太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



無題.png

無題.png

無題.png

o0198005613264565002.png o0199005613260936971.png 無題.png

2015年01月29日

039 伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? F “籠神社が九州から持ち出された痕跡”

039 伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? F “籠神社が九州から持ち出された痕跡”
20141122
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 通説とは全く異なりますが、天照大御神が本来の呉の系統である神武天皇の姉であるのか?それとも物部の親祖神である天神ニギハヤヒであるのか?については重要であるが故に先送りにするとして(まさか、「伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか?」がS番まで進むとは思いませんので…)、今回は、籠神社一帯に九州の人々が大量に入っていることを地名から考えて見ることにします。
 籠神社の御由緒には以下のように書かれています。

「丹波国の丹波道主の娘の八乎止女が祀っていた豊受大神」とは、奥宮真名井神社(古称 吉佐宮)の豊受大神であり、「元伊勢」としての由緒が明らかとなっています。

この「古称 吉佐宮」が現在の与謝野町の与謝野から付されていることは明らかです(実際は逆かも)。
当然にも、与謝野晶子の夫であった慶応大学教授の与謝野鉄幹(與謝野 鐵幹)も京都府与謝郡与謝野町字温江の出身です。

 無題.png与謝野町(よさのちょう)は、京都府北部の丹後半島中部から付け根にある与謝郡に属する町。2006年3月1日、与謝郡の加悦町・岩滝町・野田川町3町が新設合併して誕生した。
加悦谷と呼ばれる野田川の扇状地に位置する。加悦地域の南東方には大江山があり、以前はニッケル鉱山もあった。 町役場は本庁舎を岩滝地域に置き、加悦地域、野田川地域にも部課 …
面積: 107 km2 (41.33 平方マイル) 人口: 2.418 万(2006)
 「与謝野町」HPより


 では、何故、与謝野町は「感謝」の「謝」の字を付し「よさの」ちょうと呼んでいるのでしょうか?
 それは、元々、「ヨシャ」と発音していたからと考えられるのです。
 当然ながら、「吉佐宮」は八世紀の「好字令」により慶字が当てられたものと考えるべきでしょう。
 裏日本の日本海側には、九州北岸の海人族が大量に入っていることは何度となく書いてきましたが、越後出身の故田中角栄が「ヨッシャ、ヨッシャ…」と発音したことは良く知られています。
 このような発音は、大和、奈良ではあり得ないでしょうし、全国的に見ても一般的ではありません。
 ところが九州では、この「サ」音を「シャ」(∫)音で表現する傾向が一昔前までは一般的だったのです。
 代議士に立候補する人間がまともとも立派とも思いませんが、この一応まともと言われる人が選挙運動中の宣伝カーから「今回のシェイジケッシェンに勝利しようではありませんか!」と呼びかけて違和感がなかったのが、北部九州、中でも物部氏の拠点であった久留米から遠賀川流域一帯だったのです。
 この「S音」が「インテグラルS」音(∫)になる傾向は、今なお濃厚で、「代議士先生」は「代議士シェンシェイ」であり、彼らの「性生活」は「シェイシェイカツ」「政党助成金問題」は「シェイトウジョシェイキン問題」としてオオッツピラに議会で通用しているのですから言わずもがなでしょう。
 否、むしろ、九州王朝論の立場からは、この発音こそが古代の標準語であったと考えるのです。
 だからこそ、その地域の呼称や町名にも反映されたのであり、もしかしたら、「天照大御神様」さえも、「アマテラシュオオミカミシャマ」だったかも知れないのです。
この点、手っ取り早く、ウィキペディアの長崎弁からご紹介しましょう。

日本語 > 九州方言 > 肥筑方言 > 長崎弁
長崎弁(ながさきべん)は、九州地方の長崎県で話される日本語の方言。九州方言の肥筑方言の一つ。ここでは、長崎県のうち五島列島、対馬、壱岐島を除いた地域の方言を扱う。 
子音 「せ」「ぜ」は本来「しぇ」「じぇ」と発音されるが、若年層では「せ」「ぜ」になっている。県内全域で合拗音クヮ、グヮがあるがこれも高齢層に限られてきている。九州方言では四つ仮名の区別、つまり「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の区別を残すところが広いが、長崎弁では区別はない。また鼻濁音もなくガ行子音はgである。


ここまで見てくると、籠神社がイザナギ、イザナギを、「伊射奈岐大神(いざなぎおおかみ)・伊射奈美大神(いざなみおおかみ)」と表記していることも納得できるのです。
きっと倭姫命は「天照大御神」の御霊を九州のどこからかこの地まで運んでこられたのでしょう。
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:50| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: