太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年02月02日

041 沖ノ島祭祀は宗像一族のものだったのか? “小田富士夫説から”

041 沖ノ島祭祀は宗像一族のものだったのか? “小田富士夫説から”
20141122
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 太宰府地名研究会のマドンナ伊藤正子女史から、古くから沖ノ島の調査を行ってこられた考古学者で福大名誉教授の小田富士夫氏が宗像沖ノ島古代祭祀の見直しをしていると告げられました。
 宗像沖ノ島となると世界遺産登録などというあまり上品とも知性的とも言えない謂わばさもしい動きが進んでいるようです。

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•宗像大島のこと調べてみよう
•世界遺産に向けての取り組み紹介

宗像・沖ノ島と関連遺産群
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「宗像・沖ノ島と関連遺産群」は、平成21年1月5日、世界遺産暫定リストに記載されました。福岡県内はもとより、宗像地域には、このように世界的に貴重な遺産があるということを気づかせてくれます。
さらにまた、この貴重な遺産の半分は、島に関係するものであります。ここでは、宗像市の沖ノ島と大島を中心に世界遺産の構成資産について紹介します。
沖津宮と沖ノ島祭祀遺跡
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宗像大社は、沖津宮・中津宮・辺津宮の三宮からなっています。その中の沖津宮、は、宗像市の沖ノ島に鎮座しています。
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絶海の孤島「沖ノ島」に残る貴重な自然
沖ノ島は、島全体が国の天然記念物に指定されています。
沖ノ島周辺には、対馬暖流が流れており、その暖流の影響でビロウやオオタニワタリなど亜熱帯植物が繁殖しています。日本においては、亜熱帯植物が繁殖する北限とも言われています。
このほかにも、沖ノ島には、日本近海にしか生息していない絶滅危惧種のカンムリウミスズメや同じ絶滅危惧種であるヒメクロウミツバメなど非常に貴重な鳥類などの繁殖地となっています。
こうした貴重な自然環境は、人が通常、近づくことのできない場所であり、また、「神の宿る島」として多くのひとびとの篤い信仰によって、太古の昔から守られてきたのです。
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宗像大島にある遺産
宗像大島には、世界遺産の構成資産として宗像大社(中津宮)と沖津宮遙拝所の2箇所あります。中津宮は、大島の南側にあって辺津宮と面しています。また、沖津宮遙拝所は、大島の北側にあって、沖ノ島を仰ぎ見る位置にあります。

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今回は、離島を中心に世界遺産の資産について紹介しましたが、このほかにも、福津市の津屋崎古墳群や宗像市の宗像大社(辺津宮)、桜京古墳などが含まれます。また、宗像大社神宝館には、沖ノ島の調査で出土した資料を見学することができます。
世界遺産登録の目的は、こうした貴重な遺産を守り、後世に残し伝えていくことです。みなさまのご協力よろしくお願いいたします。

宗像市作成の宗像大島というサイトから


そもそも、国連ユネスコによる世界遺産登録などと言うものは、国際連合とは訳の誤りでしかなく、UNは連合国の意味であり、第二次世界大戦戦勝国クラブでしかないのです。この団体が余計なおせっかいを行い、彼らの主として西洋流の基準で価値のあるなしを決めるものであり、国家の品格とか日本文化の独立性独自性をかなぐり捨て、日本も良く分からない葉巻を咥えた連中にお決め頂きお零れに与ろうという情けない運動なのです。
もしも、自らの誇りを捨て没落貴族の成れの果て共に賄賂まで送って認定して頂こうなどとするなどあり得ない恥ずべきことと思うばかりですが、オリンピック同様、一億総あやかり町興しとなると日本列島の文化も歴史遺産もその思惑とは逆にいずれ潰え去ることになるでしょう。
物乞いよりは強盗の方がまだ品性は高いはずなのです。
といった情けない話はさておき、今回は、沖ノ島古代祭祀が宗像一族のものであったという奇妙で納得できない話を考えて見ることにしましょう。
宗像市が沖ノ島、宗像大社、宗像大島、津屋崎古墳群などを含めて世界遺産登録に熱心であることは明らかですが、@沖ノ島祭祀を、古来、宗像族が行ってきた A新原、奴山から最後は宮地嶽古墳までを含め津屋崎古墳群も全て大和朝廷の配下にあった宗像徳善に連なる勢力のものだった…といった京都学派といっても国学院大出身のN氏などが主張している内容には常々疑問も怒りをも抱いてきました。
また、神社を調べても、地元(といっても神湊より西ですが)の新宮、古賀、福津…から志賀島…に掛けては、古来、志賀島を拠点とする安曇族の領域であったとの伝承を拾ってきました。
特に、古来、大王に捧げるとして傀儡によって筑紫舞が舞われ続けてきた宮地嶽古墳を、被葬者は天武天皇の第一皇子である高市皇子を生んだ尼子娘の父である胸形君徳善とする説に至っては、“何でも近畿大和朝廷の影響下にあった○○”でしかなく、まずは、噴飯ものといったものに思えてしまいます。
この話は一応棚上げするとして、@の沖ノ島祭祀について小田富士夫氏の修正を考えましょう。
記事の内容は専門的で俄かには分かりづらいのですが、岩上祭祀から岩陰祭祀、半岩陰半露天、露天へと変遷してきた古代祭祀において、最も重要な後期の岩上祭祀に当たる沖ノ島21号祭祀遺跡の遺物と同時期の大首長墓(大王級)大型古墳である福津市勝浦峰の畑古墳(100m超前方後円墳)との間に対応が認められるとの見解が提出されているのです(2012年10月26日西日本新聞)。


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このことは、長らく主として元九大(国士舘)のN氏などが主張してきたところの、沖ノ島古代祭祀だろうが、宮地嶽巨大古墳だろうが、何でも「近畿大和朝廷の傘下=影響下にあった地元土豪(ここでは後の宗像徳善の君に繋がる一族)が関係している」などといったデマに近いものが非常に怪しげなものであることが鮮明になった瞬間でもあったのです。
古来、最低でも福津市のエリア(本来は神湊以南)は志賀島の安曇族のエリアであり、相島も含め、新原・奴山古墳群(津屋崎古墳群)宮地嶽巨大古墳、さらには、昨年馬具一式が発掘され話題となった古賀市の船原古墳なども、全て宗像徳善の君に繋がる一族などのものではなく、安曇族を支配下に置いていた一族のものであるという、地元に通用するあたりまえの考え方が再考できることになってきたのでした。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 23:38| Comment(0) | 日記
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