつのみのみこと
別名
鴨建津見命:かものたけつのみのみこと
……

       『姓氏録』山城神別に、「神魂命の孫・鴨建津見命、大烏と化して天皇を導く」とある。山城の賀茂に住む神で賀茂県主の祖。

       神武天皇東征神話の中で先導神としてあらわれた八咫烏は、この神の化身。 『古事記」では高木大神の、『日本書紀』では天照大神の使神。

       『古語拾遺』は、この八咫烏が、京都地方の大豪族であった賀茂県主の遠祖とある。

       『山城国風土記逸文』では、八咫烏は神武天皇の先導神として仕えた後.大和から山城の賀茂に移ったとある。

       『古 事記』では、天皇の軍隊が熊野から奥地に進んで、荒ぶる神々に苦戦をしている時、高木大神が 「今、天より八咫烏を遣わす。この烏の先導によって軍を進めよ」といわれ、その導きによって大和国に入った。 『日本書紀』では神武天皇の夢枕に天照大神があらわれ「八咫烏を遣わす」と告げた。

       夢の通り八咫烏に従って進み、宇陀にて兄宇迦斯、弟宇迦斯に出会う。 八咫烏が、天皇に仕えるか否かを問うと、兄宇迦斯は鳴鏑をもって八咫烏を射たが外れた。

            賀茂建角身命と伊賀古夜比売命の御子に、玉依比古命(賀茂県主となる)、玉依比売命の二子があり、 その玉依比売命については、『山城風土記』に、大山咋神(『古事記』では鳴鏑神)が丹塗矢と化して瀬見の小川を流れ下り、 玉依比売命と婚姻して、賀茂別雷命を生み奉ったと書かれている。


百嶋神代系譜の一部を掲載しておきます。


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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 11:27| Comment(0) | 日記
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