太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



無題.png

無題.png

無題.png

o0198005613264565002.png o0199005613260936971.png 無題.png

2015年02月14日

044 四国に高良神社を探る A “伊予(愛媛)編” “西条市の石岡神社”

044 四国に高良神社を探る A “伊予(愛媛)編” “西条市の石岡神社”

20150103

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

来島海峡大橋を渡ると愛媛県今治市です。

この今治という地名も、一般には誤って方言扱いされている九州限定の地名の原と書きハルと読む地名の変化形と考えています。

これでは始めから横道にそれますので、関心をお持ちの方は久留米地名研究会のHPから「ハルとバル」をお読み頂くことにして、物部の拠点であったうきは市吉井町の新治を現地ではニイハルと呼んでいる事をお知らせして話を先に進めます。

愛媛県の今治から南に向かうと西条市です。ここも加茂川が流れ吉井地名が存在する物部の匂いが濃厚な土地ですが、この一角の愛媛県西条市氷見乙に高良神社がある(HP暗号「山上憶良」)というのです。

と言っても、分かっているのは「氷見乙」までの大雑把な住所でしかなく、高良神社なる大きな社殿を持つ神社が存在するのか、どこかの神社に合祀されているのか、記録だけで存在していないのか全く分からないのです。

ともあれ、カーナビに従い、氷見乙の代表地点まで進出しました。


無題.png

 

氷見乙といってもかなり広いため土地勘のない者にとっては神社一つを探すにしても、かなりの困難が付き纏います。

始めは小字から判断し宮の下という地区に行きましたが、地元の方に聴いても高良神社など聴いた事がないと言われます。では、宮地は当然石岡神社だろうと石岡神社に向かいました。

学校の運動場クラスの広い駐車場があり、同社は直ぐに見つかりました。

問題は、高良神社があるかです。後で分かったのですが石岡神社とは別に先代玉井宮司家の宮司宅に屋敷神としての社殿があり、その神社を宮司宅正面に併設した神社があったのです。

そして、その神社の縁起を読むと高良の神が祀られていることが分かったのです。

主祭神としての石岡八幡大神は現在の宇佐八幡宮と同じ配置であり、私見を言わせて頂ければ、後付けの印象は拭えず、本来の祭神は配祀神としての皇大神宮大神の四神に思えます。

この旧宮司家屋敷神起源の別社を見て、元々、この石岡八幡宮そのものが高良神社だったのではないかとの思いが走りました。

まだ、石岡八幡宮は実見していません。逸る気持ちを抑えこの別社の右手にある参道を進むと、奥には堂々たる境内を持つ参拝殿が置かれていました。




無題.png

石岡八幡宮参道左に鎮座する前玉井宮司家の境外摂社


無題.png



その縁起


無題.png

石岡八幡宮参道

無題.png
無題.png

本殿右手には高良神社が鎮座していました。排除しても粗末にできないのが列島の国民性なのです。

境外摂社の系譜は屋主忍男武雄心命が入っていますので、「日本書紀」によるもののようですが、石岡八幡宮の宮司家を第40代で越智家に渡した玉井一族は、自らが高良大社の主祭神(有馬の指示で武内宿禰に統一)の流れを汲む紀氏の一族(橘氏とも重なる…石岡の地は橘島とも言われる)と伝えるのですが、紀氏、橘氏の一族が九州王朝を守ろうとしたという形跡が感じられて非常に興味深く感じ入りました。

私達は高良大社の祭神を高良玉垂命=第9代開化天皇と考えており、武内宿禰は孝元天皇の側室の長男で皇子大彦命の子と考えていますが、いずれにせよ、高良大社の紀氏の流れを汲む一族により、高良神社が守られていた事は感動をすら受けるものでした。

まず、この西条市には「朝倉」という地名が存在します。古くは東予の大村「朝倉村」だったのですが、同時に、斉明天皇朝倉行幸の伝承が拾えます。古田史学の会会報902009216日合田洋一(松山市)によると、伊予の古代を飾る「珠玉の伝承」の検証 外、九州王朝に絡む多くの記録、伝承を回収されています。以下一部を抜粋。

12,朝倉の無量寺に伝わる『両足山安養院無量寺由来』に斉明天皇朝倉行幸の記事があること。

11,朝倉に斉明と言う地名があって(所在地旧名・皇之原、現地名・太之原のうち)、ここは斉明天皇の「橘広庭宮跡」とも言われる伝承地であること。

16,朝倉に天皇橋があり、またこの近辺の越智国内には天皇という地名が二ヵ所もあること。
17,西条に斉明天皇行宮伝承のある御所神社(所在地・古川)や石湯八幡宮(旧所在地・安知生、現在地・洲之内の橘新宮神社)があること。

なお、HP歴史発掘「西条ぶらり旅」「 6.石岡神社と祭ケ岡 」によると、九州王朝論からも重要なヒントが得られます。 伊予で「高良玉垂宮神秘書」やアリナレ川にまで注目されている事には驚かされました。

無題.png

別社の縁起には紀氏の一族(橘氏)が孝元天皇…仁徳天皇を守ってきた事が分かります。

無題.png

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:46| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: